「感想」サクリファイス(1986) しんかいぎょさんの映画レビュー(感想・評価)
感想
私はこれを、都内の映画館でリバイバル上映された際に鑑賞しました。
なのでタイトル通り、映画の感想を述べたいと思います。
この映画を鑑賞して、どこにテーマがあるのかと考えたとき「調和」と「その均衡が破られ」そして「新たな調和がもたらされる」ということだと思えました。
最初は調和というか均衡の保たれた状態でした(良くも悪くも)。が、戦闘機の轟音のようなものが最初に轟いたとき、部屋の中のミルクが瓶ごと倒れて床に散らばり、世界(worldではなくuniverse)に変化が訪れる象徴が現れました。
そして電気が通らず、通信も不能になった中、皆が「調和した世界」を求めました。主人公の妻には鎮静剤が注射され、娘にも注射が打たれますが、ここで重要なのは、娘が自身で注射を拒否したのにも拘わらず、他者が少しの無理を強いてでも注射をして鎮めようとした場面です。
ここで、この映画に少なくとも二つの軸が提示されているように思えます。
それは、
・多少押さえつけられてでも皆が静かに暮らせている、という意味での調和
・抑圧から解放されてみんながそれぞれ自分らしくいながらにして調和した世界
(後者は、前者の反証という形での提示かと思いますが)
さて、主人公は奥さんと不和であり、それでも静かに暮らしていたこれまでの世界は、まさしく抑圧を感じながらも静かな世界でした。しかし核戦争という圧倒的なアンバランスがもたらされて、それまでの世界が維持できなくなりました。
召使のマリアがなぜ魔女で、そのマリアと寝ることでどうして世界が救われるのかはわかりませんが、これを映画的な意味から見ていくと、それまで主人公やその周囲の人間を抑圧していたものから解放して、後者の意味での調和世界をもたらすための鍵ではなかったのではないでしょうか。
これを具体的に述べると、
・主人公がマリアと関係を持つことで、主人公とその奥さんはお互いを縛り付けていたものから解放される。
・友人である医師も二人の面倒をみることから見切りをつけて、オーストラリアへ旅立てる。
等々、、、
ということになると考えます。
それが証拠に、主人公がマリアに対し告白する自分の過去――荒れ放題だった庭を、良かれと思って手を加えたことで全く見るに堪えないものへと変貌してしまったことへの後悔――これこそが、この映画の言いたいことを端的に表していると思います。
トドメに主人公が自宅に火をつけるのを、映画サイトなどの解説では神に誓った犠牲の実行と言われていますが、意味的な側面から言えば、これまでの古い調和した世界が消えて、新しい、それぞれがしがらみから解放された自由な世界が始まることの現れと捉えていいのではと思います。
タルコフスキー監督の実生活で求めていたものが、この映画にも色濃く現れているのではないかと思いました。
余談ですが、私はこれまで惑星ソラリスやストーカー、鏡などを見てきましたが、ソ連国籍だったころの哲学的な問答というか、そういう色があまり強くなかったように思いました。何かの心境の変化のでしょうか。