ガッジョ・ディーロのレビュー・感想・評価
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面白かった。75点ぐらい。
ロマってジプシーの事らしいんですが、ジプシーって呼び方が差別的らしくて、世界的にロマって名称変更したらしいです。
そんなロマを題材にした映画で、監督もロマ出身らしい。
舞台がルーマニアっぽいな…と思ってたら、やっぱりルーマニアだった(笑)
静かな感動系ヒューマン映画かと思ったら、にぎやかなコメディ系ヒューマン映画でした。
フランス人の男がロマの人々と出合って…って映画ですが、
その主役のフランス人の男を演じてるのは『キャメラを止めるな!』の人らしい。
あとから気付いた(笑)
オープニングが、美しくて、面白くて、センスいいなー♪と思ってたら、
映画全体的にも良かった♪
もう1回観たい。
配信してほしい(笑)
異文化交流
父親の好きだったノラ・ルカというロマの歌い手を探してロマの村にやってきたフランス人青年ステファンと村人の交流の話。
言葉がわからない中、息子のことで飲んだくれている爺さんイジドールに付き合って泊めて貰い、何か勘違いされて気に入られと始まって行くストーリー。
ノラ・ルカ探しは当然の如くうまく行かなかったり、村人からは疎まれたり、そんな状況でもステファンとイジドールは行動を共にして行くけれど、手紙は何?車はどこから?イジドールは突然どうした?と訳がわからないw
ステファンがどのくらい村に居たのか良くわからないものの村人と心が通うようになり、そんな中で事件が起きて…まあその辺は良かったけれど、ノラ・ルカ探しはどうなった?そもそも会ってどうしたかった?と結局何の話しだっけ?状態でイマイチすっきりしなかった。
悲しみの中の歌と踊り
父のカセットテープの歌い手、ノラ・ルカを探しにフランスからルーマニアのロマの暮らす地域にやってきたシュテファン(見た目はハリー・スタイルズ風)。
言葉は通じないけれど歌と踊りが好きで明るい、楽しい人たち、くらいの感じで彼らとの交流を楽しむ。
そんな中で、ルーマニアの人との争いから住んでいたところが全て焼かれ、世話になったイシドールの息子も亡くなる。
その後、今までのテープなど全て壊すシュテファン。
シュテファンはきっと、そこでロマの歌や踊りの本当の意味を知ったのだろう。悲しみの中から生まれる音楽を。
最後に踊るシュテファンとそれを見て微笑むサビーナが印象的だった。
やっぱいいよ、ロマ。
かつて、ロマ音楽にどハマり
していた時以来、すっかり
ご無沙汰だったので、久々に
ロマに触れられたこたが、
何より嬉しい。
ドキュメンタリーっぽさも
手伝ってか、ロマの人たちを
見ていると自然体で頬が緩む。
3日間ぐらい、あの集落に
民泊してみたい。
監督はロマでもアルジェリア人で、フランスかぶれの男目線な作品に仕立てていると感じた
三部作と言うから、この作品の前に、関係する話が存在するのだと思う。
この話自体では、ガッジョ・ディーロが何故ここへ(ルーマニアへ)やって来たかが分からない。
手作りの蓄音機を作ってあげて、ロマの人達に聞かせて、円満さを繕うが、なんと当時10万円もしたDATの録音機を持っている。
そもそも、ルーマニアのロマのスースー村を訪れるのに、現地の言葉を全く分からずに訪れる無謀な事はフランス人と言えどもしまい。
話の流れを単純に受け取れば、馬鹿息子は殺人をおかしていて、仕返しされる理由はあろうかと思う。ロマ族全体に対する差別とは全く違う。ルーマニア人の酒場へ背広とネクタイ姿で乗り込む姿は、『仁義なき戦い』みたいだ。つまり、ロマ族の反社会的組織って事だ。
この話をアイロニーとしてとらえるなら、ロマにも馬鹿な男が沢山いて、結局泣くのは女性と子供って事を言いたいのかと感じた。
しかし、サビーナはこの世間知らずの馬鹿なフランス人にくっついて、この地を離れようとしている。ベルギーで嫌なことあったはずなのに、騙される懲りないロマの女という事だ。なんで、DATのテープを破壊して、埋めるのだ?映画の初めにパンとチーズで飯を食べた所で。理解できない。
監督は母方はロマでも、父親はアルジェリア人(父系が強いベルベル族)で、フランスかぶれの男目線な作品に仕立てていると感じた。だから、
到底、共感することは出来ない。
25年前の映画だが、本当にこんな事があって、こんな生活をしていたのだろうか?
