劇場公開日 2024年11月29日

「フランス社会の脆弱性を警告」ゲームの規則 あんちゃんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0フランス社会の脆弱性を警告

2025年2月1日
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鑑賞方法:映画館

原題は「遊びのルール」といった感じ。鬼ごっこやかくれんぼのような子どもの遊びの軽い決まりごとを指す。「ゲームの規則」と訳すると狩猟の獲物を指す「ゲーム」とも混同してしまうしもっと重々しい。
時代が第二次世界大戦直前なので、さすがに王朝時代や帝政時代と比べれば、上流社会を描いているといってもかなりカジュアルにはなっている。女性の衣装は簡素化、軽量化しているし、屋敷の住人やゲストと、使用人たちとの関係がそこまで隷属的だったり形式張ったりではなくなってきている。
ところで筋書きとしては狩猟とパーティーの一昼夜を通して、侯爵とその夫人、お互いの婚外パートナーを巡る四角関係?のドタバタを描く。これに使用人たちの三角関係が同時進行し、合計8人の男女が画面狭しと動きまわる。4+3の7人ではないのはジャン・ルノワール監督自身が演じるオクターヴなる人物が狂言回し的に加わっているから。コメディ映画と評する人がいるくらいでスラップスティックな動きが特徴ではあるが実に乾いている。登場人物たちの恋愛はとても刹那的で切実さが全くない。その時々の状況に応じて追いかけっこする子どもめいた恋愛ごっこである。
そもそも狩猟もウサギやキジを撃つが、その獲物を調理して食べるという次のステップがない。単に殺した数だけを競っている非生産的なものである。パーティーの演目も悪ふざけ的な演し物で芸術性は欠片もない。つまりこの侯爵の領地で行われているものごとは、恋愛も含め全てが無意味、無価値である。
映画の最後で、殺人が発生するが、これは侯爵は事故であると断じ、領地内で処理をしてしまう。
それが、この侯爵の「ゲームの規則」なのである。
もちろんある程度のカリカチュアはあると思うが、恐らくジャン・ルノワールが言いたかったのはこの非生産性や非法治性が、それは前近代性とくくっても良いのかもしれないが、当時のフランスの社会全般を覆っており社会の脆弱をもたらしているということなのだろう。
確かに、この数年後、ナチスドイツの侵攻に対しフランスは実に脆く、屈してしまうこととなる。

あんちゃん