キリング・フィールドのレビュー・感想・評価
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このお話は事実をもとに作ったフィクションが多く含まれる
アメリカ軍の撤退に伴い、カンボジアの地を離れるアメリカ人記者の話。彼の訴えにより、ポル・ポト政権が打倒された訳では無い。
この主人公は『アメリカが戦争をしかけたのにベトナムに負けたから無責任に撤退するのは、実にけしからん』と言っている。つまり、アメリカがカンボジアに残らなかったから、クメール・ルージュがのさばったとしている。さてさて。
元々、ロン・ノルと言う軍人が支配する共和国軍つまり、ロン・ノル軍事政権にアメリカが加担して、北ベトナムへのソ連による補給ルートを断つ目的でカンボジア、ラオスをアメリカが攻撃開始したのが起源だった。従って、1975年時点では、シアヌーク元首もベトナム社会主義共和国軍(北ベトナム)やポル・ポトと一緒にアメリカ、ロン・ノル連合軍やベトナム共和国軍(南ベトナム)と戦っている。
アメリカが撤退して、ロン・ノルが国外に逃亡した後起こったカンボジアの内戦がキリング・フィールドなのである。
従って、ワールドトレードセンターからはいくら高くとも、カンボジアの悲劇は見えなかった。それどころか、アメリカは対ベトナムとの関係から、ポル・ポト政権を容認せざるをえなかった。国連でも民主カンボジアとして承認されている
その一連の出来事は、はっきり覚えている。勿論、この映画が上映された1985年は1979年にベトナム軍によってプノンペンは解放されているので、ポル・ポトは旗をおろしているが、組織はまだ解体されていない。選挙があったのは1993年だったと思う。
兎に角、イマジンを歌って平和を謳歌する時期ではなかった。
追記 なぜ?ポル・ポトの一派(襲うのはカンボジア共和国軍、ロン・ノルだ。映画は字幕を入れずにきちんと説明も入れず)が住民を虐殺する時に『バンド・オン・ザ・ラン』なんだ。ふざけた映画だ。
そして、1979年10月9日にこの記者はニューヨークで再会するようだが、その10/09がジョン・レノンさんの誕生日故に使われている。稚拙だ。
カンボジアの友人に、この映画の存在を話したら、特殊な方法で鑑賞したらしいが、
『カンボジアでは余り見られていない。兎に角、西洋人にはカンボジアの事は分かるわけない』って、その友人が言っていた。
付け加えて、
『地雷を践んだら・・・』のお墓の事は知らないし『それ誰?』って言われた。アレ?
同時に、その友人曰く『解放はベトナムの力借りたかもしれないけれど、ベトナムは・・・』と言っていた。詳細は想像して貰いたい。まぁ、そんなもんだ。
多くのカンボジア人はタブーと言っている。当たり前だよね。クメール・ルージュの人達って僕と同い年だもの。まだ、65.66歳くらい。
すごかった
高校生の時に映画館に見に行ったら中学の時の同級生のヤンキーが彼女を連れてきていて、こんな映画を見るのか、しかもデートで、しかも彼女が全然うらやましいとは思えないタイプで、その印象ばかりが残っていて内容はすっかり忘れていた。ベトナムでなくてカンボジアだったことは覚えていた。
ジャーナリスト目線の戦争映画で、決死の覚悟で危険地帯を取材するのだけど、カンボジア人の仲間が出国できず、後半は彼がジャングルをサバイバルする展開。クメールルージュに捕まって奴隷生活を送る。一般人が政治や戦争の前でいかに運命を翻弄されて、力ない存在か骨身に染みる。個人の自由や尊厳など儚いものだ。まさに今コロナで、当たり前にあると思っていた映画館が長らく閉館していて、こんなことも起こり得るのが社会で、もっとひどいのが戦争だ。欧米のコロナは日本とは比較にならないし、自給自足生活も人生の選択肢としてありではないだろうか。幸い年寄りだから徴兵はないだろうけど、物資の供給がとだえたら悲惨だ。
他人面している日本人
カンボジア内戦後期、クメール・ルージュの支配下となったカンボジアでの物語。アメリカ人ジャーナリストのシドニー・シャンバーグの通訳でもある、現地新聞記者のディス・プランは、脱出用に偽造したパスポートの写真が定着不良で真っ白になってしまい、退避していたフランス大使館を出る事を余儀なくされてしまう。
移送された集団農場では、オンカー(クメール・ルージュ)が理想とする原始共産制の重農主義・農本主義に基づき、人々に強制労働を課していた。親から引き離した無垢な子供達を管理者として重用する一方、都市部から移住して来た人々は、常に反革命分子として扱われ、些細な事で容赦なく銃殺に処される。
「オンカーは過去の罪を許す。教師、医師、学生は名乗り出て欲しい」と言われ、名乗り出たものは、集落の外に連れ出されて無造作に射殺される。プランは農場からの脱走を図るが、おびただしい数の白骨で埋め尽くされた処刑場(Killing Field)で倒れてしまう。
別の農場の幹部に拾われたプランは、彼の身の回りの世話を始める。幹部に、元新聞記者であった事が露見するが、幹部はプランを処刑せずに、こう言う。「オンカーのやり方は違っている。自分に何かあったら、子供を連れて国外に逃亡して欲しい」。
