カッコーの巣の上でのレビュー・感想・評価
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ついにチーフがマグマーフィの遺志を引き継ぐ
カッコウの巣の上に
考えさせられますよね
最後は自由を勝ち取った感じでスッキリ
(Rさん)
いまの世の中の縮図ですね
チーフになれる人は
まわりをみてもいないですよ
なので
映画でチーフが
マグマーフィの遺志を引き継ぎ
あの重い礎石をもちあげ破壊したとき
みな眠りから覚め起きて
感動している
このエンディングは見てる
観客も同じです
世の中の
曲がった制度に
従っている
だれも
勇気ある一歩は踏み出せない
ついにチーフは
変わり果てたマグマーフィではあったが彼と一緒に
カナダへ向かった
このエンディングは最高です
昔と今
仕事が医療従事者なので、この映画を観て思ったのが、今は良い時代になったなと言う事。現代は医療技術の発展だけではなく、考え方もだいぶ当時と変わり、患者主体の医療が行われるようになっている。
まず、割と序盤の方でなんの説明も無く良くわからない薬を渡されて、飲めと言われる。マクマーフィーはなんだかわからない物は飲みたくないと言う。現代ではこのマックの感覚のほうが普通だと感じるし、ああ言われたら医療者としては患者に隠さず説明をするのが当たり前で、説明無く飲ませることに違和感しか感じなかった。でも、当時は割と良くある話しだったんだろうな。
今では考えられないけど。
昔は患者よりも医者が一番偉いという風潮があったし、癌なんて病名を知らされずに治療を受けるなんて良くある話しだったわけだし。
でも、こういう映画などの功績もあって医療倫理という考え方が広まったのかもしれないと思うと、世に広く患者の権利や尊厳を訴えたという意味ではすごく意義深い映画だと思った。
なんて事を感じながら観た。
そういう視点から考えると、この映画の登場人物の中では、どうしてもマックが1番人間らしくまともに見えてしまうし、なのに人間らしさが乏しい人達の中にいたために、脳をいじられて人間としての大事な部分を奪われるという最後にはほんとに衝撃だったし、悲しさを覚えた。
インディアンウソつかない。 ”正しさ”が托卵するのは”システム”という狂気の雛か。
強制労働から逃れるため精神病院へと入院した囚人マクマーフィが、病院の抑圧と支配から自由になるために抗うアメリカン・ニューシネマ。
主人公、ランドル・パトリック・マクマーフィを演じるのは『イージー★ライダー』『チャイナタウン』の、レジェンド俳優ジャック・ニコルソン。
製作を務めるのは当時はテレビドラマなどで活躍していた、後のレジェンド俳優マイケル・ダグラス。
👑受賞歴👑
第48回 アカデミー賞…作品賞/脚色賞/監督賞/主演男優賞/主演女優賞(フレッチャー)!✨✨✨✨
第33回 ゴールデングローブ賞…脚本賞/作品賞(ドラマ部門)/主演女優賞(ドラマ部門)/主演男優賞(ドラマ部門)/監督賞!✨✨✨✨
第1回 ロサンゼルス映画批評家協会賞…作品賞!
第30回 英国アカデミー賞…作品賞/監督賞!✨
アカデミー主要5部門を制覇した、言わずと知れた名作中の名作。そして『シャイニング』(1980)と『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の前日譚でもある🤥
原作は1962年に発表された同名ベストセラー小説。翌年にはブロードウェイで舞台化もされており、その際マクマーフィを演じたのは名優のカーク・ダグラス。
この物語に魅了されたカークは10年にも渡り映画化に向けて奔走するも実現はならず。その後を継いだ息子のマイケルが父の夢を叶え、結果としてその作品は映画史に残る大傑作となったのであーる。
驚かされるのはそのリアリティ!
