シノーラのレビュー・感想・評価
全8件を表示
シノーラの用心棒
ジョン・スタージェス×クリント・イーストウッド。
共に黒澤明縁の西部劇を持つ監督とスターの初コラボ。1972年の作品。
西部劇のベテラン二人なだけあって、王道タイプの西部劇である。
米ニュー・メキシコの田舎町、シノーラ。
土地の所有権を巡って、白人とメキシコ人が対立を続けている。
そこへやって来た流れ者の男、ジョー・キッド…。
話の設定はもろ『荒野の用心棒』。
ジョーは些細なトラブルから留置所に。
が、保安官の助力と交換条件に釈放。
荒くれメキシコ人逮捕に向かうのだが…。
虐げられていたのは寧ろ、メキシコ人の方。
彼らを助ける側になり、横暴な白人や保安官らに怒りの銃口を向ける…。
弱者の立場になり、権力に対抗する様は、イーストウッドの一貫したスタイル。
これぞイーストウッドと言うべきアンチヒーロー。
対するロバート・デュヴァルもニヒル。
ガン対決やクライマックスの列車突撃アクションなど、スタージェスの演出もツボを抑えた娯楽作。
だけど、それ以下でも、ましてやそれ以上でもない。
娯楽作ではあるが、単調過ぎて物足りなさを感じる。『荒野の七人』のような躍動感、『OK牧場の決斗』のようなドラマチックさ、『荒野の用心棒』のようなインパクトに欠ける。ハリウッドでマカロニ・ウエスタンを狙って、薄味になっちゃった感じ。
人種の問題も絡めているが、白人側メキシコ人側双方に粗悪も目立つ。単純な勧善懲悪じゃない…って、そんな感じではない。
ジョーはメキシコ人リーダーに「法廷で闘え」と最もらしい事を言うが、結局は最後、暴力でカタを付ける。
ガンは法よりも強し…?
ジョン・スタージェス×クリント・イーストウッドで期待させるけど、少々肩透かし。
西部劇のビッグ二人によるプログラム・ピクチャーって感じ。
白人とメキシカンの土地抗争に巻き込まれ、1人だけカッコいいイースト...
白人とメキシカンの土地抗争に巻き込まれ、1人だけカッコいいイーストウッドを見せようとして失敗した作品。
なんかどっちつかずで全然カッコよくない。ラストは列車突入のアクションを用意したが、これも今ひとつ。
今まで見たイーストウッド作品では一二を争うつまらなさだった。
アイデア豊かに迫るジョー
クリントイーストウッド扮する賞金稼ぎジョーキッドは、シノーラで勾留されていたが騒動に乗じて自由になった。地主に雇われメキシコ人たちを追う事になったが、非道の交渉をする地主と対決する行動を起こす。非常にゆっくりしたペースでアイデア豊かに迫るジョー。
見え透いた言い訳映画
クリント・イーストウッドのマカロニでない西部劇、監督は名だたる西部劇の巨匠ジョン・スタージェスとくれば文句のつけようのないお膳立て、ところが何だこれ?
先ず主人公のジョー・キッドの人物像をぼかし過ぎ、お約束のさすらいのガンマンを嫌ったのだろうか、狩猟禁止地で鹿を狩って、裁判所に小便を掛けると言ったしょぼい罪で留置所入り、まるでちんけな流れ者かと思ったら小さいながらも牧場主だそう・・。それにしては腕っぷしと銃さばきは滅茶苦茶凄い。
土着のメキシコ人を騙して土地を取り上げる白人地主フランク・ハーランと山賊もどきの抵抗勢力の頭目ルイス・チャマの血みどろの抗争のようだがどっちもどっち、ハーランは罪もない村人を人質にとって非道の行い、チャマは知っているのに村人を助けにもいかない、「革命に犠牲は付きもの、俺が死んだら革命は誰がやるんだ」と開き直り、どういうわけかキッドの勧めで法廷で争うことにしたようだがシノーラの町で締めの銃撃戦、ハーランは死んだがチャマはどうなったのか・・。
要するに白人目線で作った映画、悪い白人は一部の者、現地人を助け法を順守する白人もいたのですよと西部開拓史の見え透いた言い訳映画でした。
スタージェス監督が撮った「スパゲティー・ウェスタン」は、法律上の問題を投げかける:合法性はいつも正義だとは限らない
黒澤監督の『七人の侍』を翻案した西部劇『荒野の七人』(1960年作)を撮った監督がJohn Sturges である。そのストーリーの大枠は原案通り、侍ならぬガンマンが農民を助けるという構図で、同じスタージェス監督によって1972年に発表された本作も、ある白人アメリカ人がメキシコ人農民を心ならずも助けるというものである。しかし、1964年作の「スパゲッティ・ウェスタン」の『荒野の用心棒』を知っている観衆は、しかもその主人公であるClint Eastwoodが本作の主人公でもあれば、当然本作でもイタリア製ウェスタンのタッチをイメージする訳で、実際本作は、アメリカ製にも関わらず、「スパゲッティ臭」がぷんぷんする。やはり、筆者には、イーストウッドが演じるところの、非道徳とは言えないまでも、期を見るのが早くて打算を働かせながらも、ある種のシニカルさを含ませた主人公キッドの振る舞いに何か惹かれるものを感じる。
