市民ケーンのレビュー・感想・評価
全53件中、21~40件目を表示
実在の大物実業家の心理を探求
激しいジャーナリズム戦争を巻き起こしたメディア王の生い立ちをミステリーのようにたどることで、何が彼をそこまで追い立てたのか、その心の内を明らかにしていった意欲的な作品。実在の大物人物を扱うのはなかなかできることではない。25才と若かったからできたのかも。ラストに明らかになるオーソン・ウェルズの出した結論には納得だった。 技術的には映画の教科書とされているそうだけど、主人公の老け顔がメイクで上手くできてること以外は特に意識しないで見てしまった。
下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。 時代を先取りしすぎたことで、逆に凄さが分からなくなってしまったという感じも…。
メディア王チャールズ・ケーンの遺した最後の言葉「バラのつぼみ」。編集者のトンプソンが、ケーンの関係者に話を聞いて回りながらこの言葉の真相を解き明かそうとするという、ミステリー調なドラマ映画。
第14回 アカデミー賞において、脚本賞を受賞!
第7回 ニューヨーク映画批評家協会賞において、作品賞を受賞!
「史上最も偉大な映画とは何か?」
という突拍子もない問いの答えとして、いの一番に挙げられるのがこの作品。
後の映画作品に大きな影響を与えたと言われているのも納得の、堂々とした映画でした!
本作の凄さは主に3つ。
一つは、時の権力者「新聞王」ウィリアム・ランドルフ・ハーストに真っ向から喧嘩を売ったこと。
作中でこそ名前がチャールズ・ケーンとなっているが、モデルがハーストであることは一目瞭然。
ケーンは私設動物園が併設された「ザナドゥー」という城に居を構えているが、これも事実。
ハーストの住んでいた城は今ではカリフォルニア州サン・シメオンという街の観光名所になっている、らしい。
ちなみに「ザナドゥ」=上都とは、後に元の皇帝となるフビライ・ハーンが南宋を攻略する為に設けた都(モンゴルは遊牧国家なので、夏の都は上都、冬の都は大都=北京と定め、皇帝は季節移動していた)。
何故、ケーンの建造した大邸宅がザナドゥと呼ばれるのか疑問だったが、どうやらマルコ・ポーロが「東方見聞録」の中でザナドゥを紹介したことにより、ヨーロッパ人の中では歓楽の都=ザナドゥというイメージが定着したようですねぇ。ふーん。
本作が作られた1941年といえば、アメリカでテレビ放送が本格的に始まった年。もちろんインターネットはまだない為、情報メディアは新聞かラジオくらいのもの。
ハーストは新聞のみならずラジオ界にもその版図を広げており、映画業界でも絶大な影響力を誇った。
そんな相手を敵に回しては、今後の映画人としてのキャリアがどうなってしまうのかは想像に難くない。
しかし、それでもこんな作品を作っちゃったんですよ!オーソン・ウェルズという人は!
この漢気!長いものには巻かれないという決意!
権力には靡かないという精神、正しいものを描こうという志、これこそが真に讃えられるべきクリエイター魂でしょう。
これは本来メディアが取るべき態度であるはず。しかし、ありもしない事実を作り上げ、終いには「米西戦争」という戦争まで引き起こしたハーストにはこの精神が欠けていた。
真実を伝えるべきであるにも拘らず、金や名誉の為に信憑性を欠いた情報を垂れ流すメディアの欺瞞を、虚構を娯楽として提供する映画という媒体が明らかにするという構図はなんとも皮肉なものですね。
凄さの二つ目は撮影手法や演出の先進性。
時系列が行ったり来たりするという、直線的ではない作劇法。
長回しやパン・フォーカス、ローアングルの多用といった撮影手法。
自由自在なカメラワーク、etc。
周りがあまりにも真似してしまったことにより、画期的だった技法が一般化され、現代の観客の視点では「うーん、何が凄いのか分からん。」となってしまう、「手塚治虫現象」(と自分が勝手に呼んでいる)が起こってしまっているのは、仕方がないこととはいえ損しているよなぁ〜、と思ってしまう。
今から80年前の作品だということを鑑みれば、とんでもないことをしていると気付くんだけどねぇ。
撮影手法に詳しくない自分でも、本作ではやけにローアングルが使われているなぁ、というのは気付いた。
当時の馬鹿でかいカメラを使って、どうやってローアングルで撮影しているのかしらん?と思って調べたら、穴を掘ってそこにカメラを突っ込んで撮影するという、シンプルでパワフルなやり方のようだった。
『戦場のメリークリスマス』で、大島渚がローアングル撮影の為に穴を掘っていたところ、それを見ていたビートたけしが「役者を台の上に立たせりゃいいんじゃないですか?」とつぶやいた。
それを聞いた大島渚がすごい剣幕で「なんでもっと早く言わないんだ!!」と怒鳴った、という笑い話をたけしがしていたのを聞いたことがあるけど、なんかそれを思い出した。大島渚も『市民ケーン』を観ていたんだろうなぁ。
凄さの三つ目。
それはやはりオスカーも獲得した脚本の見事さ!
