自転車泥棒のレビュー・感想・評価
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題名のせいで
題名のせいで冒頭からハラハラし通し。こんなハラハラどきどき苦しかった映画は今までなかったかも? 精神が持ちません!時々クスッと笑えたり、ホッとしたりもあったけど。子供がとても良い子だし、家族幸せになって欲しいと最後まで祈るような気持ちで観ました。おススメです。(ここからネタバレ)きっと自転車は犯人に迫って問い詰めていた間に、あの男に直前にどこかへ隠されたんだと思う。でもお父さんも息子もその現場を見ていなかった。あー悔しい! また川のシーンでは息子を階段の上に見つけた時、もう自転車を諦めるのかと思いきや、息子に食事を摂らせながら、いかに生計を立てる為、2年も待って得たばかりの職を失いたくなく、その為には自転車が必要なのかを子供に計算させながらしっかり現実社会を教えていたのにはすごいなぁと思った。
淡々と人間を見つめる視点。
世の中には何も救いがない。この映画で描かれる唯一の救いらしきものは、リッチの罪を、息子に免じて恩赦する人情。けれどもその人情でご飯が食べていける訳でもない。二人はただ暗い顔をするより他ないのでしょう。
人が生きるということにおいて、社会や宗教ということは個人にとって重要な、というか不可欠なシステムであることは言うまでもないと思います。個人の生活を守るために、社会システムは存在し、また個人の幸せのために宗教は生まれたものであるはずです。特に、日本人の僕が感じる宗教感よりも、当時のイタリアは、それまでの歴史に支えられたキリスト教への信頼があるはずで、そこについては僕が考えるよりもずっと強い結びつきがあると考えます。
けれども、社会も宗教も、リッチを救ってはくれない。
警察には「自転車は自分で探せ」と突き返される。占い師は全く役に立たない。
自転車泥棒になれる人間がいる一方で、なれない人間もいる。人を救ってくれるはずのシステムも機能していない。人を救うはずの神様もいない。人間が人間を騙し、疑い、追い詰められ、自らの不幸から他人を傷つける。この世に生きる汚い部分のほとんどが描かれているような気すらします。
けれども、決してそれだけが全てではない。苦しみばかりが続く中でも、ご飯を食べると美味しいし、誰かが無事でいてくれたことに対する安堵の表情がある。罪を許す寛容さを持つ人間もいる。些細なことではあるけれど、この映画においてはそんなことに大きな安心感を覚えるのです。苦しみばかりの中にある幸せは、相対的に見るとぐっと大きくなるのです。
案外、人生というものはそういうものなのかなと思ったりします。ネオ・リアリズモの大作と呼ばれている本作品をどう観たらよいか、僕が語るには難しすぎるものではありますが、僕なりに解釈するならば、この映画は事実の羅列。事実だからこそ、社会に向ける痛烈なメッセージは鋭い。
こんな人々がいるんだけど、いいの?というスタンス。
恵まれた人々は、単なる映画だからと、この映画に描かれた事実から目をそらすことができたかもしれない。そんな、受け取る人間の良心に委ねるような性格がこの作品にはあるような気がします。
リアルなものだからこそ、全く共感を持てない環境に生きる僕がこの映画から感じ取れるものは、公開当時に人々が感じたそれとは大きな隔たりがあります。それでも、無関心ではいられない何かモヤモヤしたものを残すのは、環境が違っても、原因は違っても、結局人間は同じような苦しみと幸福の中に生きる存在だということが、普遍的なものだから、なのかなと思います。
泣きたい
思いが詰まる。
最後の息子の手を強く握りしめて泣く主人公が堪らない。
今後の生活、家族の食い扶持の仕事が失われる恐怖。
警察はあてにならなくて、手を尽くして探しても
盗まれた自転車は見つからない。
方々を歩き手掛かりを見つけても逃げ出されて、藁を掴む気持ちで怪しい宗教を訪ねても無駄。
犯人を探しだしても街の皆がグルで罵倒されながらその場を去る主人公。辛い。
息子と一緒に料理店に行って美味しい物食べてワイン飲もう、なんてシーンは明るくて、
それこそ映画ならここから好転してもいいのに、現状は何も変わらないまま。
最後は自分が自転車泥棒になって、息子を見ての温情で解放される。
驚いたのは街の人の生活がそのまま切り取ったように描かれていたこと。
当時の時代が本当に描かれていたようなものなのかまだ分からない。
でも華美な演出はなく素直な日常、現実が描かれてるように感じた。
食事の席でも、向かいの席には富裕層が座ってて本当に夢見せてくれないところとか。
その富裕層の半分以下の月給でも主人公家族達にとっては生きていく為のお金。
泣きながら人混みに紛れてく主人公達に、
どうか明日も生きてほしいと思わずにいられない。
この手があれば、今日も生きていける。
絶望、胸がキリキリとしめつけられ痛くなる映画です。切ないなんて言葉では足りない。けれど、私にとっては、もうダメだと絶望につき落とされた時に頭を過る映画の1つです。映画の中には希望のかけらもないのにね。
