カラー・オブ・ハートのレビュー・感想・評価
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ゲルニカはの価値や如何に?
芸術とは言うまでもなく、白と黒だけではではない。
この映画の主旨は取ってつけたような超保守的なコーカソイド系の屁理屈。
1958年の話で、ファンタジーなこの後、現実は、自由と民主主義のアメリカは数々の滅びの宴をやらかす。
そして現実にこの二年後に他国に侵略をされるのだ。
罪の無いマンハッタンの住民が、色のある人々のサクリファイスの標的に合うのだ。
犠牲になった方々の冥福を祈りたい。
「アクロス・ザ・ユニバース」じゃない。
マンハッタンも縦断してない。
ピカソの
「ゲルニカ」にはクリスチャンにとって嫌われる黄色に対するアイロニーが含まれていると感じる。ヨーロッパへ行くと直ぐに気が付くが、黄色い服を着た人が大変に少ない。
黄禍論もあるだろうが、カトリック教徒には「ユダの色」とされている。
さて、その黄禍論の当該者である我々には、水墨画と言う偉大なる芸術がある。新年の
東博は等伯で始まる。
クールジャパンの真骨頂だよ。
個人的にはマチス、シャガール等の色のある作品が好きだけどね。
なんで、こんな話をするか?この演出家は僕と全く同世代。記憶ではアメリカの白黒ドラマに結構良い物があったように感じる。また、我が家は白黒テレビだったので、あのディズニーも白と黒だった。でも、1966年の12月31日に旧国営放送で村田英雄さんの歌う「人生劇場」をカラーテレビで見て、汚い色って思った事を思いだす。多分、それがテレビでのカラーの最初で、映画でのカラーを見まくっていた僕には、テレビのカラーは余り心を動かされなかった。この演出家も同じだと思うけどね。
追記
パリにてモンベ○の黄色いヤッケを着ていて「はっ!」と気付く。誰も黄色い服なんか着てない。
尊敬する知人にラインする。「ヨーロッパの人は避けてると思いますよ」と助言。
翌日、プリマ○クへ黒いヤッケを買いに行く。
30€もした。しかも、地下鉄で往復4€。
日本人が絶対に行かないジョイフ○本田の様なところだった。いい経験。
見えなかったものを手に入れる旅
テクニカラーに無いもの
モノクロームに有るもの
今を生きる兄妹が旅する
ファンタジーの世界。
そこは決まり切った世界
素敵で笑顔の有る世界だった。
憧れの場所だけど何かが無い。
無いものから有るものへ
1985年のあの映画、
マーティの時代は「ヘビー」
そして15年後には「クール」
それを過去に持ってゆく面白さ、
同時にファッションにも注目
バスケットシューズはコンバース
これは当たり前だったらしいく
改めてナルホドと思った。
合流して変わるもの
彼らの意識の変化
モダンからクール
瞬時にジャズで表現
そしてエルビスと続く
何故カラーになったのか
戸惑う彼ら、答えは後半
台詞になって明らかに。
喜びも悲しみも天然色
そして旅は人を変える
世界はひとつしかないよりも
自分の居場所は選択できる…
その方が楽しいと考えるのか。
終わりはジョンの思想と魂
精神世界と愛の詩が流れる。
※
果たしてこれは良いことなのか…?
白黒のテレビドラマの…平和だけど退屈な世界『プレザントヴィル』に入り込んだ兄妹が世界を色づかせていく…
これを初めて観たのは中高生の頃。
純粋で平和、健康的なプレザントヴィル。
他のことは知らないかもしれない。
世の中には楽しいことがある。
おいしいものもある。
危険だけど刺激的なものもある。
現代の価値観に当てはめれば、そこは少し退屈な世界で、色付くことで感情豊かになる登場人物たちを見て、これは素敵な変化であると信じて疑わなかった。
鮮やかに華々しく変わる素敵な世界それが当時の感想だったと思う。
しかし、今見直してみて、これは本当に正しいことなのだろうか?という疑問が湧いた。
感情を抑圧した社会が良いとは思わないが、『プレザントヴィル』は純朴で誰も抑圧されているわけではない。
彼らは彼らの中でより良く生きていたのに、突如として外からやってきた兄妹によってその価値観が勝手に染められていく。
その様子に少し背筋が寒くなった。
例えるなら外来種によって既存の生態系がまるっと塗り替えられてしまうようなものじゃないのだろうか?
タイトルなし(ネタバレ)
善良なのが取り柄の平凡なモノクロのテレビショーの中に入り込んだ主人公2人がテレビの中の世界に本当の恋や勇気や感動を知ることで色づいて行く。
色づいた人とモノクロの人で争いが起きたりは想定外で面白かったけど恋愛関係とか、最後は宙ぶらりんで
消化不良
猫の救助しかしない消防隊には笑った。
これを見てあなたがどう思うか
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