「ブリジット・バルドーをモデルに創作された女優耽美映画の傑作」私生活 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
ブリジット・バルドーをモデルに創作された女優耽美映画の傑作
「死刑台のエレベーター」(1958年)で華々しくデビューしたルイ・マル監督(1932年~1995年)は、「恋人たち」(1958年)「地下鉄のザジ」(1960年)と傑作を立て続けに発表して、初めて外部から依頼されて今作を作り上げました。批評家から絶賛された、その20代の3作品も「地下鉄のザジ」が興行面で失敗して、予想していたとは言え少し自信を無くしていた時期になります。ハリウッドのメジャー、MGMが100パーセント出資の商業映画の監督を承諾したのは、当時のフランス映画のスター女優として人気を博していたブリジット・バルドーが主演するからでしたが、マル監督の友人たちからは関わらないほうがいいと忠告を受けていたと言います。彼女はとても難しい女優で悪名が高く、週刊誌のゴシップ記事の常連になっていたのです。それでも挑戦した制作動機をマル監督は、“セックス・シンボルとなり、スキャンダルの対象となる奇妙な社会現象としてのブリジット・バルドーを映画の中で再生すること”と述べ、バルドーを“フェミニズムの草分け的存在だった。政治的ではなかったが、男性的な生き方を選んだ人だった。このスキャンダルと論議の対象のバルドーは、ある人々にとってジャンヌ・ダルクであり、多くの人々の眼には娼婦と映った”と語っています。 『マル・オン・マル/ルイ・マル、自作を語る』(1993年発行 株式会社キネマ旬報社) より引用
ブリジット・バルドー(1934年生まれ)は、15歳でファッションモデルを務め、これが切っ掛けとなり映画界にスカウトされ、初出演映画のロジェ・ヴァディム監督との交際を両親に反対されて自殺未遂、その後18歳で結婚するも22歳で主演した「素直な悪女」の共演者ジャン=ルイ・トランティニャンとダブル不倫のすえ離婚して、更に別の男性の子供を出産し結婚しました。この私生活の経歴を参考に、バルドーの半自伝的な特質をもつマル映画が生まれた訳です。スクリーンのバルドーは、妖精的な幼さと成熟した女性の両面を持つコケティッシュ(可愛らしい色気)な魅力に、自然体でわがままなアンニュイ(物憂げ)な雰囲気が加わり、ある種の神々しさを備え、魔性の女性として存在しています。普通の女優では映画界から追放されてもおかしく無い男女関係の乱れを物ともしない、不思議なフランス女優でした。これは、この時代の男性に従順な女性の価値観に影響を与えたと想像できます。結果論として1960年代の男女平等の概念を先取りしたことは、バルドー本人の意識下には無く、映画界やマスコミのジャーナリズム隆盛の社会背景が大きく影響したとも言えます。フェデリコ・フェリーニの「甘い生活」(1960年)に登場するカメラマンの愛称としてパパラッチという言葉が生まれたのは、それだけ執拗な追跡による有名人の取材写真が新聞や週刊誌の販売数に反映されていたからでした。大衆の話題に応える商業主義が、その対象となるスターや有名人の私生活をスキャンダルとして盗み見る。これを利用し興行に活かす映画界は、マスメディアと相関関係にあったのです。
スイスのジュネーブでバレエのレッスンをしているジルは、ボートを操縦してレマン湖の湖畔にある邸宅に帰る。上流階級の裕福な生活をタイトルバックにした奇麗な導入部では、振付師ディックと仲睦まじく見えるも、バレエ仲間で親友のカレラの夫ファビオに一目惚れしてしまう。彼に会いに雑誌編集の印刷所に行き待っていると、仕事を終えたファビオはジルの存在を忘れてそのまま姿を消す。このシーンが素晴らしい。照明を消された暗がりに一人残されたジルが黙ってファビオを目で追い駆ける淋しさ。イーストマンカラーの淡い色調と暗がりに射す僅かな光が絶妙なアンリ・ドカエのカメラと、繊細に女心を謳うフィオレンツォ・カルピのピアノ曲。恋人でないディックとは仲の良い男友達の関係に過ぎなく、そんなジルの心の隙間に入り込んだファビオへの想いが伝わってきます。