劇場公開日 1952年10月9日

「生きるとは、誰かの為に何かをする事だろうか」生きる(1952) 緋里阿 純さんの映画レビュー(感想・評価)

3.5生きるとは、誰かの為に何かをする事だろうか

2025年3月10日
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鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

泣ける

難しい

【イントロダクション】
胃癌によって余命幾許もないと悟った市役所の市民課長が、残された人生の中で「生きる」意味を求め、やがて自らの使命に奔走する姿を巨匠・黒澤明が描く。東宝創立20周年記念作品。

【ストーリー】
市役所で市民課長を務める渡辺勘治は、かつて持っていた仕事への情熱も失せ、来る日も来る日も、書類に判子を押すだけの「死んだ」日々を過ごしていた。住民による苦情や要望も、「その担当は○○部署です」とたらい回しにされる現状。

ある日、かねてから胃の調子に違和感を抱いていた渡辺は、あと一月で“30年間無遅刻・無欠勤”という皆勤記録が控えていたにも拘らず、休暇を取って病院に向かう。渡辺は、院内事情に詳しい患者から、「軽い胃潰瘍だと言われたら胃癌の証拠」と告げられる。案の定、医師から告げられた結果は、軽い胃潰瘍だった。

自分の死期を悟り、自暴自棄になった渡辺は、職場へ欠勤届も出さず、貯金から5万円を引き出して夜の街へ向かう。飲み屋で偶然知り合った小説家に事情を話すと、彼は渡辺に夜の街を案内する。しかし、一時の放蕩に虚しさを覚えた渡辺は、街を後にする。

後日、街を歩いていた渡辺は、職場の部下である小田切とよと偶然出会う。その日以降、何度か食事を重ねる中で、渡辺はとよの奔走さと活力に満ちた生き方に惹きつけられる。やがて、とよは玩具会社の工場作業員に転職した。自分が胃癌であることを伝えると、とよは工場で作っている玩具を見せて「あなたも何か作ってみたら」と勧める。渡辺は「まだ出来ることがある」と気付き、市役所に復帰する。

それから5ヶ月後、渡辺は胃癌によってこの世を去った。通夜の席にて、同僚達はまるで人が変わったかのように、住民の要望であった公園作りの為に5ヶ月間奔走し続けた渡辺について語り出した。

【感想】
志村喬のボソボソと喋る演技は、これまで長いものに巻かれ、自分の意思を封じ込め、流されて生きてきた事をよく表している。ギョロッとした目の演技も特徴的で、ともすれば不気味ですらある。

余命を悟り、半ばヤケクソに夜の街へ繰り出す渡辺。しかし、これまで真面目に生きてきた、何もしてこなかった渡辺は、どう遊び、どう金を使えばいいかが分からない。小説家に案内され、パチンコにバー、ストリップショーと、歓楽街をあちこち行き来する。この一連のシーンに漂う、華やかさの裏にある虚しさが良い。ダンスホールで渡辺が『ゴンドラの唄』を歌う瞬間の、周囲のドン引きも他所に、瞳に涙を浮かべ「いのち短し 恋せよ乙女」と口ずさむ姿が印象的。

とよとの出会いを境に、彼女の生き方に惹きつけられていく渡辺の姿は、答えを求めて縋り付くかのよう。とよの言葉を受け、何かを悟った様子で、カフェの階段を駆け降りる渡辺。別の客の誕生日パーティーと重なった為、階段を駆け降りる際に、皆が「Happy Birthday To You〜♫」と合唱しているのだが、その様子はまるで、ようやく「生きる目的」を得た渡辺の人生における“第二の誕生”の瞬間を祝福しているかのよう。

ラストで雪降る公園のブランコに座り、『ゴンドラの唄』を口ずさむ渡辺の中には、どんな感情があったのだろうか。最後の仕事をやり遂げた達成感か、自らに再び生きる気力を取り戻させてくれたとよへの感謝か、息子夫婦に対する別れの意思か…。
渡辺の表情を真正面から捉えたショットが実に美しい。

通夜の翌日、渡辺の“最期の輝き”にあれだけ胸を打たれた同僚達は、再び「何もしない」というお役所仕事に戻っている。しかし、渡辺が尽力して作り上げた公園では、沢山の子供達が遊びはしゃいでいた。彼の最期の日々が織りなしたものは、誰かの為になっていたのだ。

小説家役の伊藤雄之介の演技も素晴らしく、時に渡辺の身を案じる表情を浮かべた瞬間が印象的。

【総評】
生きるとは、何だろうか?誰かの為に、何かをする事だろうか?その為に、自分には何が出来るだろうか?
古い作品ながら、作品の持つ普遍的なテーマは、今を生きる我々にも深く突き刺さる。

緋里阿 純