「エリザベス1世の世界観に酔う。」恋におちたシェイクスピア とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)
エリザベス1世の世界観に酔う。
ラストがいい。
砂浜を一人の女性がひたすら歩いていく姿を追う。
空と海と砂浜の解放感。目指す先に見えるオアシス?
肩の力の抜けた歩み。でも、止まらない。
時代考証をかなりされたのだろうか?
エリザベス1世にちなんで命名されたともいうバージニア州に行くとか。
衣装デザイン・美術でも賞を取っている。
『アリス・イン・ワンダーランド』の赤の女王のようなエリザベス一世のいで立ち。
この時代に特有な?カラー。パンプキンのようなパンツ。マントのかけ方…。
汚水が2階から突然降ってくるところまで、ちゃんと描写(下水道なかったし)。
ネズミをかわいがるのは、役の性格をよく表していると思うが、ペストは大丈夫なのか?
そういえば、映画の中でも、感染症(コレラ)のために、劇場封鎖というシーンもあったっけ。
その中での、史実を混ぜ込んだフィクション。
主人公二人の恋模様と、舞台が交じり合って、『ロミオとジュリエット』誕生に立ち会っているかのような興奮にウキウキする。演劇じみた言葉使いにも酔ってしまう。
そこに、劇場主の経済事情とか、同じ演劇仲間のライバル感・仲間感や、すでに経済力を無くした貴族と台頭してきた商人の事情を絡ませ、ロマンチックな要素に茶々をいれ、コメディ仕立てで見せてくれる。
劇に精通しているはずの劇場主が、聴衆に受けて借金返済ができるかにやきもきしているからか、この劇の魅力を掴みかね、反対にがめついはずの貸金業者がこの劇の魅力に陶酔しているのもおかしい。
女王がコメディ好きなのは史実に基づいているのかはわからないが、権力の重責を負っていたら、娯楽ぐらい馬鹿笑いしたいよねと、妙に納得。あの、馬鹿笑いが妙にツボった。そして、後に効いてくる。
見事なアンサンブル。
ヒロインを演じられたパルトロウさんへの評価が高い。
『アイアンマン』シリーズでのお姿しかまだ観ていないからか、あまり好みの役者さんではない。けれど、この映画では、恋に恋する乙女、役者を夢見て突っ走るハイティーンぶりがとても良い。行動力はあるが、自分の力で生きていけないことは自覚している。
ラッシュ氏・ファース氏・アフレック氏・ウィルキンソン氏は安定。特に笑わそうという演技はしていないのだが、その間とか、そこでこのセリフ?と緩急をつけて下さる。特にファース氏は、そのプライドの高さに実力が伴っておらず空回りしているところがうまい。悪役を引き受けてくれるので、主人公二人を応援したくなる気持ちにもちょっとはなる。何気にカーター氏も要所要所で面白い動きをしていて笑える。
デンチさんへの評価も高いが、スタウントンさんも良い味を出している。
と、意匠・アイディア・役者は最高だと思うのだが、
主要な二人の恋が今一つ、私には合わなくて…。
言葉が悪くて申し訳ないのだが、盛りのついた犬のようで、今一つ乗れなかった。
この時代の淑女の貞操感てどうなっているのかと違和感がありまくり。イギリス舞台で、イギリスの俳優で固めているが、アメリカ制作の映画。恋模様がザ・アメリカのハイティーン。とはいえ、まだ、ヴァイオラの方は、恋に恋するお年頃。どうせ好きでもない人と結婚させられるのだからと言う思いもあり?そこに現れた有名人であり信奉していたシェイクスピアとの恋にのめりこむのは、百歩譲って、有りとしたとしても、
すでにハイティーンはかなり過ぎているシェイクスピアの分別の無さ。ロザラインとも関係しており、貞操感のない、プレイボーイにしか見えない。しかも、場所や周りの状況をわきまえず…。そういう場だから、かえって燃える性癖の持ち主なのだろうか?そのくせ、恋敵には偽名を使う姑息さもあり。
そんな二人が”真実の恋”と言われても…。状況に酔った、浮ついた二人の恋ごごろにしか見えなくて…。
それこそ、濡れ場がないと、映画の興行成績が落ちる?とかで、入れたシーンのようにも見えてしまう。ちょっと、過剰。
最後の逢瀬だからというのは百歩譲って仕方ないかと思うが、少なくともシェイクスピアがヴァイオラにのめりこむプロセスがもう少し納得できるように描かれていたらよかったのに。『ロミオとジュリエット』の台本に合わせたのか。芸術とはパッションだ!で済まそうとしているのだろうか?と言うより、この映画のノリに合わせた軽い行為に見えてしまって、ひいてしまう。
とはいえ、このシチュエーションに酔った、二人から出てくる言葉は、だからこそ、ロマンティックで、劇的で、『ロミオとジュリエット』の印象的な言葉となって、興奮する。
激甘の、すぐにくっつく、思春期妄想恋愛レベルのロマンチックがお好みなら。