役者さんたちの演技が皆驚くほど自然で、クリストファー・ロイド(余談だが、本作は彼の映画デビュー作である)がいなければ本物の精神病患者を使って撮影したと思い込んでしまったかも知れない。
それもそのはず、本作は本物の精神病院を使ってロケ撮影をしており、ジャック・ニコルソン以外の患者を演じる役者たちは実際に10日間入院し、その流れのまま撮影を開始したらしい。
この徹底したリアリズムはキャスティングにも表れており、ロケ地となったオレゴン州立病院の院長ディーン・ブルックスはジョン・スピービー医師として映画に出演している。
本作のキャスティングで最も難航したのは巨漢のネイティブ・アメリカン、チーフ。彼を演じることが出来る役者が全く見つからず途方に暮れていたところ、ウィル・サンプソンという男の存在を人伝に知らされる。いざ初めてサンプソンという男と会したマイケル・ダグラスはその2mを越す巨体に衝撃を受け、その場で「こいつしかいない!!」とキャスティングを決めた。
面白いのはこのサンプソン、本作に出演するまで演技経験が0だったということ。彼はヤキマ市の森林警備隊員を務めているズブの素人だった。
先のディーン・ブルックスの件といい、本作は重要な人物を演技未経験者に演じさせており、それが不思議なほど絶妙にマッチしている。配役の妙ということもあるが、これは役者陣を実際に入院させることで生み出したリアリティが全体の演技バランスを上手く調節していたのだろう。
なんにしろ、役者陣の演技が非常に良かったことがこの映画の物語性を真に迫ったものにしていたのは間違いない。
そんなリアリティのあるキャラクターたちをぶち抜いて、過剰なまでの存在感を放ちまくるジャック・ニコルソン。既成の常識を粉砕しながら爆進する彼の姿はほとんどジョーカーそのものである🃏
『シャイニング』も『イーストウィックの魔女たち』(1987)も『バットマン』(1989)も、ハイテンションな狂人がジャック・ニコルソンの独壇場となったのはひとえにこの映画での彼の熱演があったからだろう。
一人だけ明らかに演技が異質だが、それは彼がこの物語上でも異質な存在だから。全てを薙ぎ払うヒーローだからこそ、彼の怪演が許されているのです。
とはいえクライマックス、彼がチーフの手にかかり自由を得る場面。あの枕をパッと取った時の顔、あれは完全に笑わせに来てるでしょ…😅ヘゲッ!というオノマトペが似合う圧巻の顔面力に爆笑してしまったのは私だけなんでしょうか…?
『シャイニング』の時もそうだったけど、ニコルソンは悲劇的だったり恐怖する場面だったりする時に過剰な顔芸によって笑わせにかかりますよね。トラジディとコメディは表裏一体だという哲学が彼の演技の根底にあるのでしょう。…いや知らんけど。
映画史にその名を残す悪役、ラチェッド看護婦長。
『ミスト』(2007)の宗教ババア、『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』(2007)のピンクババアと並ぶ、世界三大クソババアの一角をなす終身栄誉クソババアである。
「自分が悪だと気づいていない、最もドス黒い悪」とは「ジョジョの奇妙な冒険」の名言だが、ラチェッド看護婦長はまさにこれを体現している。
彼女が厄介なのは、自らの行為を「悪」だとは露ほども思っていないところ。彼女が作り上げた”完璧”なシステムこそが唯一の治療法であると信じきっており、そこに割り入る意見や価値観は全て夾雑物として取り除いてしまう。彼女の世界の中ではそのシステムは全き「善」に他ならず、それを阻むものは皆全て「悪」なのだ。独善的な ”正しさ”はシステムを生み出し、それはそこから溢れた存在を徹底的に抑圧し排除する。その正しさが行き着く先は考えを放棄し、波風を立てることを恐れる人々が列を成す狂気の管理社会である。
SNS社会となった現代にこそ、このメッセージは深く突き刺さる。世界を窮屈にしているのは悪徳ではなく行き過ぎた”正しさ”なのだ。
ラチェッド看護婦長というキャラクターはこの”正しさ”の持つ危険性のメタファーであり、だからこそ彼女は名悪役として今に至るまで語り継がれているのだろう。
また本作で描かれているのは精神外科治療に対する強烈なアンチテーゼ。
本作を観ればロボトミー手術や電気けいれん療法など、患者の人権を無視した精神外科療法に対して憤りを覚える事だろう。
脳みその一部を切除しちゃうロボトミー手術は流石に60年代を最後に行われていないようだが、電気けいれん療法は未だなお積極的に行われているという事実にはぶったまげた。頭に電気を流して鬱病とかの精神病を治療する、ってマジかっ!?そんなんほんとに効果あんの?
