海底二万哩のレビュー・感想・評価
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ファインディング・ネモ。 何はともあれ、やはりアシカは賢くて可愛いのだっ!🦭
1868年の南太平洋を舞台に、“怪物“と恐れられる潜水艦「ノーチラス号」に囚われた3人の男たち、そして復讐心に燃えるネモ船長の運命が描き出される海洋SFアドベンチャー。
第27回 アカデミー賞において、美術賞/視覚効果賞を受賞!✨
原作は「SFの父」として知られるフランス人作家、ジュール・ベルヌの「海底二万里」(1870)。
公開時(1954年)にはすでに古典だったこの小説を甦らせたのは、ご存知ネズミー帝国の創設者ウォルト・ディズニー。元祖ディズニー・ランドの開園が1955年なので、本作はその1年先輩という事になりますね。
監督を務めたリチャード・フライシャーは『Design for Death』(1947)というドキュメンタリー映画でアカデミー賞を獲得している人物。面白いのは、彼がディズニーのライバルとして知られていた「フライシャー・スタジオ」の創設者のひとり、マックス・フライシャーの息子だという点。かつてはディズニーと人気を二分していたフライシャーの血族が、結局は彼の下で映画を作る事になるとは、まっことこの世は諸行無常でありんすねぇ。
因みに、息子がディズニーの下で監督をするという話を聞いた際、マックスは「ディズニー?あのサノバビッチがっ!!」と悪態を吐いたのだとか。2人の因縁は根深いのである。
フライシャー監督がアカデミー賞を受賞した『Design for Death』、実は日本についての映画だったりする。終戦まもないタイミングで製作/公開されたこの作品は、何故日本が軍事国家になり、他国に侵略戦争を仕掛け、ついには米国に牙を向いたのかを描いたドキュメンタリーらしい。かなり興味深い内容だが、この映画を現在日本で鑑賞する手段ってあるのか?
フライシャーは後に『トラ・トラ・トラ!』(1970)という日米合作戦争映画の共同監督も務めるなど、戦争“や“軍事力“といったテーマを一貫して描き続けている。本作でも、武力報復の虚しさや戦争の愚かさが強く押し出されており、エンタメに振り切った空想科学映画でありながら彼の作家性はしっかりと表れている。
原作は未読なのだが、どうやら映画化にあたりノーチラス号の動力についての描写に変更が加えられている様だ。
今作のノーチラス号は明らかに原子力で動いているが、興味深いのは、世界初の原子力潜水艦もまた「ノーチラス」と名付けられている点である。
現実世界のノーチラスが進水したのは1954年。「海底二万里」から引用した様に思われるが、このノーチラスという艦名、実はアメリカでは1799年から用いられており、この原潜で6代目だったりする。ノーチラスと名付けられた船舶は世界中に沢山あり、その辺りの事を調べだすとキリがない感じなのだが、少なくとも本作が世界初の原潜の誕生と同年に公開されたのは事実であり、それと同名の原潜を映画の中で沈めちゃうというかなり際どいネタを仕込んでいるというのは注目すべきポイント。この時事ネタが当時どの様に受け止められたのかは少々気になるところである。
何れにせよ、この背景を考えると、本作に込められた反核のメッセージが真に迫ったものである事がわかる。国家が原子力エネルギーの軍事利用を推し進める中で、「まだこの力は人類には早すぎる」と唱えたフライシャー監督、そしてそんな映画を製作したディズニーの反骨精神にひとまず拍手を贈りたい。
また、奇しくも同年、日本ではあの大怪獣映画『ゴジラ』(1954)が公開されている。『ゴジラ』の仮題が『海底二万哩から来た大怪獣』であった事を考えると、この2作品が同じタイミングで公開されたというのは運命的だと言えるだろう。
「あのゴジラが最後の一匹とは思えない」と更なる悲劇を予感させて幕を閉じた『ゴジラ』と、「人々が私の発明を正しく使う日が来るはず」だと人類への希望を語った『海底二万哩』。同じ様に反核をメッセージとして掲げていながら、着地点がこうも違うというのは面白い。核に対する日米の意識の差が表れている様である。
他にもやけっぱちになって自爆したネモ船長と自己犠牲でゴジラを滅ぼした芹沢博士など、この2作品は何かと対比出来る要素が多い。並べて鑑賞してみると色々と発見があるかも知れない。
ディズニーシーのアトラクションにもなっている本作。聞いたところによると、それには海底人とか出てくるらしいじゃないですか。なら映画版にもきっと海底人の海底王国とかが出てくるハズ…!と期待していたのだが、アレ?意外と海底探検要素が薄い…。
海底で海藻取ったり亀を捕まえたり宝箱を発見したりするものの、それが描かれるのは1シーンのみ。あとは基本的に船内でドラマが進む。当時の技術的に海中撮影というのは難しいのだろうから、水中シーンが少ないのはしょうがないとしても、もっと面白怪物がいっぱい出てきてくれても良さそうなものなのだが…。結局のところ、出てきたのはダイオウイカだけじゃん。人喰い人種とかいう今なら完全アウトなニューギニアの原住民は出てきたけど、それは別に海洋ロマン映画じゃなくてもいい訳だし。海底人とか恐竜とか白鯨とか、そういう変なのがもっと見たいんじゃ!!
