「恐怖の回想」地獄の黙示録 Moiさんの映画レビュー(感想・評価)
恐怖の回想
感想
アメリカの威信が大きく失墜した戦争、それはベトナム戦争である。アメリカ参戦の理由は国家の利権拡大と、防共有きのイデオロギーの拡大であった為、戦争の意義を最初から国民は見出すことが出来なかった。当時、アメリカは皆徴兵制を牽いていた。
戦争の始まりは古く、フランス植民地復権をかけた、第二世界大戦後のインドシナ紛争まで遡る。
1954年フランス撤退後、ベトナムは南北に分裂。アメリカが極めてほぼ内政干渉に近い形で南ベトナム共和国を樹立、この頃より、軍産複合体が議会、政府に働きかけ、積極的に財政的軍事的支援を強化して行った。
1961年、JFKが大統領になり、派兵数は1万5千人を超える。人道的な面から一旦ベトナムからの一時撤退を画策するが、1963年、テキサス州ダラスで遊説途中に暗殺。それ以降、政府(大統領?)は軍産複合体と結託し、軍は増派の一途をたどる。最大派兵人数は約55万人にのぼり、1975年に撤退するまでに約5万8千人の戦死者を出した。
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映画は特殊任務をベトナムで遂行している、アメリカ軍人の男の視点で物語か進んでいく。サイゴンのホテルの一室で任務の指令を待つ男。薬物中毒者のように挙動が明らかにおかしい。この時点で精神的に病んでいるという事がよくわかる。男の名はウィラード。
何日か経過し、ある日突然、ニャンチャンに置かれているアメリカ陸軍情報本部に出頭命令が来る。そこで下された指令はカーツという元アメリカ軍人を抹殺しろという指令であった。罪状は殺人。元は優秀な軍人であったが、ベトナムの地で特殊部隊に入ってから精神に異常をきたし、カンボジアの奥地で彼の事を神と崇める現地人の軍団を率いて、絶対服従を誓う彼らを意のままに動かしている。さらに数人のアメリカ軍の現地人スパイを二重スパイと決めつけ独断で処刑したという。
東南アジアの戦闘中の異国で、ベトナム人を殺した罪でアメリカ人を殺すという異常な秘密指令に、ウィラードは戦慄する。また情報本部の司令官たちはアメリカ人が常軌を逸して自分を神として行動しているカーツを人としていささかの容赦の余地もない人間なので秘密裏に殺せと断罪する。ここから、ウィラードの地獄への本当の旅がはじまる。
メコン川を特殊艇で遡り、途中、第一航空騎兵団に護送を依頼、さらに分岐点の奥のヌン川に入り更に上流のカンボジアに入りカーツの王国を目指す。
その間、カーツの経歴書に目を通すウィラード。そこには栄光に彩られた数々の叙勲が記され、完璧すぎる見事な経歴に困惑の度合いがさらに深まる。しかし、資料を読み終わる頃にはカーツが殺したベトナム人スパイは北に加担していた、本当の二重スパイである事が判明してくる。罪人告発は不当であり、正しい事をした人間を抹殺しようとしている事に気がつく。
特殊艇は分岐点のド・ラン橋まで進んでいく。それまでにウィラードは地獄に生きる様々な人間の姿と行動を様々な場面で目撃していく。
ヘリコプターでベトコンの主要地区を空襲、森をナパーム弾で焼き尽くす。
航空騎兵団隊長のキルゴアは言う。
朝のナパーム弾の焼き尽くすガソリンの匂いは格別だ。焼かれた跡には何も無い。ただガソリンの匂いと黒焦げの地肌があるだけ。そこで勝利を確信するのだ。と。
戦場という地獄で命懸けで生きる彼等は皆、外見はまともに見えても心の中の真実と脳内は全て破壊されていて、まともな考え方はできない。全てがまともなようで実は異常なのだ。全ての行動が、狂っているのだと気付いていく。
キルゴアは言う。この戦争もいつかは終わるー。
しかし、ウィラードは独白する。
たしかに、戦争は終わる。だが、戦争が終わって故郷に帰っても、もう元の故郷はないのだ。
俺は知っているー。
地獄からは誰も生身では生還出来ない事をー。
キルゴアの異常性が許され、カーツが責められるのか。狂気と殺人が理由?この場所(戦場)には狂気と殺人は有り余るほどある。
ド・ラン橋では、誰もが現実逃避のため、麻薬を使用しており、意識が朦朧として、指揮官も不明、誰が何処で誰と戦っているのかもわからない混沌とした国境守備の場所であった。
特殊艇はさらに河を遡る途中、現地民族、ベトコンさらには南ベトナム人、恐らく何人かのアメリカ人をも殺害したと思われる頑なに自分達の利権の領有を主張する、フランス人入植者の一団に出会う。今では時代遅れとなった植民地主義の終焉をウィラードはあらためて目撃する。
