「幼少期に戦いを経験した質問の多い少年は、やがて革命の闘士へと成長しメキシコ紙幣にも顔が載ることに」新荒野の七人 馬上の決闘 TRINITY:The Righthanded Devilさんの映画レビュー(感想・評価)
幼少期に戦いを経験した質問の多い少年は、やがて革命の闘士へと成長しメキシコ紙幣にも顔が載ることに
大ヒットシリーズの三作目。
シリーズ中、唯一見ていなかった作品。
理由はジョージ・ケネディのクリス役に抵抗を感じたから。
一作目で統率力のあるリーダーを堂々と演じたユル・ブリナーのクリスは二作目ではどこか所在なさげで、死に場所を求めて戦いに臨んでいるようにさえ見えた。
いっそ本作でクリスの最期を描けばとも思うが、ブリナーは出演を拒否したそう。でも、どの段階で彼が意思決定したのか気にかかる。
代わってクリスを演じたG・ケネディは、個人的には『暴力脱獄』(1967)や『サンダーボルト』(1974)の意志の弱いやや弛緩した役のイメージが強く、本作では前二作の黒ずくめ、スキンヘッドといったクリスのスタイルをまったく踏襲していない。
だが、おそらくケネディは体を絞ったうえで役作りに臨み、彼なりの新しいクリス像の確立に成功している。
さすがはオスカー俳優。先入観で見くびっていた自分の不明を羞じたい。
役柄は異なるが、前作に続いて出演したフェルナンド・レイはルイス・ブニュエル作品の常連にして、スペインが誇る国際俳優。貫禄の演技を見せつけてくれる。
舞台は革命前夜のメキシコの農村。
作風は前作以上に左翼的。残酷描写や過激なアクション・シーンも含め、ブームの只中だったマカロニ・ウエスタンの影響を受けていることは明らか。
ロケも「マカロニ撮影城」と化したスペイン郊外で行われている。
主人公の下に集うメンバーの人物描写は前作にも増して細やか。
スレイターは自らのことを「gunny(殺し屋)」と自嘲するが、前二作のような無法者ばかりではない。
片腕を失い戦争トラウマに苦しむ元南軍兵士のスレイターは解放後も奴隷扱いされる黒人のキャシーと心の痛みを共有し、次第に和解していく。そして、そのことが彼らの死の悲劇性をいっそう際立たせる。
年老いて引退していたリーヴァイの所帯持ちという設定は、のちの展開の(メキシコ史にも関わる?!)重要な伏線となる。
漆喰の壁や石畳に農夫の服装の白、逆光を利用した人物の黒いシルエットに主要人物の衣裳の赤・青・黒といった色彩と陰影を強調した手法や、効果的なクローズアップの使用などは、往年の大映時代劇を彷彿とさせる。
一方で、名作西部劇へのオマージュも忘れていない。
喘息持ちのP・Jのモチーフは『荒野の決闘』(1946)のドク・ホリデイ。ご丁寧に最期はハンカチーフまで取り出す。
銃撃で斃れた者をカメラがあらためて凝視する場面は『シェーン』(1953)のラストシーンを連想させる。
凝ったカメラワークに加え骨太のシナリオ、妥協のない演出など、どこをとっても完成度の高い作品。一作目と比較されるせいで損しているだけで、賞賛に値する隠れた名作。
シリーズ共通のテーマ曲を中心にしたエルマー・バーンスタインの壮麗なサウンドも素晴らしい。
ただ、主役の交代で評価を下げた感は否めない。
ケネディも頑張ってはいたが、もしブリナーが完成したシナリオを読んだうえで出演の可否を決めていたらと、やはり想像してしまう。
死んだ仲間の数は増えたのに、二作目ほど作品に影を差す印象を残さないのは、マニュエルが命を落とす前作と異なり、若者に未来を託す場面で幕を閉じるからか。
子持ちのリーヴァイは彼を父のように慕うエーミル少年に自作の模造刀を授け、「いつか本物を持って、お前が民衆を救え」と教え諭す。
字幕は適当に端折っていたが、名前を訊かれた際のエーミルは「エミリアーノ・サパタ」と、はっきり名乗っている。
それじゃ、この子が…。
すべて架空の登場人物のなか、エーミルだけは実在した歴史上の偉人。
そのことを踏まえて見直すと、作品の印象がちょっとだけ変わるかも。
逆光かつ仰角のアングルで悩める馬(?)ビリーの内面を描写した手法が斬新すぎ。でも、ホントは喉が渇いていただけ?!
BS12トゥエルビにて初視聴。