孤独な場所でのレビュー・感想・評価
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ニコラス・レイ監督の私小説的な映画
理由なき反抗等で知られる ニコラス・レイ監督による1950年公開の米国作品。配給はコロンビア。原作はドロシー・B・ヒューズ。脚色がエドマント・H・ノーズ、脚本がアンドリュー・ソルトだが、ニコラス・レイが殆ど書き直したとか。
出演は、ハンフリー・ボガード、監督の妻グロリア・グレアム(1948年結婚し52年離婚)、フランク・ラヴジョイ、ジェフ・ドネル、アート・スミスら。
ハンフリー・ボガードは、切れると恐ろしい、昔有名だった脚本家の役。事件に巻き込まれたお陰でグロリア・グレアムと恋愛関係になり、そのエネルギーで久しぶりに(原作が有る映画の)脚本を書き上げる。
その脚本は、つまらない原作を大きく変えたということで、これってニコラス・レイの置かれた状況そのものに思える。些細なことでボガードは激怒し、運悪く居合わせたヒトを殺しかける。その姿を見て怖くなり、苦しんで迷った挙句だが、結局彼から逃げようとするグレアムの姿が描かれる。最後、グレアムは完全に彼を捨て去るが、これも監督夫妻の実生活の状況を反映か?
まあ、グロリア・グレナムがえらく魅力的で、反面ボガードが監督の自虐的なものを反映してかダメな奴で、監督の私小説的な映画に思えた。楽しい映画ではなかったが、米国映画らしくなく欧州的つくりで、とても興味深い映画であった。
孤独の淵へ
物語のウェイトが殺人事件の犯人探しからラブロマンスへと知らぬ間に移行しているあたりはまさに正統なるフィルム・ノワールという感じ。
主人公のディクソンははじめこそ純潔な語り手として物語を牽引していたが、次第に内面の欠落した暴力漢として第三者化していく。まるで乗っていた船が少しずつ暗い海に沈んでいくような恐ろしさだ。
信頼関係を築きたい気持ちと本能に染み付いた暴力性が互いを押し合いへし合うなかでどんどん孤独の淵へと追いやられていくディクソン。その自己矛盾に薄々気づいてしまっているあたりが切ない。
結局彼は殺人事件の犯人ではなかったものの、事件を契機に彼の暴力性が滲出し、それがローレルの心を深く傷つけてしまったことは取り返しようのない事実だった。彼は関係の終焉を悟り、静かに部屋を去りゆく。その背中を見送るローレルの表情には悲しみとも憐れみともつかない涙が浮かんでいた。
無実
最後には真犯人が捕まる。それまでの過程で、ボガード演ずる脚本家ディクソンが上手いこと美女ローレル(グレアム)と親密な関係になるのだが、付き合っていくうちに彼の脚本の才能を再開させ、さらに彼の暴力性をも発見してしまう。その過去の資料のため警部はずっとディクソンを懐疑的に見つめ、軍隊時代の部下さえも失言を繰り返してしまう。
特に恐ろしく感じたのは、交通事故になりかけたのに、相手が文句を言ってきたために投打して殺してしまうかと思わったこと。殺人事件のおかげで知り合い婚約までしたのに、結局は破綻してしまうまでのストーリーだった・・・
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