劇場公開日 1951年11月2日

「あの「駅馬車」での切れ味はどこへ…」黄色いリボン KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)

1.0あの「駅馬車」での切れ味はどこへ…

2021年6月8日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

少しまとめてフォード作品を観た延長で、
若い頃鑑賞していたものの内容は全く
覚えてもいなかったので再鑑賞した。

フォード監督の映画は概ね、
「怒りの葡萄」「わが谷は緑なりき」を中心と
する戦前の社会派タッチの作品群、
戦後の「騎兵隊3部作」を中心とする戦後の
西部劇作品群、
そして、50年代の「捜索者」「静かなる男」の
市場意識よりもフォード監督の個人的な思索の延長にあるような作品群、
に大別されるイメージがあるが、
私は戦前の作品群が好みだ。

一方、戦後の西部活劇には抵抗感が強い。
“映画.com”に参加させていただく
ようになり、
ある投稿者の方にフォード西部劇の
素晴らしさや鑑賞のポイントを教えて頂き、
幾つかの作品を再評価出来たが、
この作品へは最後まで評価出来ないままの
鑑賞となった。

この作品は、大尉の部下思いで組織の統率者
としての理想の人物像、
中尉と少尉の恋のさや当て、
大尉と同期の従卒との丁々発止の遣り取り
等が描かれるが、各エピソードが散漫過ぎて
まとまりが悪い。

酒場での同期兵卒を中心とする乱闘シーンも
下手なコントを見せられているようで
私は全く笑えなかった。

また、
どうしてインディアンと武器商人の取引現場に簡単に近づくことが出来る設定に
するのか、
どうしてあれほど残虐に白人を殺す一部の
インディアンがいる居留地での交渉に臨む
段取りを端折って簡単そうに描くのか、
どうしてインディアン居留地の馬を簡単に
追い払う設定に出来るのか、
等々、不自然な描写が私には解らない。

ラストでは大尉が中尉・少尉の元に戻る
という期待通りの結末に導くためとは言え、
余りにも安易な展開に、
どうしてこのように都合の良い描写に
出来るのか、
彼の多過ぎる作品数と関連していないか、
脚本の練りに手抜かりは無かったのか、
そんな疑問もあり、
私は鑑賞への集中力を削がれてしまった。

確かに映像は素晴らしく、主題歌も有名で
子供の頃は日本語の歌詞があり
良く唱ったものだが、
あの「駅馬車」での切れ味はどこへ行って
しまったのかの思いだ。

一方、基本的に私を唸らしてくれた作品が
多かったのは黒澤明の方だが、
彼が敬愛するフォード監督にどうしても
太刀打ち出来なかったのは
馬や馬車の疾走シーンではなかったろうか。

元々が、駄馬しかいなく狭かった日本古来の
合戦環境だったので、さすがに黒澤でも、
馬の疾走感覚への遺伝子が欠けていたため
だったろうか。

いずれにしても、他の投稿の皆様には
申し訳のないネガティブな内容に
なってしまいましたが、お叱りを覚悟で、
異論・反論・オブジェクションとして投稿
させていただきました。

KENZO一級建築士事務所