さて、ストーリーが進むにつれて本作は少々辻褄が合わなくなるのであるが、それは、やはり本作が取り扱っている問題の二重性にあるのではないか。つまり、いわゆる「合法性」の問題である。映画の最初に、アメリカ国旗の権威の下、合法的にメキシコ人が貧困に貶められていく不正義が提示される。その不正義に「非合法に」反抗すれば、反抗した者は「犯罪者」になる。となると、犯罪者は法の下に裁かれはするが、本来的な不正義は依然として解決されず、合法的であるが、不正義状態はそのまま固定化される。ここにはいわゆる「法治国家」における社会的不正義を如何に止揚し得るかの問題が開示されているのである。ドイツ・ナチズム時代におけるユダヤ人迫害は、「人種法」という法律を以って「合法的」になされたのであり、民主的ヴァイマール憲法下の議会は、「授権法」という法律を以って機能停止に追い込まれたことを人は記憶に留めておくべきであろう。その意味で、本作の「善玉」がどこで「悪玉」をどうやって裁くか、とりわけご注目ありたい。
その大地主の「悪玉」を演じているのがRobert Duvallで、好演している。この卑劣な大地主に雇われて登場するガンマンたちも如何にも悪さ加減が滲み出ているのであるが、その中の一人、格好は付けているが間抜けのガンマンが一人いて、そいつがまた格好のいい銃をこれ見よがしに見せびらかす。銃器にはあまり詳しくない筆者も一目で分かる銃で、それがモーゼルC96である。独特な形状と、木製ストックを取り付けると代用カービン銃として使用できる点で、一度見たら忘れられない銃器である。なお、名前の「モーゼル」は、本来なら、Mauserマウザーと読むべきところ、これがフランス語読みされて「モーゼル」となるところ、ひょっとしてフランスの武器商人がドイツ製の武器を日本に喧伝し、それでMauserという名前がフランス語読みされて、その名前が日本で広まったのかもしれない。
法廷
メキシコ農民と白人地主との「土地所有権」を巡る争いに ジョー・キッド(イーストウッド)は巻き込まれる
腕っこきのハンターである彼は 人間の〈無駄死に〉も馬鹿馬鹿しいと思っているみたいなのだが、農民のリーダーも地主も神父もそれは考えていない
神父に至っては 聖ヤコブ(殉教者)について語ったりする…
それを嫌いながら やられたことは、きっちりやり返す彼が面白かった
西部劇は悪役の面構えが面白くて
ジェームズ・ウェインライト(ミンゴ役)が印象に残った
そして汽車がとても可愛かった
「法廷で戦え」に驚かされる
総合55点 ( ストーリー:30点|キャスト:65点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
イーストウッド演じるジョーは、迫害されているメキシコ人たちではなく彼らを追跡する悪徳そうな大地主のハーラン側につく。これでいいのかと思いながら観ていると物語はやはり転換していく。
追跡の後でジョーはメキシコ人のチャマに、撃ち合いではなく「法廷で戦え」と言う。しかしアメリカ人贔屓の法廷が役に立たないからメキシコ人たちは武装蜂起しているのに、どうしてチャマはそれに従うのが意味不明だったし、大地主のハーランもあっさりと同意する。
そしてまた長い道のりを経てわざわざ法廷に向かうのだが、ここで法律を使い裁判で問題を解決するのかと思ったが全くそんなことはなく、ただ法廷の前で銃を撃って殺し合いで解決するという結末に唖然とした。法廷で戦えというのは、銃撃戦をする場所のことだったのかとすっかりと騙された。わざわざ判事を冒頭に出演させて伏線をはってをおきながら、判事が作品中にまともな仕事をすることはない。ただ単に視聴者を騙すための前振りだった。法律は銃の前には全く無力だった。こんな脚本が許されるとは想定外だった。
よかった
クライマックスで列車がバーの壁を突き破って敵を退治するのがびっくりした。バーのマスターがそれほど怒っていなかった。それでいいのかなという気分になった。撃ち合いのシーンは敵の数がはっきりしていてよかった。
土地の権利が人命よりずっと重いようであった。それでいて法律を順守しようとしているのだが、その割に相手を殺す事に躊躇いがないので、なんで法律を守ろうとしているのかバランスがおかしかった。
全8件を表示