ハーストの妨害があり、オスカーでは作品賞も監督賞も主演男優賞賞も撮影賞も取れなかったというのが定説。
しかし、
そんな中でも脚本賞だけは受賞せざるを得なかったという事実。これだけでも本作の脚本が素晴らしい完成度だという証明になっている。
①大富豪の死というキャッチーな起点。
②「バラのつぼみ」というロマンティックだがどこか不穏なダイイング・メッセージ。
③その真相を探る探偵的な人物の登場。
④ケーンの人物像は本人を取り巻く他者からの証言でのみ構築される。
⑤結局「バラのつぼみ」に明確な解答は与えられていない。
この5つのポイントが、非常に上手く絡み合って作品を向上させている。
①②③は、物語を盛り上げる為の重要なファクターではあるが、そこまで真新しいものでもない。
ポイントは④と⑤だと思う。
④により、ケーンという人物の主観は徹底的に排除されている。
それぞれの証言がどれだけ信憑性に足るものなのか、それを判断するのは観客である。彼らの発言はそれぞれの人物のフィルターを通して語られているものであり、そうである以上、本作で描かれているケーンの姿が、本当に真実の姿がどうかはわからないのである。
これは『ゴッホ 最期の手紙』というアニメ映画がそのまま使用していたなぁ🙄
本作で描かれるケーンの姿は不確実なものである。そうである以上、「バラのつぼみ」に明確な一つの答えを出すことは出来はしない。
普通なら明確な答えをオチに持ってこないとミステリー映画は成立しないんだけど、本作ではその不明瞭さ自体が物語のバランスを保っている。
不確実な人物像、不明瞭な解答、何が真実なのかわからないふわふわとした空虚さは、ケーンの作り上げた新聞記事のようだ。
明確なものはわからないまま、全ては炎の中に消えていく。
ただ一つの真実として描かれているのは、少年時代に遊んでいたそりに「バラのつぼみ」という文字が描かれていたことだけである。
このたった一つの真実を下に、「さあ観客の皆さん考えてくださいよ」という姿勢が、本作を真にミステリアスに仕立て上げており、それこそがこの作品が未来永劫にわたり鑑賞されるであろうことの、強力なバックボーンになっているのだろう。
これら5つのポイントに加え、ケーンの収集癖と妻スーザンのジグソーパズルという趣味が物語全体のメタファーになっている点も興味深い。
とにかく、色々なことを考えられる映画史に残るマスターピース。
でも、面白いか面白くないかで言えば全然面白くはない。
結末は最初から明示されており、そこへどのように収束していくのかを描いている作品なので、まぁ物語への求心力はない。
それに、一つ一つの回想が冗長でダレる。
スピーディーでテンポ感のある現代の作品に慣れ親しんでいる自分のような現代人には、この2時間はなかなかに長く感じるだろう。
冒頭の10分とクライマックスの10分、ここは素晴らしいと言えるのだけど、間の100分は眠かったなぁ〜…😪💦
『機動戦士ガンダム』のギレン・ザビの演説の元ネタは『市民ケーン』だったんだ〜。という感じの感想です。
映画史に興味のある人なら必見の一作だけど、それ以外の人にはおすすめ出来ないっす。退屈するよ🥱
映画の内容には関係ないけど小言。
DVDで鑑賞したんだけど、あまりにも字幕のクオリティが酷いっ!!