日本で言えば、沖縄で観光用の琉球民謡を見て感動し、『沖縄には、差別された歴史がある。』って語っているように思えた。つまり、フランス人や外国人向けの観光映画。
『ノラ・ルカ』って東ヨーロッパのロマ族の歌と紹介されているが、イスラエル国歌のハティクヴァみたいだ。もっとも、ハティクヴァはスメタナ(チェコーボヘミア)のモルダウそっくり。東ヨーロッパ全体で好まれたメロディーのような気がする。但し、ここで登場するロマ族の音楽はインドの民族音楽とトルコのベリーダンスのスーバークロスオーバーって言ったところだ。
持論で申せば、ロマ音楽の普及はジャンゴ・ラインハルト(ベルギー?)の存在が大きく影響していて、ステファン・グラッペリ、ヘルムート・ツァハリアス、ウェルナー・ミューラー、アルフレッド・ハウゼ 等など 彼らが
タンゴ、フラメンコ、ラテンをイージーリスニングとして、西洋(ヨーロッパ、アメリカ)へ普及させた。勿論、ポール・モーリアとか、レイモン・ルフェーヴルとかジェームス・ラストとかヘンリー・マンシーニまで含めていいかなぁ。
しかし、そうなる前にクラシックとして
チャルダッシュやチゴイネルワイゼンもロマ音楽ですよね。黒い瞳なんかもロマだね。ロマとロシア、ウクライナ民族音楽とのクロスオーバーだね。
誰にも聞いてもらえない含蓄飛ばしきった。ほぼ受け売り、しかし、今は亡きオジキのコレクションで、良く聞かせて貰った。個人的にはヘルムート・ツァハリアスの『黒い瞳』が好きだっただけかもしれない。
まぁ、
こんな時、中村とうよう先生がご存命ならと感じた。
迫害されても迫害されても
クストリッツァ監督作品でロマの文化は少しは知っていたのですが、本作ではロマの迫害のされ方や貧しさがよりリアルに感じました。欧州に旅行する時は良く『ジプシーに気をつけろ』と言われますが、こんな生活であれば旅行者にたかる事は当たり前というか、政府も社会も助けてくれない生きるか死ぬかみたいな世界なので、日本人には想像もできない何とも言えない気持ちになりました。
フラメンコのドキュメンタリー映画を鑑賞した時に、フラメンコのルーツもロマだという事を知りました。迫害され続けた流浪の民が豊かな音楽と踊りをヨーロッパ各地で土着化してきたというのが何とも皮肉な話です。ヨーロッパの文化はロマ抜きでは語れないですね。
ロマ。「ジプシー」と呼ばれた人々。
※「ジプシー」が蔑称で今はこの名は用いられないのは皆さんご存じですよね?
浅黒くて顔の彫りが深いので“薄汚いエジプト連中”=「ジプシー」という呼び名でロマは扱われました。
これはロマに対してもエジプト人に対してもホントいかんかったねー。
ロマは、ユダヤ人と共にヨーロッパ中から狩り集められてガス室送りにされた人々。
本作は、その東ヨーロッパのロマの人たちの生活を垣間見せてくれたドラマ。
ドラマ仕立てだが監督自身がロマの血を引き、この流浪の民を自らの家族として記録し続けている。
監督は虐げられる同胞の生をフィルムに残し、劇場での公開を通してロマの存在を全世界へ知らしめんとする。
⇔それに対して劇中では登場人物ステファンは虐げられた民の奏でた音楽テープと録音記録ノートをば悲しみのカタストロフィーの内に破壊して地中に葬り、誰の目にも耳にも触れさせ得ぬためにこの世から隠して、そして弔いの踊りを舞う。
ステファンにとって、もはや目の前の民は観察や研究の取材対象ではなかったのだな・・・
破壊されるロマと、決して滅びずに再び立ち上がるロマ。
公開されるロマと封印されることで守られるロマ・・・
─この2つの生きざま、アプローチがこの映画では強烈な合体のスパークを成している。
そしてラストに監督が出した答えがサビーナのこの笑顔だ。
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TSUTAYAの「良品発掘コーナー」でたまたま手に取った本作。ジャケ買いならぬジャケ借り
だが、こうして出会った新しい世界は僕に目眩を与えてくれるに充分だ。
この衝撃は「極北のアヌーク」=カナダのイヌイットの記録映画でも感じたものだ。
観賞後、あのバイオリンと物悲しい歌声が耳に残っていて未だ眠れずにいる。
美しい男女ステファンとサビーナに、未来を託したいと思う。
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