こういう治療法ってあまりに安直すぎる気がする。精神の病っつうのはもっと時間をかけて少しずつ回復させていくものなんじゃないんですかねぇ…。
劇伴についてはラチェッド看護婦長のかけるクラシックレコードがそのまま作品のBGMになるという演出がとられており、それ以外のところでは音楽が流れないためとにかく静かな映画である。
ただ2箇所だけ、登場人物の心が大きく動くシーンでBGMが流れるんですが、ずっーと静かな場面が続いてからの音楽だからそれが胸にドサっと迫ってくる!
その2つのシーンのうちの一つがエンディング。いや本作のエンディングは本当に素晴らしい✨
カタルシスとはまさにこの事!チーフによる水道台持ち上げは『ショーシャンクの空に』(1994)にも匹敵する最高の脱獄場面であります!!
静かな上テンポがゆったりとしているので、全体的にはとにかく地味なのだが、バスケットボールのシーンや空想野球観戦シーン、チーフのウソが明らかになるシーンなど、脳裏に焼きつく印象的な場面がところどころに配置されているため退屈することはない。アカデミー賞を総なめしたのも納得な、名作に相応しい堂々たる映画であると思います!!
…ただ本作のクライマックスは賛否が分かれるだろう。いくらロボトミーで廃人になったとはいえ、本人の意思を蔑ろにして殺しちゃうっていうのは…。
まぁチーフはネイティブ・アメリカン独自の宗教観というか価値観を持っているわけで、だからああいう行為に到ったというのはわかるんだけどやっぱりモヤモヤしちゃう。日本では2019年に「ALS患者嘱託殺人事件」なんてもんがあったから余計にねぇ…。
まぁモヤモヤするもんは仕方ない。映画はモヤモヤするために観ているようなところもあるしね。そこも混みで、鑑賞する価値は大いにある歴史的な一作であります!!
【精神病を詐称した男が経験した、1960年代の精神病院の現実。人間の尊厳と社会の不合理を描いた作品。前半の明るいトーンからのラストシーンの恐ろしさに戦慄する作品でもある。】
■1963年9月のある日、オレゴン州立精神病院に1人の男ランドル・P・マクマーフィ(ジャック・ニコルソン)が連れられてきた。
彼は刑務所の強制労働を逃れるために狂人を装っていた。
マクマーフィは絶対的な権限を持つ婦長ラチェッド(ルイーズ・フレッチャー)が運営する病院に、さまざまな手段で反抗しようとする。
◆感想<Caution 内容に触れています。>
・途中までは、婦長ラチェッドが、病院内の規律を乱すマクマーフィの数々の行いを、歯ぎしりしながら観ている姿が印象的であった。
・マクマーフィが、それまで精神病患者たちが、病院の言いなりになって死んだように暮らす姿を変えて行く姿。
・それに感化されたように、精神病者たちの表情も生き生きとしてくる。口が利けないふりをしていたアメリカン・インディアンのチーフも、マクマーフィには口を聞く。
<恐ろしいのは、精神病患者たちに行きる意味を与えたマクマーフィが密かに脳の手術を受けたと思われる彼の額に刻まれたメスの後であろう。
彼はそれまでの快活な表情とは無縁の生きた屍のようになって、ベッドに横たわっている。
それを観たアメリカン・インディアンのチーフは、彼の頭に枕を押し付け、絶命させるのである。
勿論、彼を思っての行為である。
前半の明るいトーンからのラストシーンの恐ろしさに戦慄する作品でもある。>
この演出家が『アマデウス』とは知らなかった。 先ずは1963年のワ...