パブリック・ドメインの作品だからというのもあるのかも知れないが、誤字脱字のオンパレードで頭が痛くなった。
なんで「チャールズ・ケーン」が「ケーン・ケーン」になるんだ!?
途中からは、分かりもしない英語を必死にリスニングしていました。
映画をもっと楽しむ為に、英語を習得するのは必須事項なんだということを実感した一作でした。
思い込みが激しい新聞王
オーソンウェルズ扮する新聞王チャールズフォスターケーンがばらのつぼみと言い残して亡くなりザナドゥで葬儀が行われた。2回結婚して2回離婚。ケーンは、市民に対し全ニュースを誠実に伝える日刊紙を目指した。真実を素早く楽しく知る市民の権利を擁護するとした。しかし、思い込みが激しい人だった様だ。そう実力が無い歌手に歌劇場を作ってしまったりもした。欲をかくとろくな事は無いね。
玄人向けの復習映画
名作中の名作。THE映画。 って感じの映画でした。 正直一回観ただけではこれがすごいとはならない。 根源的映画だからこそ、予習のための映画ではなく、色々な作品を観た後で復習として観た方が、この映画の偉大さが分かる気がしました。 とりあえず、これでいつでも『Mank』は観れそうですが。出直してきます。 ストーリーは至ってシンプル。 アメリカの新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンが死に際につぶやいた『Rose bud』ーバラのつぼみ、という言葉の謎を追うために生前調査を行い、彼がどんな人物で「バラのつぼみ」とは何を指すのかを、回想を交えながら探っていく119分。 非常に多くの映画に影響を与えた作品のようで、成功者の成功からの堕落というよくあるストーリーは、まさにアメリカン・ドリーム。 メディアによって形成されたアメリカという国を非常によく表した映画なのだと、町山さんの解説をチョロっと聞いて知りました。なるほど。 素人の自分でも、映像技術が素晴らしいということはよく分かりました。 次はどんな撮り方をしてくるんだと、ワクワク。 観ているこちらを飽きさせない、工夫に富んだ映像の数々は影響を与えたどころか、現代の撮影方法を持ってしても敵わないような気がします。 当時こんなものをスクリーンで観たら、衝撃どころでは済みませんね。 映像・音響は100点満点でしょう。 登場人物が多くてこんがらがったのも事実。 何度も観て深めたい一本です。 市民ケーンの市民権 なんでもないです。
バラのつぼみ-ROSEBUD-
アカデミー賞では脚本賞を受賞したようですが、最も印象に残るのは編集や撮影の妙。亡くなった新聞王の過去を“バラのつぼみ”という謎の言葉を解き明かすためにインタビューを続けるニュース映画記者。インタビュアーの姿がまったく印象に残らないほど、インタビューに答える元妻や同僚たちが引き立たせているのもドキュメンタリータッチにするためか。その過去のエピソードが年代もバラバラに扱っている編集と、全てを演じ分けているオーソン・ウェルズの姿が面白い。この編集者が『サウンド・オブ・ミュージック』や『ウエストサイド物語』のロバート・ワイズだったことも興味深い。 撮影でも、後の『第三の男』に使われる影の多用。不自然なくらいにウェルズ本人に影がかかったり、奥行きの深さを出すためだけに影だらけの手前の人だったり、特撮のような効果さえ出していた。 大富豪になり、何もかも手に入れることができた男の人生。しかし、そこにはポッカリと空いたピースがあるのだ。それが妻の愛か、亡き母との思い出か、それとも市民の心だったのかはわからない。州知事選で敗れたことで、直前の情事が暴かれた事実があったにせよ、その空虚・孤独がケーンの心を占めたに違いない。何もかも思い通りにできると思い上がりは見え隠れするものの、正直であることが彼の信条。ところが、やはり何もかも手に入れた後に、足りないものに気づかされたのだろうか・・・エンディングの焼却炉にくべられるガラクタ美術品の中から子供時代に遊び親しんできたソリに“ROSEBUD”の文字がくっきり浮かび上がる映像が凄い。 それにしても何度も登場する“城”。権力や財産の象徴であるかのような大邸宅ザナドゥに圧倒された。モンゴル(元)皇帝クビライ・カーンの作った都が語源。ミュージカルや色んな会社の名前にもなっているけど、今ではビル・ゲイツの私邸が「ザナドゥ2.0」と呼ばれているらしい。彼もまたケーンのような孤独を感じているのだろうか・・・と思ってたら、昨日離婚したらしい。
見返す度に、いろいろな思索にはまってしまう。中毒性のある映画。
