「真・黒澤ワールド」生きる(1952) KIDOLOHKENさんの映画レビュー(感想・評価)
真・黒澤ワールド
この映画は、ただのリアリズム作品ではない。実はファンタジーだ。
脚本には「メフィストフェレス」という言葉がはっきり書かれている。言うまでもなくゲーテ『ファウスト』に登場する黒い犬=メフィストフェレスだ。黒い犬は映画の中にも出てくる。そこのところにメフィストフェレスのような男と書かれているのだ。映画を見て、ここに気づかないと、とんでもない勘違いをする。「工場でうさぎを作る作業が楽しい」?そんなはずはない。現実は単調な大量生産だ。だがファンタジーだからこそ、彼女は「楽しい」と言うのだ。
物語は主人公が末期ガンと知るところから始まる。息子に冷たくされ、絶望の淵に立つ。そして中盤、謎めいた人物の登場とともに、映画は幻想的な領域へ入っていく。そう、これは黒澤流の『ファウスト』なのだ。ファウスト博士が死の直前にようやく人生を知ったように、この主人公も残された時間で「人生」を圧縮して経験しようとする。その重なりを読み取った者こそ、この映画を最大限に楽しめるだろう。
この映画を観る時に最も大事なのは――絶対にネタバレを読まないことだ。残念ながら私の場合は違った。レンタルビデオのない時代、名作はリバイバルかテレビ放映を待つしかなかった。私はそんなアテにならない未来を待ちきれず東京の図書館まで行って脚本をコピーしてしまった。結果、本来映画で驚くべき場面を、文字で知ってしまったのだ。こればかりは不幸だった。
黒澤関連の書物によると、最初の脚本では主人公は最後まで生きていたという。だが共同脚本家・小国英雄は「真ん中で死なせ、葬儀の場で人々が彼を回想し推理する構造にした方が面白い」と提案した。黒澤は即座に従った。この発想の転換が名作を生んだ。『七人の侍』で「おかしなキャラクターを混ぜろ」と言ったのも小国英雄だった。彼はまさに黒澤映画の“航海長”である。
黒澤は戦国の百姓をリアルに描き、古典芸能を映画で再現し、柔道活劇や淡い恋愛も撮り、そしてついにこのような幻想的傑作を世に出した。幅の広さと深さを兼ね備えた監督は、世界にただ一人――黒澤明しかいない