死刑台のメロディのレビュー・感想・評価
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パーマーレイドは現在進行形なのだ
冒頭とラストシーンのみ白黒映像で、ドラマ仕立てであるカラー映像での本編と区別をつけている
それは白黒映像の部分は厳然と事実であり、一切の脚色をも排したという意味であろう
冒頭の警官隊の手入れは、パーマーレイドと呼ばれる左翼狩りのシーンだ
時は1920年、日本なら大正10年のこと
日本の治安維持法は1925年の制定
本作のラストシーンは1927年
つまり日本の治安維持法による共産主義の弾圧は、本作に描かれている米国の事件からも影響を受けていたのかも知れないと言う視点を得た
民族、思想信条
そんなものによる偏見で無実の罪を着せられ死刑宣告をうける二人
確かに米国の汚点そのものだろう
ジョーン・バエズの歌は2回歌われて、エンドロールで大ヒットした主題歌「勝利への賛歌」が流れる
エンドロールが終わり画面が真っ暗になってもなお30秒流れ続ける
その余韻が心に染み入る効果をねらったものだ
公開は1971年
ベトナム反戦運動の真っ盛り
学生運動への弾圧をパーマーレイドの相似形として捉えようとした作品だ
だが今は21世紀
本作公開から半世紀もの時が流れた
冒頭の事件からは、ちょうど100年が流れたのだ
死刑を宣告されたバンゼッティは知事に呼び出されて、何故恩赦を請願しないのかと問われて理由を答えるのだが、その中にこんな台詞がある
あなた方は教えてくれた
権力体系は暴力の上に立っていると
あなた方が強制する社会を破壊したい
暴力の上に成る社会だからだ
生活に窮するのは暴力だ
何百万人もの人が飢えに苦しむのは暴力
金銭も暴力
戦争も
日々味わう死の恐怖も
それも暴力なのだ
共産主義革命を目指すアナーキストの言葉だ
しかし、21世紀の私達は知っている
共産主義国家の国々では一体どうだったのか
共産主義国家の方が、遥かに暴力の上にたっていた社会であったことを私達は知っているのだ
中国で今もなお現在進行形でおこなわれている「暴力」を私達は知っているのだ
チベットウイグルにおける暴力を知っているのだ
中国人民への監視社会の暴力を知っているのだ
香港の自由と民主主義に対する暴力を知っているのだ
なんたる皮肉だろう
公正な裁判、言論の自由、本当の民主主義
それは共産主義社会だけで実現されるという理論、理想、夢、空想
そんなものは粉々に砕け散ってしまったのだ
地に堕ちたのだ
それ程までに半世紀の時の流れは大きいのだ
この当時のままのマインドセットの団塊左翼老人達に騙されてはならない
今香港で行われていることこそ、パーマーレイドだ
1920年にアメリカで実際に起った、サッコとバンゼッティ事件の裁判...
1920年にアメリカで実際に起った、サッコとバンゼッティ事件の裁判を映画化した作品。この裁判はアメリカの裁判史上の汚点と言われ、当時のアメリカの人種偏見と思想弾圧がドラマチックに描かれている。
私にとっては、初めて自分でチケットを買った映画である。15才の私が何を思ってこんな暗くて政治的な映画を観ようと思ったのか解らないが、結果的にこの映画からは国家というものの恐ろしさを学ぶことができた。
検事が裁判の中で「移民であること、反国家的な思想を持っていることこそが罪であり、この裁判はそのことを裁く」と述べる場面。
いま私は、その発言の背景にある異常な社会状況を「昔のこと」と片付けられないような気がしている。
ちなみに、サッコとバンゼッティの名誉が回復したのは1977年、彼らが処刑されてから50年後のことである。
映画としての質も非常に高い。
無実の罪で最愛の家族と引き裂かれるサッコの悲しみを胸に迫る演技で表現したリカルド・クッチョーラは、1971年度カンヌ国際映画祭主演男優賞を受賞した。
さらに、ジョーン・バエズの歌う「勝利への賛歌」も、力強く美しい。当時所属していたブラスバンドで演奏した記憶がある。
バンゼッティの最後の言葉。
「自分は正義とは何かを証明するために生まれてきた。私の名前は、体制という名前の暴力に屈しなかったものとして永遠に残る」
同様に、この映画も永遠に残る名画である。
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