「No.1映画」と紹介される作品。 でも、余程の映画通でなければ、初見では「どこが?」となる。 まるでこの映画の主人公のようだ。 新聞王・広大で豪勢な(ノアの箱舟にも比される)館の主・世界で〇番目の金持ち。権力をふるい人や世間を思うがまま操った人物。人がうらやむ成功者。だが、その実体は? 一人の男の一生をたどる旅、「薔薇のつぼみ」というキーワードでひっぱる。面白そうな設定なのだが、「No.1映画」として期待すると、今一つ面白くない。 何より、人たらしのウェルズ氏がコミカルに演じている人たらしな男の話のはずなのだが…。 エンタテイメント的な面白さを期待すると「つまらない」になってしまう。 しかも、特殊メイクが発達していない頃の作品。若干20代のウェルズ氏が、老年まで演じるのだが、メイクや体の恰幅の良さを出すため?力士の着ぐるみ着ているようで動きがぎこちなくて、せっかくの名演を殺してしまって…。 でも、何度も観ているうちに、初見では軽く見過ごしてしまったところが見えてきて、解説等も参考にすると、そこかしこに唸ってしまう箇所等、宝の山だらけ。 今普通に使われている撮影技法や演出等を始めて採用したのだとか。 ああ、専門家に評価が高いのが納得してしまう。 でも、そのような技法だけではない。 テーマ。 人の一生は所詮スノードーム?欠けている何か。生涯かけて取り戻したいもの…。 成りたい自分と、期待される自分、そして成った自分。そのせめぎ合い。 虚と実。「あなたは約束守らないでしょ」なのに、表明したがる”宣言”と”公約”。 中身がない、何も実のある事を言っていないのに、立派なことを言っているようで。しかもそれをありがたがる大衆。 世論操作。ちょっとしたきっかけで変転する大衆が信じる”真実”。 パズルの一片。そして全体像。 何が重要で何がガラクタなのか。その人にとっての価値。他人から判定される価値。 等々、万華鏡のように、鑑賞者がどこに焦点を当てるかによって、様々なイシューが立ち現れてきて、心と思索の罠にはまってしまう。 きっと、これからも観返す度に、上記に上げたこと以外にも、もしくは上記に上げたことでも感じ方・考え等が変わっていくのだろう。 まるで、深淵なる哲学書を紐解くようだ。 そして、工夫を凝らした映像。 ホラー的な映像で始まり、何が起こるのか期待値を高める冒頭映像。 スノードームのガラスの破片越しに見えるドア・看護師の動きが、とても意味深…。 リーランドから歴史的に価値があるともてはやされた後の、ひきつった笑顔が表現するもの(これはDVDの特典映像で、ウェルズ氏が意図を語っている) 同じシチュエーションで物語る年月。最初の妻、二番目の妻との関係性の変化。 スーザンの顔に移る影で表現する牢獄。 アリスの世界に誘われそうなドア、鏡。 梱包されたままに放置されたものの間を蟻のようにうごめく人間たち。 一つ一つのシーンを止めて”研究・鑑賞”したくなる数々のシーン。 解説者が必ず例示する有名なシーンでも、その人なりの発見(意味付け)がありそうな。 まるで、おもちゃ箱。 興味が尽きることがなさそうだ。 そんな興味深い映画で、人たらしのウェルズ氏が作って演じているのだからおもしろいエンタティメントになるはずなのだが、 ケーンの、そこまでするかというパワハラ・モラハラ度が前面に出すぎてしまって、その奥に隠れている空虚さ・わびしさはわかるが、カタルシスが得られる流れになっていない。 実在の人物をモデルにしていると言われているが、リスペクトがまったく感じられずに、コケにしているようにも見える。 世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男の、隠された内面の叫びを映画を通して体験できたと思える時と、 世間的にもてはやされ、何もかもを手に入れた男だが、内面は、空虚感に支配された、ガラクタ(芸術品でも梱包されたままならガラクタ同然)だけを手にした、つまらない男というオチにも見える。 ベビーフェイスを活かした、もっと魅力的な男としてのキャラクターを出した場面と、そうでない場面を見せてくれればいいのに、どの場面を見返しても、唯一の味方?理解者?のバーンステインの回想場面でさえ、ケーンのいやらしさがまき散らされていて、ケーンに共感できない。 だから鑑賞後感が悪くなる。 どうしてこんな風に作ったのだろう。 『マンク』を見ると謎が解けるらしい。
MANKに備えて『市民ケーン』を鑑賞。 こんな映画だったのね。一般...
