「【タルコフスキーを通して世界を考えてみる】」鏡 ワンコさんの映画レビュー(感想・評価)
【タルコフスキーを通して世界を考えてみる】
この作品はいろいろ考えることがあって、嫌いというわけではないが、とても苦しくなる。
散りばめられた情報が多くて、こういうことだろうか、というところにたどり着くのがそもそも大変だし、まあ、本当にそうかも判断がつかない。
吃音の矯正を試みる少年が映画のカメラに正面に向かって話す場面、これは、きっと鏡に向かって、つまり、自分自身に向かって話しかけているのだと思う。
父親の鏡に映った姿が自分。
父親の詩を朗読しているのはタルコフスキー自身だ。
妻は母親の鏡に映った姿。
そして、息子は自分が鏡に映った姿なのだ。
ロシアの歴史的・宗教的な特異性も語られる。
西欧とは異なるキリスト教の歴史、つまり、カトリックやプロテスタントではなく、正教の流れを汲んでいるのだ。
気にも留めたことはなかったが、ロシア人にとっては、これはコンプレックスなのだろうか。
モンゴルの侵攻をくい止めた歴史もある。
ロシア人にとっては誇りであっても、その恩恵を受けたのは西欧で感謝もされない。
戦争や政治的な映像をフラッシュバックさせる場面もある。
スペイン内戦から、日本に落とされた原爆、中国の毛沢東語録をかざして熱狂する人々の姿。
個人から、家族、民族の歴史から、世界の歴史まで淡々と範囲を広げて映し出すことで、何か、僕達が決して逃れることの出来ないものが、過去には明らかに存在するのだと言っているかのようだ。
この作品はタルコフスキーの自伝的な要素が多く含まれているというが、もし、自分と家族の関係を鏡に映し出されたものとして捉えているのだとしたら、少し悲しい気もする。
僕はもっと自由であるように思うからだ。
ただ、それこそが、もしかしたら、ソ連時代の、自分達自身の自由の無さを表現しているのだろうか。
スターリンを経験したソ連の…。
タルコフスキーが亡くなってからも、世界から抑圧や紛争は無くなっていない。
新たな価値観を受け入れられない閉塞感もある。
僕達は自分達を鏡に映して、考え続けなくてはならないのだろう。
ただ、僕には、タルコフスキーは、この作品で、乗り越えられるという希望を見せようとしているような気がしてならない。