この演出家が『アマデウス』とは知らなかった。
先ずは1963年のワールドシリーズの話だから、1963年はベトナム戦争開戦前夜でそれを象徴していると思う。また、公民権法施行はまだで、国としての黒人に対する差別すら無くなっていない。従って、黒人の患者が一人もいない。しかし、主人公に施された処置はロボトミーと言う処置で、1950年代には施しが中止され、この時期には絶対に避けられていた医療処置だ。現在、この処置方法は違法である。また、考えた医学者はマッドサイエンティストと言われている。
従って、この映画公開の少し前の歴史に対する象徴的な寓話と見るべきだ。
白人の女性の婦長がアメリカの民主主義主義。
ネイティブアメリカンの逃走が、アメリカの歴史に対する贖罪。
ロボトミー手術がベトナム戦争を引き起こしてしまった国家に対してのアイロニー。アメリカと言う国家に対してこそ、ロボトミー手術を施せ!と訴えているようには見える。
だがしかし、至って難解な脚本であり、ストーリー展開が破綻している。だから、素直には評価出来ない映画だ。
アマデウスの演出家とは信じ難い。原作者が、アメリカンカウンターカルチャーの元祖見たいな方なので仕方ないとは思う。しかし、素直に共感は出来ない。
大学一年か浪人中に大森の映画館で『さらば冬のかもめ』と一緒に見たような気がする。がしかし、覚えていたのは、最後のシーンとバスケットのシーンのみだった。
物凄く残念な映画だ。
衝撃。
マクマーフィの破天荒なキャラクターのおかげで非常に
見やすかった。内容は濃厚だが、分かりやすい。
社会に馴染めないマクマーフィが仲間の希望の光となり、
元のカッコーの巣ではなかった
娯楽を強引に取り込み、婦長と対立しながら
仲間との絆を作り上げる。
病人にも分け隔てなく接するマクマーフィは現実社会では
アウトな人物でも、病院内では不思議と共感してしまう。
病院側との対立でマクマーフィの人間らしい足掻きから
だろうか。現実にこういう人がいれば、避けてしまう。
なのに映画になると共感してしまうのは不思議だ。
中盤〜終盤にかけてが素晴らしい。
カメラワークも全体像よりも表情を中心に撮る場面が
何箇所かあり、迫力のある映像に惹き込まれずには
いられない。散々楽しんだ朝、ビリーが自殺に追い込まれた
時にマクマーフィが逃げなかったのは仲間意識だろうか。
更に婦長の殺害未遂は彼の責任感からなのか。
序盤からチーフがよく映るので何かあると思っていたら
まさかクライマックスの主役を持っていくとは。
マクマーフィはロボトミー手術で人格を失った後の
チーフからマクマーフィへ愛ある殺害は衝撃だった。
チーフだけが脱出に成功したのは何とも皮肉だ。
最後に1つ、婦長の髪型どうなってるんだ笑
すごい映画
なんとも面白さは感じなかった。
人権は重要で、尊重すべきだと感じた。
上に立つ人間は謙虚でなければならない。
最後にロボトミー手術で人格が変わるのはすごい。
これは、本当に、すごい映画だと思った。
スカッとしたりモヤっとしたり
重いテーマながらもコメディタッチで、見ていて楽しい気分になった。ただ、最後はモヤっと感が残る。もっとハッピーなのが良かったけど、それではここまで評価される映画になってないだろうな〜