MANKに備えて『市民ケーン』を鑑賞。 こんな映画だったのね。一般市民が立ち上がる的な話と思ってたら大富豪なのかー。 ぶっちゃけそこまで面白くもなく。 ローアングルや過去を複数視点で振り返る構成が当時は斬新だったそうだけど今だと当たり前すぎて。 逆にそれだけ影響を与えた作品なんだろうな。
けっこうよかった
高校の時にリバイバル上映で見た時は歴代1位の大傑作というので期待して見たせいか、全然ピンとこなかった。改めて『マンク』を見るに際して、アマゾンプライムビデオで見たら、なんと里親映画だった。実のお母さんの計らいでいい教育を受けられたのにも関わらず、愛情に飢えてしまうのは、親元から離れるのが早すぎて愛着障害があったかのような描かれ方だ。
構成、撮影、照明、編集のあの手この手のテクニック
『Mank』を観る機会があるかわからないが。冒頭はこのままいったらどうしようと途方にくれたが。話が始まると色々気にかける余裕ができて安心した。 故人の過去を探るパターンね。この辺は『Mank』を観ると印象が変わりそうな気がするが。調査側がほぼ没個性になっているのは意図的なのだろうか。 あとはもうウェルズが繰り出す手練手管にひいひい言わされるだけ。構成萌の変態さんにはおすすめ。モノクロだからより強調されるのかもしれないが、光と影のコントラストが強めで印象に残る。シーンの切り替え方や時間経過の処理の仕方とかもバリエーションをつけて楽しい。 構成はもっとめちゃくちゃやっても(むしろ過去に遡るとか)よかった気もするが、後出ししてる身では偉そうになんとでも言えるしね。 覚悟していたよりも面白く見ることができたのでよかった。
孤高の一面と裏面
『Mank/マンク』を見たので、やはりこの作品が無性に見たくなる。 オーソン・ウェルズの監督デビュー作にして、製作/主演、ハーマン・J・マンキウィッツと共に脚本も兼任。 映画史上不滅の、1941年の名作。 新聞王、チャールズ・フォスター・ケーンがこの世を去った。 生前は幾つもの新聞社を経営し、多くの女性と浮き名を流し、富と権力を欲しいままに。 が、晩年は廃れた大邸宅に引きこもり。最期の言葉、「バラのつぼみ」を遺して…。 ニュース映画の記者たちは、その意味を探る。 そして明らかになっていく、“一面”では知り得なかった新聞王の本当の“裏面”…。 本作も見るのはかなり久し振り。 改めて見ても、オーソン・ウェルズという天才の才能に圧倒される。 まず、まるでホラー映画のような、カメラがケーンの古城に迫っていくシーンにゾクゾク。 そして謎の言葉「バラのつぼみ」を遺して息絶えるケーン。 これだけでもう、掴みはばっちり! 記者たちがケーンを知る関係者たちに接触して話を聞く。語り出される関係者の証言。 こういうの、我が日本クロサワの『羅生門』が有名だが、それよりも9年前! 記者たちの現在とケーンの人生が交錯。当時としては大胆にして複雑な構成。 パン・フォーカス、長回し、ローアングル…多彩な撮影法は作品に力を与えているかのよう。 …しかしこれら、現在の映画ではどれも当たり前。 そう、その先駆なのが『市民ケーン』と言っても過言ではない。 モデルとなった新聞王ウィリアム・R・ハーストの逆鱗に触れた。 無断でモデルにされ、喧嘩を売られたからか。 プレイボーイで、権力に溺れる傲慢な男だからか。 実際Wikipediaで調べてみると、ハーストはそんな人物。 それらもあるだろうが、別の理由もあるのではないだろうか。 “一面”では知り得なかったケーンの“裏面”。 孤独で、愛を欲していた男。 傲慢な権力者からすれば、侮辱だ。 しかし私はこれで、ケーンに人間味を感じた。 