途中、ベトコンやカーツの王国の一員と思われる集団の襲撃を受けて、グリーンとチーフが命を落とす。それでもウィラードは任務を遂行し、カーツの支配する王国についに到着し、ついにカーツ本人に出会う。
カーツはウィラードが来ることは既に察知していた。ウィラードは暫く囚われの身であったが、死にかけたところを介抱され、一命を取り留め、放任される。カーツは自分が創った王国に自分自身嫌気がさし、潔く名誉の口実と共に死ねる機会を探していたのだ。この世界に生き続けることが恐怖であるという。ウィラードは逃走する事もできたが、最後には彼の希望通り(名誉の戦死、または予言の通り)、カーツをバイラムの祭事の夜に牛刀で殺害する。
その行動そのものが最たる恐怖であった。
カーツが残した書類の中に、『私が死んだらこの場所を爆撃で破壊しろ』という走り書きを発見する。望みのままウィラードは爆撃依頼の無線連絡をしてランスと特殊艇でその場を離れる。暫くして辺りは猛烈な炎と火柱が立ち、地獄の様相を呈し物語は終焉を迎える。
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実質的に北ベトナムに敗北した事により、アメリカの世論は大きく変わり、国民も自信を喪失、黒人公民権運動、ヒッピームーブメント等、文化にも大きな影響を与え、様変わりしていった。
アメリカ映画も御多分に洩れず、アメリカンニューシネマムーブメントがベトナム戦争をきっかけとして学生運動を展開していた人々やヒッピー達にに支持され、アンチヒーロー、ヒール、アンハッピーエンド、不条理な結末、といったストーリー展開が持て囃された。
1970年代初頭までは大手の映画会社はムーブメントを無視、ロジャーコーマン(B級映画の帝王。自分史的にはB級SF映画の神様である。)などの独立系の映画会社で新進でキャリアを磨いていたマーティン・スコセッシ(タクシードライバー)やコッポラ達は制作費捻出に苦労したが、コーマンが映画会社、あるいはスポンサーに掛け合い資金を自身で調達したというトリビアがある。
本作はアメリカンニューシネマムーブメントの最後かつ最大の製作費をかけた映画で、監督のコッポラはゴットファーザー三部作を監督し、巨額の収入と名誉を得たが、後に、国民感情的にも、政府にも、精神破壊と世界のリーダーたる威信を大きく失い、低迷したアメリカの悲劇を描くために、そのほぼ全額を様々な理由で撮影、制作が難航した本作に投入したとされる。それでも総製作費の半分程度にしかならなかった。残りは配給元のユナイトとヘラルド(主に日本ヘラルド)が出資したという。
本作は1979年に完成、世界公開されたが、公開当時はまだ様々な戦争の余波が残っていた頃で、余りの生々しい描写が賛美両論であった。時が経過して現在は概ね批評家の間では高評価を得ている。
映画は世界的ヒットを記録。製作費は回収され収益が出たのち、撮り貯めたフィルムで全長版や、特別編集版が制作された。
日本政府、日本人はベトナム戦争に関しては基本的に傍観者の立場で見ていた。ヒステリックな左翼は騒いでいたが、戦争のショックはアメリカ人ほどはは強くなかったであろう。人間のエゴや愚かさがよく反映された反面教師的な映画である。困難に逢いながら、創り上げた監督とスタッフを賞賛する。◎
脚本・配役◎
名匠ジョン・ミリウスがクレジットされている。元となった原作の映画化の版権はジョージ・ルーカスとジョン・ミリウスが所有していたとされる。配役も超大物から、ほぼ無名の若手俳優として出演、後に大スターになった方もいて面白い。
1980年3月にテアトル東京で初版を鑑賞。その後も追補版が出る度、TV放映する度に鑑賞。観る年齢により感想が変化する作品。
⭐️4.5
素晴らしいレビューです。本作は初めの高揚感(戦意高揚)の煽りとその後のダウナーな感じが、戦争を経験した様なそんな気持ちになりました。こちらこそよろしくお願いします。
度々すいません。
名レビューですね。感服です。
戦争は、当たり前ですが嫌ですね。
私は、この作品は強烈な反戦映画であり、人間の深い業を描いた作品であると、勝手に思っています。では。
もちろん、私も最初は年齢も他愛のない頃でしたので、ベトナム戦争が、超大国の代理戦争であった。程度の知識量で。
それよりも、アメグラ撮影直後で撮影現場に見学に来ていた、ハリソンフォードが頼まれて、チョイ役で出てる。とか、戦闘シーンがものすごい迫力というところから入っていきましたね。
そこから歳を重ねて、人間模様に興味が移り、本格的に鑑賞を繰り返しました。