救命艇のレビュー・感想・評価
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ヒッチコック史上、最小規模の舞台<救命艇>で巻き起こる心理劇
ヒッチコック映画には、主人公が縦横無尽に世界を飛び交う活劇もあれば、その対極ともいうべき閉所空間サスペンスも存在する。本作は後者のまさに極北。なにしろUボートによって旅客船が沈没し、救命艇に乗り合わせた人々がその内部のみで紡ぎ上げるヒューマンドラマなのだ。そのサイズといったら、横幅は大人が手を大きく広げる程度。縦幅も5mほどしかない。かくもヒッチコック史上最も手狭な空間にて、性別、職業、階級、国籍の異なる人々が時に疑心暗鬼を募らせ、また時に生き残るために力を合わせる。
スタジオ内での撮影ながら、キャストは水に濡れ、風に吹かれ、その姿も焦燥に駆られた感じになり、その上、ラストにはスペクタクルへ身を晒す。本作が戦時中に製作されたことを考えると、敵兵への言葉の中に単なる憎悪や恐怖を超えたヒューマニズムに訴えるメッセージが込められていることに気づき、ヒッチコックの国際感覚に改めて感心させられる。
海上の密室
大型客船の煙突が海に飲み込まれていくオープニングから、「うわ~、これぞ映画だ~!」という醍醐味に興奮しました。海に投げ出された乗客・乗組員が大海原に漂う小さな救命艇に次々と救われていきますが、そこからのドラマは予測不能の展開を見せます。わずかな食料しかない救命艇で助かる可能性があるのかというサバイバルのうえに、乗客・乗務員らの性格や過去のしがらみなどが幾重にも重なっていく心理戦に引き込まれます。徐々に明らかになる真実に驚きつつ迎えるラストには、思わず苦笑してしまいました。こんな密室でもカメオ出演するヒッチコック監督の執念(?)にニヤリとしてしまったのは私だけではないでしょう(笑)。やっぱり、人間の心理描写が巧いですよね~。とても楽しめました!
『同じ人間なのか』 『ガスと母子だけが知っている』
『同じ人間なのか』
『ガスと母子だけが知っている』
この映画に出演している人達も、今や、ガスや母と子と同じ運命になっている。つまり『ナチスが同じ人間かそうでなかったか』を知っているって事だ。
この女性は重慶の空爆にも合っている。
ナチスドイツと同じ運命をたどった日本人に対しても『同じ人間か?』と考えていたのだろうか?
この映画は1944年1月12日にアメリカ公開のようである。その2ヶ月後に東京は焼け野原になる。つまり、人間と見ていなかった人達もいたと言うことなのだろうか?なんか悲しくなる。
さて、カメオ分かりましたか?
スタインベックのスペンサーに対する尊厳とは?
ウイリーというドイツ兵を第二次世界大戦中救った救命ボートのアメリカ人やイギリス人たち7人。1944年の作品だから明らかにドイツ人に対する憎しみはひとしおだ。戦場は救命ボートの上にも存在するということだ。ヒッチコックの才能もすごいが、スタインベックも戦争中の映画をこれだけ公平に、つまり、敵味方かかわらず、それぞれの人々の善悪の2面性をうまく描き出している。あっぱれ!
ウィリーはドイツ兵で、医者でありガスの足を切り落とし命を助ける。歌も歌える。しかし、彼は水もビタミン剤も隠して独り占め。それに、ドイツ語を話し英語が話せないふりをするそしてバミューダではなくドイツに🇩🇪向かおうと隠したコンパスを使って舵をとらせる。そして、ガスを突き落とす。
コニーはガスに足を切るための安らぎの言葉を与える。でも自分勝手で物欲主義でドイツ語も操れ教養がある。映画で彼女の最後の一言にぞーっとした。彼女が、ドイツ兵を救うかどうかの結論を出したから。独裁主義ってこういう風に動くんだよなと思った。
祈りの言葉としてLord is my Shepardの続きを読んだスペンサー(カナダリー)は コニーの代わりに一言言ってたら、状況が違っていたかも。でも、当時の彼にはその力がなかった。
いくつかの記事を読むとわかるが、ヒッチコックはスタインベックにこの執筆を頼んだ。でも、映画ができあがって、みたら、スペンサー役に、尊厳を与えず、戯け者の黒人風に描いたと。これはスタインベックの書いた作品とは違うから、自分の名前を落としてくれと。
なるほど、確かに、スペンサーの存在が薄すぎたが、スタインベックは果たして、どういうスペンサーを描きたかったのか具体的に知りたい。
素晴らしい演出テクニックも、話の骨子が…
沈みゆく煙突だけて大型船であることを、
浮遊物から客船であることを、
悟らせる見事な冒頭のシーンから始まった。
この映画ではこの冒頭のみならず、
手術の場面や敵艦長の殺害シーンも含め、
あえて描かない上手さ等、
狭いボートの中だけの限られた場面設定での
ヒッチコックの演出力をまじまじと
感じさせる作品だった。
狭い空間でのほとんど動きの取れない
場面設定は、舞台劇としても難しく、
せいぜい小劇場での舞台劇として
ようやく成り立つような心理劇を
ヒッチコックは見事に料理している。
しかし、話の方は、
あちらもこちらもと盛り沢山過ぎて、
ポイントが散漫してしまった印象だ。
新進気鋭の女性ジャーナリストが次々と
商売道具を失い仕事よりも
恋心に転ずる皮肉も、
捕虜のはずだった敵艦長を救命艇の船長化
して裏切られる皮肉も、
その敵艦長が嵐から助けた皆に殺される
皮肉も、
敵艦長が手術でせっかく助けた患者を
殺す皮肉も、
自らが撃沈させられたのと同様に
繰り返される相手国船の撃沈を
目撃するという皮肉も、
等々たくさんの皮肉要素から明らかに
反戦映画的でもあるが、
かと言ってドイツ兵の扱いを見ると
そうでも無い戦意高揚的にも見え、
更に、各人のエピソードが満載過ぎて
話の骨子を絞り込めていないイメージだ。
最後にまたドイツ兵を引き揚げてしまった。
さぁどうする、
また皮肉に終わらせてしまうか、
学習成果の見せどころだが。
コニーのキャラクターが最高だし、サバイバルもの・サスペンスものとし...