例えどんな莫大な富を築き、絶大な権力を握っても、本当に欲するのは… 彼もまた一人の人間。 …いや、我々以上に哀しい人物。 記者たちが結局分からずじまいになってしまった“バラのつぼみ”。 最後の最後に明かされる。それもまた彼が秘めたるもの…。 『市民ケーン』と言うとどうしても、オーソン・ウェルズ(とハーマン・J・マンキウィッツ)がウィリアム・R・ハーストを“叩いた”作品の印象。それは『Mank/マンク』を見ても。 しかし改めてこうして見て… 権力者叩きじゃなく、一人の孤高の男のドラマチックな生涯。 ひょっとして、オーソンもマンクもそこに自分を重ねたのでは、と。 だからこその“自分の最高傑作”“自分にしか書けない物語”。 改めて見て良かったと思う。
オーソン・ウェールズという人
ホドロフスキーの『dune』インタビューでその怪物オーソン・ウェールズの逸話を耳にしたが、作品を一度も見たことがなかったので 『第三の男』『市民ケーン』と観賞 若い頃はいい男だったのだな… しかし、あのいかついドスンとした姿は有名人らしくすぐに思い浮かぶが、何をした人かよく知らない…と首をひねって思い出した!英会話の人だ、CMで見てたんだ…(笑) 傍若無人な25歳オペラ好き、演劇人の作る映画 アイディアてんこ盛り、やりたい放題、手抜きなしの夢の映画? 良いと思います👏🏻 ただ、テーマの「バラのつぼみ」が鮮明じゃないね〜 ソリとバラのつぼみがそり合わない、ソリだけに…
手の込んだ映像にしっかりと語らせる天才監督に感心
最初見た時は良く分からず、結局3回見ることになった。3回目で、ようやくガラスの球が元々2番目の妻の持ち物であることを示す映像を見つけた。そう彼女が元々持っていたものだが、ケーンにとっては、球の中、雪景色の中の一軒屋に意味が有る様に思える。 最初に出てくる球の中そっくりの一軒屋で、そりで遊ぶケーン。そのそりについていたのが、ローズバッドであることが観客には燃える暖炉の映像で最後示され、観ている人間 に謎が明かされる。 死に際と、妻に去られた時に思い出したのは、愛をひたすら求め叶わなかった家族3人での暮らしということか。そう読解したのだが、ただ、どうもすっきりと腑には落ちていないところも少し有る。 愛されることだけを求めて、本当に愛することを知らない。上昇志向で、闘うだけで、妥協することや折り合うことを知らぬケーン、市民に友人に二人の伴侶に見放され孤独な、可哀想と言われてしまう大富豪の末路。これって、やっぱり安易なアメリカンドリームの痛烈な批判ということか。結局、成り上がりきった人間が最後に想いをはせたのは自分のルーツであったというストーリーなのだろうか。 成り上がる渦中のケーンを演じるオーソン・ウエルズは、下から見上げる映像も相まって、俳優として抜群に魅力的で、将来の大統領候補にも十分に見えてしまう。勿論、看板から天井突き抜けて降りるカメラワークや集合写真のはずが動き出す等、幾つかの映像は本家ということでか、さんざん真似されたとは言え、今でもなお印象的。また、脚本家及び監督としてこれだけの複雑な手の込んだ完成度の高い映画を作り上げた彼の年齢が25〜26歳ということでも、驚愕。まさに天才的映画作家。ただひたすら感心はするが、感動は覚えないのは何故なのだろうか。
わからん。。
私のこの点数は善し悪しとかじゃなくて自分的にハマったかの指標なんだけど、この4.0をつける時は普通に面白かった時と、よく分からなかったけどこの作品に3点台とか失礼、という意味があります。この作品は後者でした。町山さんの解説聞いて勉強してからもっかい見ます。.
