「現代では、そんな僻地の話では無くなったというのが本作のテーマであると思います 黒水仙の香りは街の至る所で香り、性的な誘惑に街は満ちています」黒水仙(1946) あき240さんの映画レビュー(感想・評価)
現代では、そんな僻地の話では無くなったというのが本作のテーマであると思います 黒水仙の香りは街の至る所で香り、性的な誘惑に街は満ちています
映画.com では1946年になっていますが
手元の資料によると1947年5月26日英国公開となっています
どちらが正しいのでしょうか?
カラー作品
マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーが共同監督
不朽の名作「赤い靴」の一つ前の作品
黒水仙とは劇中の人物が使う男性用香水の銘柄の名前
水仙の花言葉は「自己愛・うぬぼれ・自尊心」
英語名はナルキッソス、その語源はギリシャ神話の美少年ナルキッソスによるもの
ナルシストという言葉はここから来ているのはご存知のとおり
それが黒いのだから「ちょいワル」向けの男性用香水というニュアンスがあります
黒は孔雀の色
黒水仙のことを「自惚れ屋の黒い孔雀」という台詞がでてきます
つまり女性に対して性的な誘惑の香りだということです
決して体臭を消す為の爽やかな香りではないはずです
水仙の香りは優しい甘い香りですが、水仙の花壇が近くにあるとすぐに気付くほどその香りは強く香るものです
なぜその香水の名前が本作の題名なのでしょうか?
それが本作のテーマだからです
学校と病院を兼ねた修道院は、文明から隔絶されたインドはヒマラヤの山奥の断崖絶壁の上の廃された宮殿を使っています
しかしその古い宮殿は実は元は先代将軍の後宮で、別名「女の館」だったのです
その壁面には裸体の女性など性的なモチーフの壁画で埋められています
後宮だった頃、ここがどの様であったのかを細密に描かれた絵画も序盤に登場します
調度品も男女が性的に楽しむ為の優美な形状をしています
それもこれも後宮という目的に沿って、意識下で女性を性的な気分にさせるためもの
しかも、その地には男性的な魅力を発散させるイギリス人ディーンがいるのです
高地で風の強い土地なのに、彼はいつも逞しい胸元を広く開けて胸毛を見せ、短パン姿で足を腿までだしてシスター達の前に現れます
彼の帽子には鳥の羽が付いており、その形はピーターパンを思わせるます
本当の事を口にしてしまう、大人になりたくない子供だという事です
しかし彼は身長も高く、体格も大きく、容貌も実は良い血筋の出の男だとわかる知的な顔立ちです
声も低く、クリスマスキャロルを歌うとシスター達のソプラノの遥か低音の甘くて良く響く男の声を響かせます
性格はくだけているというか、クリスマスに酔って礼拝に来てしまうくらいいい加減な男
神や修道院への敬意に欠ける男
つまり相手がシスターであっても男女の間違いが起こりうる、そんな危うさを漂わせています
成り行きで修道院で預かる事になった土地の17歳の少女カンチは後宮だったころの時代の価値観のままの女性です
彼女は美しいだけでなく、より美しく見える長い髪、赤い体の線の出る華美な服装、キラキラとした装飾品を身につけて女性の本能のままに生きています
まるで後宮にいた女性達を描いた壁画から抜け出してきたような少女です
どれもこれもシスター達が禁止されている女としての欲望を自由気ままに彼女達の目の前で見せびらかすのです
ここで学ばせてくれと押し掛けてきた若君は、青年の肉体と宝石、豪華な衣装を見せびらかし、題名の黒水仙の香水の匂いを漂わせるのです
つまり、この土地は雄大な山脈の光景と爽やかな空気しかないのに、シスター達にとっては、性的な誘惑が濃密に充満しているのです
黒水仙の強い香りが教室に充満したように
しかもここは高地のさらに岩棚の上
視線を巡らせば遥か彼方まで見晴らせるのです
「ここは遠くまでみえすぎるのです」
過去の修道女になる前の女性としての喜びを思いだしてしまうと
厳しく自己を節制するここでの生活が苦痛に感じてしまうと
手がマメだからけになるほど働いても雑念は消えないのです
そのシスターはこういってこの地を去ります
「ここで生きていくなら、見ないふりをするか、無我に達するか」どちらも自分にはできないと
この性的な誘惑によりシスターが死んでしまう大事件も起こってしまい、シスター達は結局この地を去って行きます
このダージリンよりもまだ奥地、標高2700メートルもの高地のインドの僻地のお話
時代は20世紀の始めの頃かと思われます
しかし現代では、そんな僻地の話では無くなったというのが本作のテーマであると思います
黒水仙の香りは街の至る所で香り、性的な誘惑に街は満ちています
女も男も、あの僻地の修道院の様なところで、生活し、仕事をしているのです
気持ちを強く持たないと、つい誘惑に負けてしまいそうになります
あの異動を希望したシスターのように、見ないふりをするか、聖人のようになるか
どちらも出来なければ?
異動しても逃げる先はどこにも無いのです
その問題提起が本作のテーマであったのです
いまは21世紀
公開当時から74年も経ちました
現代人の我々は、公開当時よりもさらに性的な誘惑に露骨にさらされています
とはいえ、私達はシスターでも神父でもないのですから、別に誘惑に負けても、不倫でもない限り大したことではない世の中です
しかしコロナ禍
緊急事態宣言の下では、異性との出会いの場もありません
しかし、誘惑はスマホからネットをつうじて直接あなたにもわたしにも黒水仙の香りを嗅いだかのような誘惑を送り込んでくるのです
悶々とするしかないのです
私達はいま、このインドの奥地の修道院にいるのかもしれません
デボラ・カーの尼僧姿の美しいこと!
彼女の出演作品の中でも一番美しいと思います
白い肌はまるで磁器のようです
大きな青い瞳はまるでエメラルドかトルコ石です
ジャック・カーディフのカメラが素晴らしいです
特に高い鐘楼を上からの構図で断崖絶壁の下までを強い遠近法でみせたカットはため息がでました
しかもクライマックスの大事件の伏線になるカットでもあったのです
「赤い靴」でも彼のカメラです