「恋と欲望の駆け引きにある人間の醜さを風刺したパゾリーニ監督」カンタベリー物語 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
恋と欲望の駆け引きにある人間の醜さを風刺したパゾリーニ監督
ジェフリー・チョーサーの原作から8つのエピソードをパゾリーニ監督が狂言回しの出演を兼ねて監督した艶笑喜劇。それぞれに男女の恋と人間の欲望の駆け引きが面白く描かれているが、イギリス文学らしく皮肉も込められている。ただし、逸話の内容と表現力にバラつきが大きく、またパゾリーニ監督の演技もよろしくない。
第1話は、妻が若すぎる弊害を皮肉込めて描いた通俗的な話だが、ヒュー・グリフィスとジョセフィン・チャップリン出演でそれなりの面白さはある。第2話は男色家から賄賂を貰う宗教裁判官の話で、ここにはパゾリーニ監督の主観があるだろう。ニネット・ダボリが出鱈目な若者を演じるだけの第3話は、彼のチャップリンスタイルに演出のサービスを感じる。第4話は実に卑猥な話で感心しない。第5話は性欲旺盛な女性が男性を苦しめ痛めつけるだけのお話。それが教会を舞台にして描かれる。パゾリーニ監督らしいと思う。二人の学生と粉屋の3人家族で繰り広げられる愚かな知恵比べの第6話は、人間の欲の醜さと屈託の無さを併せ持ったところが興味深い。そして、この映画で一番の人間暴露の面白さがあるのが、第7話の3人のならず者の話。仲間の一人が“死神”に殺されたと仇討ちを試みる。ところが誘われたある木の下の場所に行くと金貨や宝物がザックザックで、3人の目的変更。二人の見張りを置いて、一人が祝杯を挙げる為に酒とパンを買い出しに行くが、酒の中に毒を仕込んで持ち帰る。ところが残っていた二人はその間にその男を暗殺しようと密約を交わしていた。仲間を信用せず分け前を独り占めしようと画策するならず者が、結局は殺し合いに終わる人間の因果応報の教訓的お話。第8話は映像としても話としても、どう表現してよいものか全く解らない。ただ、カトリックを批判しているパゾリーニ監督の下品を厭わない大胆な表現に唖然とするのみ。
キリスト教の知識があればもっと深い解釈が出来るのかも知れない。そんな感想が最後に残る不思議で下賤な作品だが、欲望むき出しの人間の醜さは表現されていた。
1978年 5月9日 池袋文芸坐