新聞社を経営し、政治活動も活発に行い、晩年は1人の女優に入れ込み大豪邸に住んでいたじいちゃんが「バラのつぼみ」という言葉を最後に亡くなり、その意味を調査しながらケーンの人生を描く話。
.
最初に言ってしまうと「バラのつぼみ」という言葉は、ケーンを表すパズルのピースにすぎない(劇中で誰かが言っていた)。この映画、調査のために、仕事仲間やケーンが愛した女優などいろんな人が出てきてケーンの話をするけど
、それぞれが見たケーンが描かれているだけ。
.
人は色んな面があるし、100人いれば100人分のケーンの話がある。皆同じ話はきっとしない。そういうことを「バラのつぼみ」という言葉が表してたんかな。シャレてるな。
「Mank」とセットで観て、その真価が分かる。
当時、ハリウッドの中では、この映画の ケーンが誰を指しているか周知の事実だったが 故の脚本賞だったのでしょう。(T . T) 映画ファンのオールタイムベストでほぼtopに 来るのも、それが理由ですね。 その裏側を知らない人にとっては 映像表現はとても素晴らしい事は分かりますが 古今から良くある「金(KANE)より愛」映画と しか思えません。 自分も途中から相当、眠気との闘いでした。 (><) しかし、「Mank」を観ると、どれだけの 深い思い、人生の葛藤、紆余曲折があって、 この脚本が書かれたのか、映画会社を敵にまわしても この映画を世に出さなければいけない理由が 分かりました。 当時のハリウッドの赤狩りの風潮、 大統領選も絡んだ権力争い、映画会社の横暴、 ナチスの台頭、ユダヤ人の保護など、改めて マンキーウィッツの人生を賭けた作品であった 事に対しての高評価でしょう。 m(_ _)m そして、この作品を映画として、最高の技術と センスで世に出したオーソン・ウェルズの才気(鬼)に 脱帽です。 黒澤監督の映像センスは近いものを感じました。 今、観ても斬新なカットだらけです。 ^ ^ とにかく最近の映画ファンにとっては、 「Mank」を観ないとこの映画の真価は 分からない、と言えるでしょう。 まあ、本当に優れた作品は予備知識なしで 子どもが観ても心に残る作品だとは思いますが、 予備知識も含めて映画の歴史に残すべき作品だと 思います。 当然、「Mank」とセットで残さないといけませんが。 f^_^; 結局、人生の真実なんて、他人には分からないもので ローズバットが子ども時代のソリに書かれている というのも、本当の意図は別にあったという事。 そして、 時代の流れに飲み込まれ、権力に流される風潮の 中で、虐げられ犠牲になった友人たちの仇討ちの 思いが、マンキーウィッツの才能を最高に引き出し、 歴史に名を残したという事。 を忘れないように、次回もまた映画館で観たいと 思います。^ ^ 「Mank」の制作人、Netflixにも感謝! m(_ _)m
ガス灯のガス
"偉大な映画"と呼んでもおかしくないほどに影響力を与えた作品。 『Mank』に備えて鑑賞しました。 とある絶大な影響力を持った大富豪であるアメリカ市民、ケーンが死に際に遺した「バラのつぼみ」の意味を知るために新聞社がケーンについて調べる、といったストーリー。 ケーンの一生と現代パートで構成され、最初の方は時系列が行ったり来たりすることに気づかす、ノーランの『プレステージ』を初めて観たときのように「ん?今どうゆう状況?」ってなったけど、構成に気づいてからは一気にひきこまれた。 今作が高い評価をされる理由の一つである撮影はやっぱり凄かった。 窓越し、鏡越しの撮影や人物の動きに合わせてしなやかに動くカメラワーク。 不気味な予感をさせる低視点配置や、画面に引きつける上からのショットなど… 現代こそ普通に使われているけど(特に韓国の作品にはよく見られる)それを1941年、約80年前にやってしまうことはやはり凄いと思う。 