男と女(1966)のレビュー・感想・評価
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ルルーシュが残した完璧な"構図"の数々。
映画史に於いて"構図"の完璧さで本作は他に類を見ない。海辺のボードウォークをゆっくりとカメラが前進する冒頭のタイトルロールから、愛し合う男女が車のシートに隣り合わせて座り、前方、つまりカメラ側を見ながら語り合うシーン、ベッドの両サイドに少し離れて座るスリリングなシーン、うっすらとぼやけたパリの町並みを背景に佇む女、等々、監督のクロード・ルルーシュはフレーム内で表現し得るすべての基本構図を作品に投入している。それは、当時、否、今も斬新な映像手法。以来、遂にこれを超える作品を発表することはなかったルルーシュだが、彼が映画史に刻んだ足跡は永遠に色褪せない。
とにかく美男
影響受けてマネする男子多そう 高橋幸宏(YMOドラマー)もそうなったらしい でも日本人だしイケてないとマネても無駄どうあがいてもものが違う(ライターの炎大きくする所とか影響された人多いのでは) レーサーのかっこよさ男達の中で映えレーシングカーの爆音 ハラハラする事故が起こりそうで不安になるそれがこの映画の良さでもある 好みの映画はハラハラする恐怖の予感を感じさせ音音楽効果音が的確 でもこの映画のフランスレイ有名なダバダバダはまったく好みではない気だるいアヌークエーメのいやらしさはこの歌のようだ 彼の姿があまりにも完璧だからダメなところ探した(走り方が変だった) ルマン耐久レース後のパーティー南仏リゾート地ホテルでディナー海岸沿いをドライブなど女の子の憧れが詰まっている 海辺を散歩する犬と老人
有閑マダムと優雅な階級の男勝ち組同士の出会い恋人になるまで
子供は平日学校の寄宿舎に預け週末は一緒に過ごす
俳優たちはその後映画で活躍したのかしら俳優としては2流でアイドルだったのかな?とか考えた
一つ、女性の顔が好みではなかった濃すぎフランス人にとってはこのタイプが一番なのかな?わからなかった
なぜ女がベットの中で拒否したのかそれは男がレストランで注文の時に部屋の予約をいきなりしたから 男のメンツを立ててその時は断れなかった 彼女の気持ちはよく理解できた他のレビューを見ると彼女の行動を理解していない男性が多かったので男女によって感じかたが違うと思う。またほとんどのレビューでは女優のアヌークエーメの美しさを述べているがそれは全く共感できなかった。
追記 調べてみたら二人ともフランス映画界で大俳優でも男の方は名前も聞いたことがなかった。世界は広いな
アヌク・エーメとトランティニャンのコンビはもちろん良いのだが
視界の悪い雨の中、ドライブする二人のカットが好きなんだけど、同様のカットを多用した『夢追い』の方が閉塞感がピッタリで好き。
あちらはカトリーヌ・ドヌーヴとジャック・デュトロン。クロード・ルルーシュが13年後に作成したノワールです。皆さんも機会があればぜひ。あまり賛同されたことはないのですが、、、
2作目、3作目は流石に…
アヌーク・エーメの美しさに言及するレビューが多いので私はジャン=ルイ・トランティニャンについて少し触れます。
1930年生まれのジャン=ルイは、同じく30年代生まれのジャン=ポール・ベルモンドやアラン・ドロンと一緒に全盛期のフランス映画(ヨーロッパ映画)を牽引した俳優です。ジャン=ポールとドロンは「ボルサリーノ」で共演したこともあるし、ともにジャン=ピエール・メルヴィルの作品に出演したこともある(ジャン=ポールは「いぬ」、ドロンは「サムライ」)ジャン・ギャバン以降伝統のフレンチフィルム・ノワールを代表する役者だと思っています。ジャン=ルイは他の2人ほどではないにせよフィルム・ノワールの匂いがする役者ではあるのですが(ちなみにフィルム・ノワールは、私の定義では「犯罪者の視点、立場から犯罪を描いた映画で、犯罪者の成功と挫折、その内面の暗部を掘り下げたもの」ということになります)どちらかというと積極的に犯罪を犯す役割というより巻き込まれるタイプの役が多く(「暗殺の森」とか「狼は天使の匂い」とか)内面の暗さとそれに伴う男の色気とかの表現がやや薄いのかもしれません。そんな役しか回ってこなかったのかそれとも複雑な性格表現の演技ができなかったのかは不明です。「男と女」はもちろん犯罪映画ではないのですが、過去を引きずる男女の立場から、アンヌは葛藤し割り切れない姿をみせる一方で、ジャン=ルイ(役名同じ)は今の恋愛に正直というかあまりにも無邪気で段取りは良い人間に描かれています。このジャン=ルイの造形の甘さがこの映画の瑕疵でありクロード・ルルーシュが後年に渡ってもドラマ演出が弱いと言い続けられた原因の一つだと思います。
確かに、映像は美しいし、役者も素晴らしいけれどこの設定、演出が反復されると思うと86年版や2019年版はあえて観ようとまでは思わないということで未見です。
ラスト、驚嘆の声を上げてしまった!