2時間以上のランタイムはあるが、アクション的な見せ場が少なく少々退屈したというのが正直なところ。ノーチラス号の造詣は見事だし、反戦・反核のメッセージには感銘を受けたが、『海底二万哩』というタイトルの持つワクワク感を上回るドラマは作中にはなかった。
……まぁでも、アシカちゃんが可愛いかったからヨシッ!
毛布を口に咥えてコロコロっと丸まって寝るとことか、すっごく賢くて感心しちゃった。やっぱバカな争いを繰り返す人間よりアシカの方が可愛いし賢いね。よし、核のボタンはアシカに託す事にしよう!!🦭🦭🦭
そういえば、『Nautilus』(2025)という実写ドラマ版が海外では配信されている様だが、そっちでもアシカは出てくるのかしら?ダイオウイカはどっちでも良いが、アシカだけは出て来て欲しいぞ!
原作と映画のノーチラス号の動力が違う
『紅〇豚』『天空〇城ラピ〇タ』『アバタ〇』を連想出来る場面が沢山登場する。
さて、この潜水艦の動力にこの映画のテーマがある。そして、1955年代の南太平洋の状況を鑑みれば、ネモ船長の正体も理解出来る。
さて、ネモ船長の取った最後の行動をどう受け取るかだと思う。そして、原作は物凄く先進的な内容である事は間違いない。しかし、現在に於いては残念ながら、ネモ船長はマッドサイエンティストであり、ここに登場する登場人物たちは20世紀の男の冒険家の名残りと言う事になる。
最後の爆発を見て
『物凄い爆発だ』と言う台詞が発せられる。そのバルケニアは南太平洋のある実験の場所であり、日本人はそこで3回目の被害に合う。
『オッペンハイマ〇』も同じテーマでしょ。
The sea is everything. 気合いの入ったディズニーの実写映画
やー、1954年の作品とは信じられない。海の撮影とか物凄いです。70年近くも昔にあんな撮影どうやってたんだろう?って不思議に思えるぐらい気合い入ってました。1954年ってまだダイビング器材も未発達だったろうになぁ。
原作は中学生ぐらいの時に一時期古典的SFにハマった頃に読んでたのですが映画は初めてで。まぁ中学生当時は古い映画を観ようといった発想自体なかったもので。でも、観てみるもんですよね~。スゴい良くできていたと思います。よくよく考えると1954年ってゴジラと同じ年‼️インパクトはゴジラの方があったでしょうけど、カラーで大王イカもよく動いてって考えると本作は上手く作ってあるなっと思います。当時からディズニーってスゴかったんですね。
ネモ船長がインド系でなかったり、最後に死んじゃったりと原作とはちょこちょこ違う点はあっても映画は映画で上手くまとまっていたと思います。エンターテイメント作品としてレベル高いっす。アメリカ映画の歴史というか、この昔からハンパない作りしてたって事を物凄く感じました。正直ビックリでした。
後アシカくんが有能です。ちょっとペットに欲しいかも?
海底に眠った人類の未来
ジュール・ヴェルヌの古典小説をウォルト・ディズニーが映画化したSF海洋アドベンチャー。1954年の作品。
19世紀、船舶が謎の怪物に襲撃される事件が続発。海洋学者アロナクスが調査に向かう。調査が進展せず打ち切りになった時、怪物が出現。船は襲撃され、アロナクスと助手コンセイユ、銛打ちのネッドは海へ放り出される。漂流した後辿り着いたのはその怪物…ではなく、正体は何と!超高度テクノロジーの潜水艦、ノーチラス号。3人は艦長のネモに捕らえられてしまう…。
人類の目が宇宙にまで向けられている今、まだ解明されていない点はあるとは言え、海底はそう未知の領域ではないかもしれない。
が、かつては遥かなる未知の領域であった。
そこに何があるか、何が潜んでいるか。
ワクワク、スリル、興味、冒険心は全く尽きない。
本作はそれらを醍醐味たっぷりに凝縮。
海で頻発する怪奇な事件。
その驚きの犯人。
3人の命運。
ネモ艦長の目的とは…?
地上世界とは全く違う海底世界。
地上世界も勿論美しいが、海底世界はそれにプラス、神秘的。
驚愕は、ノーチラス号。19世紀ではあり得ない近未来テクノロジー。
造り上げたネモ艦長は未来人とか突飛なSF設定ではなくれっきとした19世紀人。未来を行く超天才だが、一体どうやって…? そのエネルギー源は…?
