劇場公開日 2000年4月22日

「自分探しの顛末だが…」ザ・ビーチ(2000) R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0自分探しの顛末だが…

2024年6月9日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

リチャードはなぜクリストの口をふさいで窒息死させたのだろう?
3人でクリストを運ぶことはできないと考えたのだろうか?
サルに地図のコピーを若者たちに渡した責任を問われ、毎日見張りを続ける孤独に、次第に別のスリルを求め始めた。
コミュニティの仲間たちはリチャードが何もしないことに陰口を言い始めていた。
孤立と引きこもりになった彼は次第にダフィーと同一化していく。
皆と仲良くしていた時には、皆と同じようにクリストを山に置き去りにして、エチエンヌの反論にも動じず、楽園らしく過ごす快楽を求めた。
リチャードの勝手さはある意味自然だが、エチエンヌから見れば許せないだろう。
しかしリチャードは、若者たちが村人らに射殺されるのを見ていたことで、もうこの島には居られないと悟った。しかし若者たちがどうなるのかを彼は見たかったのではないだろうか? 若者たちが殺害されることが、彼のスリルの頂点だったのではないのか?
女性が一人逃げ、リチャードは茂みの中から虎が吠えるように彼女を威嚇したのはなぜだろう? 自分も村人に見つかるのを防いだのか? どう考えても狂っているのはリチャードなのではないだろうか?
リチャードは村人から逃げ、フランソワーズとエチエンヌの3人で脱出することを決めたのは、彼自身が感じた時間の問題だったのだろう。彼は思う「島にくる以前の自分を思い出せない」つまり戻りたくなったのだ。
しかし結局村人が乗り込んでくる方が早く、この島から全員退去しろと言う。サルは決して島から出ないと言い張る。
村人が拳銃をサルに渡し、この出来事を招いたリチャードを始末しろと条件を付けた。
リチャードは賭けに出る。サルが撃てば、死刑の断行で、ここはもはや楽園ではないというようなことを叫ぶ。
確かにリチャードの言葉は正しい。しかしその賭けに出るには、みんなが理性的にそのことを普段から理解してなければならず、そもそも村人が来る直前までバカ騒ぎしていたのに、急に理論的なことだけをぶちかまされても、その気にはなれないように思う。
サルは引き金を引いた。しかし弾は発射されなかった。通常どうすればいいのかを考えられるのはこの出来事のあとだ。皆の思考変化が早すぎる。
窒息死させるのは安楽死ではない。首を絞めて殺すのと同じだ。4人の若者が殺された後にもかかわらず、リチャードの心境がわからない。
島を脱出後、リチャードは相変わらず故郷には戻らず、どこかの街のネットカフェでパソコンをいじっている。
最後に彼は「それぞれ罪の記憶とともにそれぞれの場所へと帰っていった。忘れられなくても順応して生きていく」ともっともらしいことを言っているが、それは未だ狂ったままだからなのだろうか?
フランソワーズからのメール パラレルユニバース 彼女の好きな星の写真とリチャードがその時言ったセリフをこの言葉に乗せている。
そこだけは良かった。
楽園は楽園のままでいいのかどうかは、そこで暮らす人々に任せればいい。
楽園とは思ったものではなかったのもわかる。
それを壊した元凶リチャードは決して皆を解放したとは言えないし、罪はリチャードのしたこと以外見当たらない。
エチエンヌとフランソワーズにとって楽園の記憶は青春のほろ苦い思い出かもしれないが、リチャードにとってのそれは、自分自身の本性を知ったと同時にどの世界でもなじめないのではないかと思った。

R41