無軌道な銃殺をやめさせようとした幹部が殺され、プランは子供を連れて農場を脱出。途中、地雷によって子供は命を失い、プランは一人で国境を超える。その後、報道写真で偶然プランの姿を発見したシャンバーグと難民キャンプでの再会を果たす。
バックには、ジョン・レノンのイマジンが流れて映画は終わり。
高校生の頃に見た映画です。当時、俺の頭の中は、Gガモフと音楽で1/2、女の子のオッパイとフトモモで残り半分が埋め尽くされていました。ここは健全です。が、新聞は朝日で本田勝一に傾倒していました。痛いね、こりゃ。
「朝日新聞がポルポト政権のジェノサイドを隠蔽し捏造記事を書いた」と非難されてますが、これは正確ではありません。ポル・ポト政権によるプノンペン制圧について「流血の跡が見られなかった」「敵を遇する上で、極めてアジア的な優しさにあふれている」と報道したのは1975/4/19。さすがに、これはウソっぱち。プノンペン陥落は4/17。クメール・ルージュ軍は悠々とプノンペンに進軍すると同時に、都市住民の強制移住を開始しています。「Killing Field」で描かれている大量虐殺は始まっていませんが、4/19時点では「アジア的優しさ」なんて、のんびりと報道できる状態じゃ無かった事は明らか。この記事は報道として有り得ません。
カンボジアにおけるクメール・ルージュの虐殺者数については、その数についての推測に諸説があります。1962年を最後に国勢調査が行われておらず、人口動態が掴まれていなかったことが推定を更に困難なものにしています。個人的には、イェール大学の170万人に信憑性を見ています。推定人口800万人のうち、170万人が処刑・飢餓などで死亡したと言うのは、まさに衝撃でしかありません。
ポル・ポト政権の政策は、基本的には中国共産党が取った文化大革命のそれを踏襲したものだったと考えられます。愚民政策を基本に、知識層を粛清の名目で殺害しています。弱者や文化人も容赦なく処刑。革命が成功した事を知って帰国した留学生も処刑対象。伝統文化の継承者も大量虐殺。また、その名の通りにクメール民族至上主義であり、民族浄化も行いました。華僑の犠牲者は、当時カンボジア国内にいた40万のうち、半数の20万人とされていますが、中国共産党はクメール・ルージュを支援していた張本人であり、それを許容しています。
で、何んで、そんな事が国際的に手出しもされずに傍観されていたのか。
ソ連はベトナムを支援していました。中国はカンボジアを支援。この対立構造は中越戦争に繋がります。中国は「懲罰戦争」と呼び、カンボジア軍はベトナムとの国境を越え、バ・チューク村の村民の殆んどを虐殺すると言う事件まで起こしています。日本を含めた西側諸国はと言うと。ベトナム戦争後、間もない時期。アメリカはベトナムを「ソ連の手先」とみなしていたため、カンボジア支持でまとまっていました。ASEAN諸国を含めてです。1980年9月の国連総会で、西側諸国はクメール・ルージュのカンボジア代表権を承認しています。その結果、クメール・ルージュのジェノサイドは、国際的非難を免れることになりました。
最低だよ。本当に最低。
朝日新聞は平和の誤った印象を私達に広め。政府は「カンボジア国内で何が起こっているのか」を知っていたであろうにも関わらず、アメリカに追従し大量虐殺を行っているクメール・ルージュを承認した。
20年ほど前から日本政府は米国支配の石油市場からの独立性の模索を始めていると思われます。その戦略の一環が、米国と対立している「イランへの直接投資」。昨年は、イランへの経済制裁強化・核開発関連戦略物資の迂回輸出疑惑から、「一枚かんでいるのは間違いない韓国」のホワイト国除外、なんてことになりましたが、TV・新聞は背景説明一切無し。NHKは率先して「輸出規制」なんて言い出すしね。解体した方が良い。
この映画から35年。あの国連総会から40年。
アメリカ支配からの脱却政策は、イヤらしくアメリカに潰されるけど。継続して欲しい。
それと。戦争では無く。平時自国民を虐殺しているヤツが隣に住んでます。助けなきゃね。
カンボジア内戦の実話
ニューヨーク・タイムズ記者としてカンボジア内戦を取材し、後にピューリッツァー賞を受賞したシドニー・シャンバーグと彼を守り支えてくれた現地人ジャーナリストのディス・プランの絆を描いた実話の映画化。
カンボジア人ということで外国人記者と共にタイへの避難ができなかったディス・プランは自力での逃避を試みるも武装組織クメール・ルージュにつかまってしまう、キリング・フィールドとは大量虐殺が行われたカンボジアの辺境にある強制労働収容所一帯である。映画の後半は主役交代、ディス・プランの苦難の逃避行を綴っている。
ベトナム戦争の映画は多く作られたが隣国カンボジアを巻き込んでの史実の映画は希少である。
劇中のビデオでもニクソンが出てくるが大国の思惑に振り回される東南アジアの悲劇がこれほどまでだったとは胸が痛む。戦場ジャーナリスト活動についてゲリラの人質交渉に利用されるなど日本では問題視する向きもあるが、夫や息子たちを戦場に送り出している母国の家族、国民にしてみれば軍のやっていることの真実の側面を伝える役割は極めて大きいことが分かる。
戦闘場面を売りにせず、現地の視点でこれほど克明に戦争を描いた生真面目な映画は珍しいのではなかろうか。
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