さすがはハリウッド(ディズニー)、たっぷり予算を掛けた大作なだけあって、特撮は高クオリティー、スケールは充分、見所満載。
特撮で描かれるノーチラス号による船舶襲撃、海底描写は特撮好きとしては堪らない。
特撮シーン最大の見せ場は、ノーチラス号vs巨大イカ(クラーケン)。足の操演も見事。浮上し、嵐の海上で主人公らとバトルも!
しっかり作り込まれた美術やノーチラス号のデザインもクラシックでカッコいい。何だか見てたら東宝往年の名作『海底軍艦』を彷彿した。
海で食べる食事や次第に明らかになる重厚なドラマ…。これらはドラえもん映画の『海底鬼岩城』を思い浮かべた。
この2作だけではないだろう。他にも多大な影響を。
本当に全ての海を舞台にした冒険活劇の原点。
主な登場人物は4人。
語り部であるアロナクス教授。何よりも平和優先で理性的だが、時々科学の進歩に対し盲目的になる。
助手のコンセイユ。忠実だが、時々自分の立場や意見を変える傾向あり。
銛打ちのネッド。陽気だが、粗野な性格。何かとネモ艦長に反発したり、ノーチラス号から脱走しようとしたりする。その一方、クラーケンとの闘いで海に落ちたネモを助けるなど根は決して悪い奴ではない。
そして、ネモ。天才で、素性は謎多き。普段は紳士的だが、船舶襲撃やネッドに厳しい罰を下すなど時には冷徹さも厭わない。クラーケン襲撃時は自ら先頭になど実は熱い漢だが、長年暗い海の底で暮らしているせいかその心を…。
四者四様。それぞれ性格が活かされ、まるで一つの世界の縮図を見ているようで、狭い艦内で繰り広げられるドラマも見応えあり。
ネッド役のカーク・ダグラスの好演。
でもやはり、ネモ役のジェームズ・メイソン。風格と狂気が滲み出る。
最高のエンタメ。
最高のエンタメには、最も重要な要素が付く。
ノーチラス号の基地に向かう途中、ネモはアロナクスにある島を見せる。
「かつて私もこの島の奴隷だった」
何よりも海を愛し、何よりも地上を嫌悪する。彼の姿が見えた一瞬。
地上では人間たちの醜い争い、エゴ、19世紀なら奴隷制度も。実際に奴隷であったネモが地上の人間たちを憎む気持ちも分からんでもない。
が、船舶襲撃は決して許されない。罪も無い人の命を…。
彼はやはり、マッド・サイエンティストなのか…?
ネモが地上の人間たちを憎んだ一方、一筋の希望を見出だそうとしたのも事実。その証拠そのものが、このノーチラス号だ。
科学の結晶。これを世界に知らす。それに相応しい人物を探す。
人類の未来を信じてーーー。
…しかし、あの時代、この強大な力を手に入れて、人類はどう利用しただろう。
劇中では明確にされていないが、間違いなくエネルギー源は原子力。
この強大で、恐ろしい力を…。
人類を信じたいが、後にその力で愚かな行為や悲劇、失態もあった。
ラストはあれで良かったのかもしれない。
艦長は艦と共に。そして、絶対に戦争の道具にしてはならないこの未知なる力と共に。
海底には、信じた人類の“未来”が眠っている…。
海洋活劇の名作
1954年にこれほどまでにリアルで美しい海底を描くとはウォルト・ディズニープロの底力、本領発揮である。物語は海洋冒険活劇でもあり社会派ドラマでもある。主人公ネモ船長は稀代の天才科学者でありながら革新的エネルギー研究の開示を拒んだため政府に妻子を虐殺された恨み故のテロリスト、南大西洋の怪物と恐れられ航行する船舶を次々と潜水艦ノーチラス号で撃破、沈没させている。怪物調査に巻き込まれたパリ博物館の教授と助手、銛打ちの水夫がノーチラス号に拾われ別世界のような海洋体験を重ねてゆく、最後は水夫の流した瓶に入れた手紙で秘密基地が海軍に知られ戦闘となる・・。是々非々であるが航海に密着することでネモ船長は根っからの狂人ではないと伝わってくる、科学への信条も含めて奥深い。ドラマ性を別とすればなんといっても見どころは水中撮影技術と鋸鮫のようなノーチラス号の造形美だろう。ネモ船長の発明した新エネルギーは核を連想させるが19世紀の原作にはない、戦後故の脚色だろう。海洋もので大王イカや巨大オクトパスが絡むのはもはやお約束、船長のペットのアシカ君や亀の甲羅のギターなど小ネタもサービス。同じような時期に作られたチェコ映画「悪魔の発明(1858)」と似通うが格の違いを見せつけられた感がある、文句なしの海洋冒険活劇の名作であろう。
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