ザ・ビーチ(2000)のレビュー・感想・評価
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中途半端な幕引き
大きかった永遠の快楽を求めた代償
人はコンフォートゾーンから抜け出そうとしても、なかなか抜け出せるものではない。
今もそうなのかもしれないが、20年ほど前は若者がバックパックで海外に出かけるのが珍しくもなかった。外国のユースホステルなどにいくと同年代のバックパッカーがたくさんいた。
自分はバックパッカーというほど旅慣れてはいなかったが、海外でユースホステルには泊った。日本にいるよりも頭の中が整理できる気がした。知らない場所にいって、新しい体験をすることに価値を見出していた。
この映画の主人公であるリチャードも、同じことを語る。
彼はタイを訪れたのだが、結局のところ同じことの繰り返しだった。バックパック旅行とはいっても、日常の延長線上でしかなかった。しかし、安宿で出会ったダフィという男から「伝説のビーチ」の話を聞くあたりから、話が変わってくる。リチャードは半信半疑だったが、ビーチへの地図を残して、ダフィは自殺する。そうすると、もう好奇心をおさえられなくなる。リチャードは、隣室のフランス人カップルを誘って、「ビーチ」を目指す。
はたして「ビーチ」は実在した。そこには文明から逃れてきた若者たちのコミュニティがあった。
日常と隔絶された世界で、共同生活を送る。
選ばれた人々だけが入れる秘密の場所。
いわゆる文明からは離れているが、完全に離れているわけではなくて、たまに買い出しに行ったりする。
当時はインターネットやガラケーは普及し始めたばかりのころで、今のように生活必需品ではなかった。だから、本作のような孤島でコミュニティを作って暮らしてもスマホの電波がつながらなくて半狂乱になるようなこともない。
だからこのビーチは地上の楽園として成立していたのだ。
日常から離れて新しい体験をしたい、と願って訪れた「伝説のビーチ」でのんびり暮らす。これは特別な体験かもしれないが、新しい体験とは言えない気がする。リチャードは結局のところコンフォートゾーンから出てはいないのではないか。
やがて、その生活に異変が起こる。
なにが起こるのかは書かないが、とにかく、リチャードはコンフォートゾーンから出ざるを得なくなる。
その後の顛末を見るに、本作で語られているのは、人は新しい体験を求めはするが、多くの人は自分にとって居心地のよい場所を求めているだけだ。人はそんなに変わることはできないのだ、ということだと思う。
これは耳の痛い話で、自分も今のままではいけない、新しいことをしなくては、と常々思ってはいるが、いきなりすべてを変えられるわけもなく、どこかでセーフティネットを求めている。もちろん、突然すべてを投げ出して新しい世界に身を投じる、というのが良いというわけではない。それはただの向こう見ずでしかない。
もちろん、今の生活に満足していてなにも変える気がないというのなら、それでいいのだが、そうでないのであれば、コンフォートゾーンから出ていく必要もあるのだと肝に銘じておくべきだろう。
自分探しの顛末だが…
リチャードはなぜクリストの口をふさいで窒息死させたのだろう?
3人でクリストを運ぶことはできないと考えたのだろうか?
サルに地図のコピーを若者たちに渡した責任を問われ、毎日見張りを続ける孤独に、次第に別のスリルを求め始めた。
コミュニティの仲間たちはリチャードが何もしないことに陰口を言い始めていた。
孤立と引きこもりになった彼は次第にダフィーと同一化していく。
皆と仲良くしていた時には、皆と同じようにクリストを山に置き去りにして、エチエンヌの反論にも動じず、楽園らしく過ごす快楽を求めた。
リチャードの勝手さはある意味自然だが、エチエンヌから見れば許せないだろう。
しかしリチャードは、若者たちが村人らに射殺されるのを見ていたことで、もうこの島には居られないと悟った。しかし若者たちがどうなるのかを彼は見たかったのではないだろうか? 若者たちが殺害されることが、彼のスリルの頂点だったのではないのか?
女性が一人逃げ、リチャードは茂みの中から虎が吠えるように彼女を威嚇したのはなぜだろう? 自分も村人に見つかるのを防いだのか? どう考えても狂っているのはリチャードなのではないだろうか?
リチャードは村人から逃げ、フランソワーズとエチエンヌの3人で脱出することを決めたのは、彼自身が感じた時間の問題だったのだろう。彼は思う「島にくる以前の自分を思い出せない」つまり戻りたくなったのだ。
しかし結局村人が乗り込んでくる方が早く、この島から全員退去しろと言う。サルは決して島から出ないと言い張る。
村人が拳銃をサルに渡し、この出来事を招いたリチャードを始末しろと条件を付けた。
リチャードは賭けに出る。サルが撃てば、死刑の断行で、ここはもはや楽園ではないというようなことを叫ぶ。
確かにリチャードの言葉は正しい。しかしその賭けに出るには、みんなが理性的にそのことを普段から理解してなければならず、そもそも村人が来る直前までバカ騒ぎしていたのに、急に理論的なことだけをぶちかまされても、その気にはなれないように思う。
サルは引き金を引いた。しかし弾は発射されなかった。通常どうすればいいのかを考えられるのはこの出来事のあとだ。皆の思考変化が早すぎる。
窒息死させるのは安楽死ではない。首を絞めて殺すのと同じだ。4人の若者が殺された後にもかかわらず、リチャードの心境がわからない。
島を脱出後、リチャードは相変わらず故郷には戻らず、どこかの街のネットカフェでパソコンをいじっている。
最後に彼は「それぞれ罪の記憶とともにそれぞれの場所へと帰っていった。忘れられなくても順応して生きていく」ともっともらしいことを言っているが、それは未だ狂ったままだからなのだろうか?
フランソワーズからのメール パラレルユニバース 彼女の好きな星の写真とリチャードがその時言ったセリフをこの言葉に乗せている。
そこだけは良かった。
楽園は楽園のままでいいのかどうかは、そこで暮らす人々に任せればいい。
楽園とは思ったものではなかったのもわかる。
それを壊した元凶リチャードは決して皆を解放したとは言えないし、罪はリチャードのしたこと以外見当たらない。
エチエンヌとフランソワーズにとって楽園の記憶は青春のほろ苦い思い出かもしれないが、リチャードにとってのそれは、自分自身の本性を知ったと同時にどの世界でもなじめないのではないかと思った。
冒頭のセリフ 『美しく、刺激的な何かを求めて そう…より、危険な何...
楽園なんてない。
不思議な映画だった
何も残らない
どんな映画だったか思い出せなかったのでTV地上波で再視聴。
美しいビーチとドラッグ畑を持つ楽園のような島には、サルをリーダーとするコミュニティが存在していた。
ビーチには鮫がいて、コミュニティの仲間が死んでしまう。島の存在を隠すため、重症の仲間にも医者を呼ばない。
サルのコミュニティへの固執が徐々に常軌を逸してきて、最後にはコミュニティを維持するために、リチャードを殺そうとまでする。それを見た仲間は、サルを残して島を離れる。
正直、何を伝えたい映画なのか良く分からない。モテモテの主人公リチャードも、何処に魅力があるのか分からない。ビーチが如何に綺麗でも一生そこで暮らそうとは思えない。
タイの秘境にある楽園という設定と、ディカプリオの名前だけで映画を作った感じで、見終わっても何も残らない。
落園へようこそ。
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