コニーのキャラクターが最高だし、サバイバルもの・サスペンスものとして見れば凄くおもしろかった。ヒッチコックの映画なのに、こんなとこで終わりにするのかっていうのが感想。もっともっと面白く作れたはず。
「こういう人種をどう扱えばいい?」っていうのが言いたい事だったんでしょう。
大海の密室
誰もが聞いたことのあるボートのジョークがある。
大海にボート。
5人の遭難者が乗っていて、それぞれ国籍がちがう。
5人は多寡が臨機である。
4人くらいがつくりやすい。
かれらは、その国柄に基づいた行動をとる。
思い出せないので適当だが、アメリカ人は保険を売る。イタリア人は愛を語る。中国人は騒ぐ。豪州人は魚を獲る。ブラジル人は踊る。・・・
ポイントは、国籍から誰もがわかる属性をやらせることである。
ゆえに、たいていポピュラリティのある国と特色で表される。
また、ジョークなので最後がオチになる。最後の人種の行動で落とさなければ、ただの羅列である。
この小話はところを変え、品を変えるが、現代ではジョークには使われず、どこかの国を、嘲弄したり、誹謗したいときにアレンジを変えて使われるのが、通例である。
負の側面をあげつらう。
たとえば、性暴力が社会問題になっているインド人を登場させたら、かれはそれをする。といった感じに、過剰一般化を代表行動にしてしまう欺瞞がある。
わたしはこの話を見聞きするたび、ヒッチコックの救命艇を思い浮かべた。
なにかしら因縁があるのだろうか。ここから派生した小話ようだ。
少なくも映画として技法や演出における影響力は大きいはずである。
特徴は、大海のロケーションに反して、密室ドラマになっていること。
すべてスタジオ撮影だと思われる。
撮影技術の進歩からみると、そのリアリティは比べようもないが、ドラマ自体は、こんにちつくられた密室ドラマよりもおもしろい。
人物はダイナミックなキャラクタライズがされている。
誇大でも矮小でもない。
教科書のようだ。
教材につかっていない映画学校があったら似非である。
かどうかは知らないが──そういう映画だと思う。
ほんとに直射日光と海風にあてられていたら人はぼろぼろである。
しかし、コニー婦人はいつまでも身ぎれいと威厳をたもっている。舳先に足をくんで座っていると、バーカウンターに座っているようである。
リアリティの欠如は、ときとして、見やすさとわかりやすさである。
トリュフォーが愛したのはヒッチコックの、圧倒的なわかりやすさだったと思う。
時代の経過によって、フィルムの感度が上がって、夜間撮影ができるようになったが、トリュフォーがDay for Nightを言ったのは、夜を明るく撮りたかったからだ。夜間撮影ができるかできないかではなく、見やすい、わかりやすい夜を撮りたかったのだ──と思う。
密室劇の傑作!
ヒッチコックの才能の凄さに感嘆するばかり
説明的な映像のはしょり方が名人
冒頭の貨客船の撃沈シーンは煙突だけしか見せない
煙突の大きさで大型船であること、それが波間に沈むことで沈没しつつあること、波間に浮かぶ漂流物で客船であることをあっという間に片付けてしまう
人物の登場とその説明、物語の展開
すべて手際良くモタモタしない
ユーモアとウイットは控えめながら、皮肉の方に寄せてある
人道的なことを述べていた人物が、終盤の殺人には率先して手を下すのだ
これ程濃密で面白い密室劇は12人の怒れる男以外に上を行く映画は思い当たらない
素晴らしい傑作だ
よく出来てるわぁ
観てないヒッチコックを観る第2弾! 1943年の『救命艇』です!
好きだなぁ、この作品。舞台は救命艇のみ! この広がりのない閉じられた空間でのドラマはまさにヒッチコックらしさ満載でしたね。どうしてこんなにうまく撮れるのか、本当に不思議ですよ。
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