人権なんて、掲げられた大きな正義の前では、有って無いものだ
この作品の根本にあるのは、
「命ある全ての人の人権」だと感じた。
刑務所の強制労働から逃れる為、猫を被り、精神病棟へ移ってきたモクスリー。なんの罪を犯したのか、はたまた何かの精神病なのかは、作中では明らかにならない。主役の彼から伝わるのは、教師に反抗するヤンチャ学生のような、ずる賢く、ただ仲間想いで、人間味溢れる、憎めない人キャラクターだ。私もその一挙手一投足に見入ることになった。
前情報なく観ていた私は、「あぁ…これは心温まる、厚生ハッピーストーリーなのかー」なんて思ってた。
この映画はラストスパートの衝撃が強すぎる…
映画ってすごいよな…伝え手の妙により、こんなにも衝撃が、見ている人の脳への、考え方への、固定概念への衝撃が強い…
日頃、私たちが精神病患者に抱いている嫌悪感…それは精神病院目線であり、
1人の人として分け隔てなく接する、本当の平等な人権は…モクスリー目線にあると思う。
婦長の大変さに同情する場面もあり、
モクスリーの疑念の表情に共感する場面もあった。
十人十色、全てを受け入れるのは簡単では無い、
それでも皆、命ある人なんだ。だから大変で難しい。
ロボトミー手術が盛んに行われていた時代があったこと…
それを現代ならばおかしいと皆が言えること…
提唱することで、人類全体が、愛する人の一人一人が幸せになれるよう
この作品の根本にあるのは、
命ある全ての人の人権についてだと感じた。
マックの意志はチーフに継がれた。
ラチェットの厳しさはごく普通。有能な看護師という言葉にも納得のもの。ところがマクマーフィの脱走に同行した患者たちの楽しそうな表情を見ると、そうも思えなくなってしまう。ワールドシリーズを観ると言ってたけど、結局は自由が欲しかっただけ。外の世界を謳歌したほうが患者の治療にも役立つように思えてしまう。まぁ、元来、精神病院なんて患者の更生を促すよりも閉じ込めておくことが主となるんだから、こんな病院はどこにでもあると思う。
脱走が原因で、マックを刑務所に送り返すよりも病院に縛り付けることを主張することになったラチェット。舞台は精神病院であるが、普通の監獄モノのような展開となる。
カナダに逃げるためお別れパーティをこっそりと・・・と計画は吃音のビリー(ブラッド・ドゥーリフ)の童貞お別れパーティみたいな雰囲気となり、酒の飲み過ぎのためか全員寝込んでしまった。ビリーが母親だけには言わないでくれてと懇願するもののラチェットの厳しさのため、彼はそのまま自殺・・・なんと悲しい結果。
精神病院の実情が浮き彫りにされると同時に、自由を求める姿が胸を熱くさせるものの、自発的に入院している患者もいることがすんなり受け入れられない点。それでもチーフが重い水道を壊して脱走を図るエンディングはすがすがしいし、ヨットの上での楽しい思い出が患者たちのマックに対する想いを盛り上げてくれた。
クリストファー・ロイドもいいなぁ~
主人公にはあまり共感できなかった
見る前は病院側が恐怖政治を執り行っているものなのかと思いきや、別にそうでもない気がした。
マクマーフィはわがまま放題で何かしらの拘束処置が必要だと自分でも思った。
ただ、ショック療法やロボトミーという手段は頂けないが。
結局、どういう精神病院がベストなのか?