「イタリア・ネオレアリズモの代表作」と聞いていたので難しそうだなあと敬遠していました。けど、そんな頭でっかちな評(評論家の方々ごめんなさい)なんか置いておいて、とにかく観てほしい映画です。
下記のような”あるある”感が”イタリア・ネオレアリズモ”? 丁寧に描かれています。素人役者と知ってビックリするほど。
自転車盗まれる前に鍵かけなさいって、その鍵買うのにもお金がいるんだよ。
食べることにも困るような、仕事もない不況でサッカーに興じているなんてさって、やることないから、その時その時に興じれる、盛り上がれるものに集中して発散しているんだよ。こういうのがないと暴動にも発展しかねないし。
ましてや明日は明日の風が吹く、アントニオみたいにせっかく手に入れた仕事だって、明日にはどうなるかわからない。だから一瞬一瞬に打ち込んで楽しむしかないんだよ。
コミュニティが皆でコミュニティの一員かばって、アントニオをボコボコにしてって、そういう結束力があるから無職になってもなんとか食べていけるんだよ。一人は皆の為に、皆は一人の為にってね。
という風に、赴任していた”発展途上国”と言われる国をそのまんま思い出すような”あるある”感満載の映画。
そんな背景の中で紡がれる物語。
「仕事に必要な自転車がない!!!」→「仕事に必要な●●がない!!!」→「失職する!!!」という恐怖感。
例えばデータがLOSTしちゃったとか etc…。人生で次々に遭遇する喪失感・絶望感。「ああ、このままじゃ破滅だ…」ムンクの叫びそのままの世界。その焦り・絶望・驚愕。
アントニオのパニックがわが身に降りかかる。なんとか挽回しなきゃと闇雲に放浪(探しているつもりでも論理立てて探せない)。藁をもすがるつもりで、頼りにならない人ー時にはかえって混乱させてくれる人々への相談。落ち着け自分、元気出せ自分とばかりに、かえって事態を悪化させるような行動をとってしまう。挙句の果てに…ああ、あれさえあればこの危機を乗り越えられる。視野狭窄。そして自分の首を絞めて、さらなるドつぼへ…。ああ。アントニオの行動そのまんま。
もうダメだ。どうしようもない。奈落の底に落ちた自分。生きていくことさえ苦痛になっていく絶望感。
古い映画ですが、アントニオはそのまんま、右往左往している今の自分。ここでも”あるある”感満載。
そしてラスト。
子どものブルーノが泣きながら、全てを失って茫然自失となっている父であるアントニオの手を握ろうとする。だが、父はその手を振り払い握らせない。情けなくって情けなくって、子どもの手を握り返せないのだろう。でも子どもは諦めない。何度振り払われても父の手を握ろうとする。そして何度目かに、やっと父はこの手を握る。その手を子が握り返す。そして今度は父はしっかりと子どもの手を握りしめ、二人は歩いていく。
この手がある限り、死んではいけない、そう思う。そういう映画です。観てください。
歴史的社会的傑作
自転車が盗まれたら生活が終わりだ。
放置自転車大国のいまの日本ではもう考えられない世界。テーマをいまの時代に当てはめて考えることは簡単ではない。
映画としてみるとまごうことなきネアレアリズモの記念碑的傑作。
映画というものの在り方、芸術というものの在り方を考え直させてくれる必須科目にある作品。
映画のリアリズムというものの凄みをこれでもかと学ぶことができる。
その表現の前では、「演技の技法」などというテキストも価値がない。
辛い現実
ようやく仕事にありついた男だったが、あっけなく自転車を盗まれ、失業の危機に直面する。何とか犯人を見つけようとするが、うまくいかない。最後、魔が差して自らが自転車を盗んでしまうが、息子の涙で警察沙汰になるのは免れる。
イタリアの貧しい時代、なんとも切ない親子の物語。
強く心に訴える作品
第2次世界大戦後のイタリアを舞台に、1台の自転車を巡る親子の姿を描き、戦後の貧困を浮き彫りにした映画。ネオレアリズモの代表的な作品のひとつ。
救われない。心に強く訴えるものがある。今の映画にはなかなかないねぇ。
敗戦国イタリアを浮き彫りにする圧倒的リアリズム
命を繋ぐための商売道具である自転車を盗まれた親子の目を通して敗戦国イタリアの現実を見つめたネオ・レアリズモを代表する傑作。
ドキュメンタリーのようなリアルなタッチとシンプルなストーリー、時折描かれる持てる者と持たざる者の描写や善良な心の葛藤は叙情的かつ素晴らしい深みを生み出している。
実際に当時のイタリアでこのような自転車泥棒は毎日のように繰り返されていただろうと今になっても容易に想像することの出来るリアルさがこの名作の真骨頂だ。
デ・シーカはその鋭い洞察力で当時のイタリアを他人を思いやることさえ出来ない世であったことを映画という媒体を通して伝え、映画の可能性を押し広げたと言える。
そして、その圧倒的な写実主義の映像は映画という枠を超え、今でもなお残るイタリアの格差問題を浮き彫りにしている。
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