それまでにファビオを見つめるジルを二度程ストップモーションにしたモンタージュがここで意味を成してくるマル監督の演出でした。興味を示さないファビオを諦め、ディックとパリに駆け落ちしてバレエを続けても本気になれないジルは、結局ディックとは喧嘩別れしてモデル業をすると、運よくスカウトされてスクリーンテスト。3年後にはスターになって恋人も次ぎから次へと替えてスキャンダル女優になっています。アフレコのスタジオシーンでモンタージュされるのは、新聞に取り上げられる記事の挑発的なタイトルばかりです。プロデューサーから私生活の乱れを叱責されるジルを乗せた車が横断歩道で止まり若者たちに見つかるシーンでは、ジルのヘヤースタイルを真似た女性たちが街に出没し、男性に媚びない女性のシンボルとして社会現象になっていることを示し、朝帰りの自宅アパルトマンのエレベーターのシーンでは清掃係の婦人から、さかりのついたメス犬と罵声を浴びせられる。新聞の記事でしか知らない高齢の女性にとって、男を手玉に取る生き方が許し難く、裸で金儲けしている女性への嫌悪感もある。パリの高級アパルトマンのクラシックなエレベーターの個室を生かしたシーンでした。このシーンを女優として演じるブリジット・バルドーの覚悟も凄い。自分では制御できない世間の異常なまでの熱狂ぶりに疲れ果てるのは、人気スターの宿命です。パリを逃れ生まれ故郷ジュネーブに帰り、ひとりファビオを訪ねるシーンもいい。事務所にいるファビオを見つめ決して声を掛けない。暗がりのなかジルに気付くファビオと明るくなって驚く周りの男たち。ここでも暗がりと光を巧みに使ったアンリ・ドカエの映像美がマル演出と見事に溶け合っています。
バルドーをモデルにしたスキャンダル女優の私生活を耽美的な映像でまとめたこの映画の唯一の欠点は、共演したファビオ役の名優マルチェロ・マストロヤンニ(1924年~1996年)のキャスティングでした。撮影以外のセットでバルドーとマストロヤンニは、ほとんど言葉を交わすことが無く、再会して熱烈に愛し合うジルとファビオの演出に大変苦労したといいます。マストロヤンニが役の降板を訴えても、クランクアップの期限を守らざるを得ない大手資本の映画制作の縛りから撮影強行した結果は、やはり何となくでも映像に表れるものです。但しマストロヤンニの演技力で乗り越えたのも事実。それは映画後半の微妙にすれ違うジルとファビオの設定に噛み合っていく流れで証明されました。
ジルが母親の愛人グリシャに伴われて、恋人ファビオが舞台演出するイタリアを訪ねる後半のロケーションが素晴らしい。スイスのジュネーブからイタリアのスポレートにまで追い掛けてくるパパラッチの執拗な取材が、ジルを精神的に追い詰めていきます。このスポレートは、ローマから北に約100K離れたペルージャ県にあり、古代に起源を持ち中世には中部イタリア一帯を支配した古都とあります。1958年から始まったスポレート音楽祭が有名で、演劇の野外劇場をロケーションにした効果が充分に発揮されました。スターを付け回す群衆とパパラッチがジルの自由を奪い、古い貴族の館の部屋に閉じこもる彼女はまるで籠の鳥のようです。ラスト、ファビオ演出の野外演劇を一目見ようと屋根に登るジルにパパラッチのカメラのフラッシュが光を射す。ベルディの『レクイエム』で送られた死の舞の美しさ。ジルは自分に正直で大人に媚びる健気さは無かった。世間体に左右されない自分の生き方を貫き、それで映画スターの地位を得たが、同時にその私生活が批判と注目を浴び、光に照らされて人生を終える。儚いスターの末路のジルを演じたブリジット・バルドーはジルにならず潰されず、その後も活躍を続けました。
アンリ・ドカエが後年語ったのは、撮影でたずさわった作品のラストシーンのベストに挙げていたことです。「死刑台のエレベーター」でもなく、「大人は判ってくれない」「太陽がいっぱい」「シベールの日曜日」でもない。映画史に遺る名作のラストシーンを凌駕する、このドカエのラストシーンを観るだけでも価値がある、ルイ・マル監督29歳の女優耽美映画の傑作でした。