生涯忘れられない作品
昔の映画館は入れ替え制なんて無かった。当時、この映画とDeer Hunterは劇場で3、4回見た。一日で。10時間くらいスクリーンを眺めてた事になるんだが、その習慣は今も、あまり変わってない。
バスケットの肩車シーン。ビリーが自ら命を絶とうとするシーン。マクマフィーの廃人化した姿。チーフが窒息死させる場面。局面局面に感動したり衝撃受けたりしたが、それだけだった。
ロボトミー手術の非人間性。独裁的管理社会の恐怖。死の概念と自由の概念。当時は、幼稚なオツムで色んな事を考えたりもしたが、どうしても未だにわからない事がある。
「ただのゲス野郎でしかないマクマフィーへ共感してしまう理由」
マクマフィーは、自由を手に入れるため、義務を果たさず、ウソをつき続け、周囲を巻きこんだあげく、自らの失敗により最後はロボトミー手術を施されて廃人となる。彼の影響でカッコーの巣の上には、少しだけ変化が現れるが、やはりこの人には共感できる要素は、ゼロだ。
チーフがマクマフィーの顔に枕を押しつけた理由は、彼の父親の逸話が伏線となっている。酒におぼれて小さくダメになってしまった父親を始末したのは、チーフ自身だったのではないかと、ここでハッとしてしまう。
この作品を不朽の名作と呼ぶのか、と問われると躊躇するが、この映画は一生忘れられない。映画としての価値は正しく理解していなかったけど、こんなに考えたことなど、なかったから。
痛快なドタバタコメディーかと思いきや
以下、勝手な解釈ですが。。
舞台は現実社会に馴染めない「クズ」の吹き溜まり精神病棟、カッコーの巣。
マックはそのクズに対して分け隔てなく、一人の人間として、病気を個性として接する。
そして次々とクズたちのカラを破っていく。
外に飛び出してクルージング、病院内をメチャクチャにしてのパーティーはほんとに皆楽しそう。
パーティーの最中に脱走しなかったのは、ここに居場所みたいなものを感じたのじゃないのかなと思う。アップになった表情が素晴らしかった。
ジミーがカラを破り、恥ずかしくないと言ったシーンは一緒に拍手したくなった。
しかし、唐突にジミーは現実に、巣の外に引きずり出される。現実の象徴であろう婦長と対峙した時には胸が張り裂けそうだった。
強引にジミーのカラを破り、殺させてしまったマックが婦長のクビを締めるシーンは涙が止まらなかった。
マックも結局はクズのひとり、ロボトミーによりみんなの希望の光も消えてしまったが。。
マックが出来なかったこと、大きな殻、社会をチーフがぶち破り、自由になったマックと一緒に飛び立っていくラストには本当に胸がすく思いがした。
理想論ですが、クズのひとりである私には一生忘れられない映画でした。
名作です。
48回アカデミー賞の作品、監督、主演男優、主演女優、脚色の五部門独占なんですね。
ニコルソンは1937生まれでした。このときは若い!
クリストファー・ロイド、バックトゥーザフューチャーの、ドクでしたね。
本作品中で自殺したビリー役のブラッド・ドゥーリフは、助演男優賞にノミネートされてたみたいです。彼の後年の作品デビッド・リンチ監督「砂の惑星」のバイターというイカレタ男爵役がすごかったです。
あと、小さいおじさんはダニー・デヴィートでしたね。
いまはイージーライダーがすごく見たいです。
ではまた。
時代
なんというか、グリーンマイルとかショーシャンクみたいな雰囲気で私は好きでしたが途中のストーリーに比べてオチがなんだかなーって感じでした
実際に昔の精神病院の中がこんなだったのか、昔の映画だからこう描けたのかわからないけど
とにかく役者人の演技がすごいなーと。
みんな本当にクレイジーにしか見えない
クリストファーロイドが出てるの?って気づいたときと言ったら感動でした
この時代の役者さんは演技に本人にしかない味が溢れんばかりにあって何というか、、かっこいい。
釣りのシーンは単純に笑える場面もあって(笑)
そんな所も昔の映画だなぁーって(女がビッチなのも含む
ショーシャンクみたいにうまく外にでれてヤッター!って見たあとにすっきりする映画ではないけど、個人の個性と自由についてちょっと考える映画だった
この病院より外がこわいから病院を好んでいる人はただ逃げてるだけだけど
もしかしたらこの時代にはわかってない彼も本当に精神障害があったのかも??
極端な自由vs統制が描かれている
ロボトミーだとか看護師による診療だとか、措置入院だとか、
この映画で描写されている個々の問題は、
現代ではほとんど克服されている。
とはいえヒューマンドラマとしては今見ても興味ぶかい。
例えば、主人公は、少なくとも2回は病院から逃げるチャンスが
あったのに逃げなかった。何故だろう。
逃亡が彼にとっての一番の目的ではなかったのだとすると、
彼が必死に求め続けたはずの自由とは何だったのか。
次に観たときには何かわかるかもしれないと思う一方で、
この暗すぎる内容をまた見る気が起きるのだろうか、とも思った。
最初に鑑賞したのは二十歳ごろだった。 お恥ずかしい話だが、当時は「...
