「なんで、決別?」ゴダールの決別 osmtさんの映画レビュー(感想・評価)
なんで、決別?
最初の公開を見逃してから、もう約30年(マジか…)
ゴダールは映画館でないとダメなので、やっと観ることが出来た。
流石、相変わらず名ショット続出ではある。
「夫/創造主」の「存在/不在」→「見える/見えない」のイマージュの神秘の暗示。これがキーかな。
その神秘の空白を埋めるために、編集者が調査に訪れるという設定になっていたが、出来れば編集者を狂言回しとしてフィーチャーさせて、ミステリーの謎解きのようなプロットにした方が面白かった気もする。
ドパルデューは適役だったとは思うけど、人妻の方は、もっと他にも色々いたんでは?
出来れば、ユペールだったらなあ〜
ピッタリだったんじゃない?
元のギリシャ神話では、人妻のアルクメーネーは絶世の美女なんだけど。
「私は美人ではない」→ ドパルデューもそれに同意する… なんて流れになっちゃてるし。
それじゃ、ゼウスの話にならんよ。
まあ、ゴダールなんで、ストレートにギリシャ神話を語るはずも無いが…
とはいえ、神話ベースなら、基本中の基本設定は変えて欲しくは無かった。
ちなみに今回、ゴダールは、イタリアの詩人ジャコモ・レオパルディの哲学的散文『オペレッテ・モラーリ』冒頭「人類の歴史」から、この映画の着想を得ているらしい。
この散文は、まだ読んでないが、たぶん、古代ギリシャ哲学における真理から照準を合わせ、キリスト教的精神論をスナイパーの如く撃っているような気が… 違うか?
また、今回も断片的な引用が横溢しているが、ドイツの哲学者ヴァルター・ベンヤミンなど(アウラの凋落?)相変わらず近代ヨーロッパのフィロソフィーに関するフレーズが散りばめられている。
キリスト教の三位一体も繰り返し出てきたが、これらが、いつもの美しいゴダール印の映像詩となって、バッハやチャイコフスキーなど(演奏は、キース・ジャレットや、キム・カシュカシャン)と共に音楽的に響いていく。
よって、今回も映画という時間芸術を駆使したポエトリー。
文芸作品や哲学やキリスト教からの引用もある以上、西洋の教養は、あるに越したことはないが、論理や理性にのみ頼って読み解くのは全くナンセンス。
音楽と一体となって、詩として感じられるか?どうか?なのだが…
正直なところ、美しいシーンが続出とはいえ、他のゴダールの作品と比べて、圧倒的に鮮烈で美しいという程ではない。
あまり過度な期待はしない方がいい。
あと、やっぱり、ギャグやユーモアの足りないゴダールは…
まあ、悪くはないが、やはり何かが足りない気はする。
しかし、なんで、邦題を『ゴダールの決別』にしちゃったかね?
原題を野暮に直訳する必要などないが「決別」という言葉が、本作の内容と全くリンクしていない。
ホントわけわからん。