でも何よりも凄いのは監督、主演を務めたオーソン・ウェルズ。 この野心的な映画構造はもちろん、ケーンの青年期~死までを全て一人で演じきったこと。若い姿と年取った姿はパッと見だけでは違う役者だと思ってしまうし実際違う役者かと思ってた。 役作りまでもこだわるオーソン・ウェルズは調べなくても分かる。完璧主義者だ。 あと技術だけじゃなくてストーリーもなかなか深い。 "バラのつぼみ"の意味を知ったときは 「ほー…」ってなった。(語彙力) ただやはり物足りない感は感じたしもっと深くできそうな気もした。 まあ未熟者である私の感想なんであんまあてにはならないと思うけど。 年取ってからもう一度観たい作品でした。
冒頭のオブジェの謎解き
新聞社経営で巨万の冨を築いた経営者の人生を回想で描く。 最後に発した言葉「バラのつぼみ」とは何だったのか?というセンタークエスチョンに観客を引き付ける。巨万の冨を得られたが、結局、愛は得られなかったという展開。 新聞記者が生前の主人公を知る人物を取材して回想する展開。最後に「バラのつぼみ」と書いた少年期で遊んだそりが燃やされていくエンディング。構成力が高いと評価される所以。
素晴らしい功績を残したが…
映画における革新的な技法を生み出した名作中の名作。しかしながら、その素晴らしき技法をみっちり詰めこんだ作品に尽きたが故に、今日の観点から観てしまうと全く面白さを感じとることができないようです。でもそれはつまり、この作品が生み出した功績を我々は知らずのうちに全面的に享受していることを意味しているのです。 外側から窓を捉えたショットから、少しずつ窓に向かって近寄り、そのまま窓を通り抜けて内側を映し出す技法は、当時誰も見たことのない斬新な演出で後の殆どの映画に多大な影響を与えたようです。クレーンを使った撮影も当時はとんでもないほどの衝撃だったでしょう。高い位置から降下する没入感や、鳥にでもなったかのような強い衝撃と映像体験だったに違いありません。 ケーンがスキャンダルによって選挙に敗北した直後のシーンでは、カメラの視点が足元から見上げるようなローアングルで敗北感とマイナス的印象を与えていると同時に、ケーンの変わらない傲慢さを感じますし、オーソンウェールズの顔を映し出す影も、哀愁と孤独感を大いに漂わせる演出です。同じオーソンウェールズの「第三の男」なんてまさに影の映画ですしね。光と影の調整なんて、今日では絶対的に外せない超当たり前の技法で、ほぼ100%の映画で行われている演出なんじゃないでしょうか。 今では当たり前である映画的手法の生みの親みたいな映画だから、今の我々から観れば全然面白くないのは当然です… でもそれがかえって、この映画がいかに多大な功績を遺したのかを物語っているように思えます。
映像技術を極めた映画遺産の是非
”独創的な回顧の話術と全焦点撮影の持続的演出”(飯島正氏)の形式で構築されたオーソン・ウェルズ監督の強固で大胆な映画遺産。”現在ではもう消化されつくして目にもつかない”(同)が”オリジンの状態で探ってみる”(同)意義は大きいと思う。驚嘆すべきは、冒頭の報道フィルムのモンタージュ表現と編集力の素晴らしさ。英語の持つリズミカルでテンポ感あるナレーションの語調が、そのまま映像の流れに融合した感覚の鋭敏さ。「怒りの葡萄」の名匠グレッグ・トーランドの撮影、「ウエストサイド物語」の巨匠ロバート・ワイズの編集と、超一流のスタッフが25歳の魔人オーソン・ウェルズを支え映画技法を極める。 ある新聞王の生涯を追跡する使者は、彼の謎の遺言”バラのつぼみ”を解明出来ずに終わる。だが、映画は観客には暗示的に教えてくれる。富と名声を享受した偉人の満たされぬ愛の彷徨を衝いた劇的手法にある、単純で明快な人間洞察の結末をどう評価しよう。内容と表現の勝敗は明らかだ。余りにも表現が優れている。
全53件中、21~40件目を表示