最初に鑑賞したのは二十歳ごろだった。
お恥ずかしい話だが、当時は「なんのことやらさっぱり」だった。
患者が落ち着いて暮らすことができるように、きちんと管理されている精神病院に、精神病と偽って刑を免れたマクマーフィ(ジャック・ニコルソン)がやってきて、秩序正しい日常をぶち壊す。あげくの果てに看護師を殺そうとまでしたので脳に手術をされ廃人となるが、けっきょく最後に同房の収容者に殺されてしまう話…というふうにしか受け取れなかった。
むろんミロシュ・フォアマン監督の意図は、そういうところにはない。
非常に個人的で我田引水な解釈を許してもらえるなら、この映画が言っているのは、「患者の治療のため」と称して行われる「管理」は、実は、「病院」の秩序維持のために患者を「押し込めておく」ことにすぎなかったということだ。
むろん「患者」とか「治療」、「病院」が何の喩えかは言わずもがなだ。
映画の中で患者たちは一時「外」に出してもらえる。だけどそこで失敗をやらかす。明確には表現されないが、看護師長(ルイーズ・フレッチャー)の「ホラごらんなさい。だからあなたたちは管理されなきゃダメなのよ。それがあなたたちのためなのよ」とでも言いたげな勝ち誇った表情。
そして、最後のところで看護師長の本性がむき出しになる。ハメをはずしすぎた青年の患者に向かって「あなたのお母さんに言いつけますよ」と言う。極度のマザーコンプレックスから精神を病んでしまった患者にだ。その言葉にショックを受けた青年が自殺を図る。看護師であれば予測し得た結果だ。看護師長にとっては「治療」よりも「秩序」が優先すべきことだったのだ。
これを見たマクマーフィは激怒し、看護師長にとびかかってその首を絞めようとする…。
最初に書いたようにマクマーフィは死んでしまうのだが、この映画は希望をにじませる形で終わる。
人間の尊厳とか自由について、たまには考えてみることも必要だ。
仕事帰りのビールが楽しみな日常に慣れきって毎日を安穏と過ごしていると、いつのまにか知らないうちに窓に鉄格子が嵌っていることにもなりかねない。
ジャック・ニコルソンを印象付けた作品
あまりに生々しく、切なくて観終わったあとも自分の中で違うラストを想定したくなってしまった。主人公マクマーフィーはアウトサイダーで精神病院にちょっとした嵐を吹き込む。それに対し、婦長のラチェッドはどこまでも規律に忠実に抑制の中で患者たちを管理することに努める。敵対する両者の描写が見応えある。
ジャックニコルソンは皆が絶賛するように気迫に満ちた素晴らしい演技。そして婦長さんは私の中では決して悪ではない。仕事に忠実で自らも己の感情を抑制し、使命を全うしようとしただけの人。だから、本当の顔はわからない。人が人を管理すること、病院の体制こそが権威をかざし人間の自由意思を奪いさるそのものだと思える。
彼とチーフの友情も見どころのひとつ。終盤、魂の死んでしまったマクマーフィーをチーフがやさしく抱きしめるシーンは切ない。彼のとった衝撃の行為。そしてチーフは飛び立った。彼の魂を引き継いで、いるべき場所ではないところから外の世界へと。
再び訪れた平穏な日常シーンの一こま。婦長の穏やかな顔つきと他の患者達の心持ちが前と変わったことがマクマーフィーの軌跡。テレビ前で架空の大リーグ観戦で盛り上ったときの喜々としたみんなの表情が鮮明に浮かぶ。
決して好きな部類ではなかったけれど、観なかったら後悔したと思う作品。
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