切ない大人のラブストーリーで終わるのかと思っていたら、こう来るか!
そして、唯一無二の映画となる。
連れ合いを亡くした男と女のラブストーリー。
大人としての嗜みと、駆け引きと。
けれど、駄々洩れしてくる、まるで初恋のようなきらめき。
けれど、生きてきた重みもあり…。
それをシャンソン、サンバ、ボサノバ…。
軽くも、叙情たっぷりな音楽と、『ELLE』『VOGUE』『FIGARO』のような映像と編集で魅せてくれる。
あるシーンは、映像と歌詞を含めた歌で語らせる。
主要テーマも、シーンに合わせて、テンポを変え、観客の情緒を高めてくれる。
音楽家でもあり、俳優でもある、元夫役のバルー氏が、レイ氏を監督に紹介する等、製作にも加わっているからだろう。
音楽だけでなく、映像や物語進行のテンポもよい。詰め込みすぎない。
まるで、旅に出た時の、目的の観光地ではなく、観光地から観光地へ行く途中に目にするような風景が続き、心に余裕を持たせる。
そんな隙間時間に浮かび上がってくる思い。
ふと、仕事場や社会に向けての鎧を脱いだ時のような時間。
それが心地よい。
初めは、たまたま同乗した二人。
共通の話題はあるが、長い道のりには足りない。
冗長に空間を埋めるだけの会話を続けるのではなく、
気まずい沈黙と、知的かつ愛情深い言葉で返してくる女。もっと語り合いたくなる。
そして…。
映画のすべてが乾いた心に染み込んでくる。
天気は偶然?
雨、晴れ、夕焼け、晴れてはいるけれど、雲一つない快晴ではない、穏やかにも見えるはっきりしない空模様。
ドライブをしているときは雨が多い。事故を起こすのではないかとフラグが立つ…。
予算の都合だったという、カラーとモノクロ。モノクロもセピア系とネイビーグレー系と。
程よい緩急。
突っ込みどころがあるのが、また心地よい。
『赤ずきん』を怖がる娘が所望するのが『青髭』。もっと、怖いじゃん!これは何かのメタファーか?たんなる子役のアドリブか?
母と娘のすれ違い。母はチョコレートを買ってあげようとするが、娘はケーキ一択。
息子はどこに走っていくんだ。お父さんはこっちだぞ!
海で子どもから目を離すことにも緊張してしまった。遠浅の浜辺ではなく、目の前をあんな大きな客船が航行するくらいの深さがあるのに。
レーサーなのに、ガソリンスタンドで煙草?(このガソリンスタンドは『シェルブールの雨傘』を思い出してしまった。)
あんな状況で、子どもを置いて、自死というのも…。亡くなったという誤報を聞いてならわかるが。
ジャン=ルイには、セフレがいたのね。
学校の先生が、親二人の様子を見ても驚かないところが、フランス…。日本なら…。
そして、レースの場面等で流れる音楽。『ウルトラマン』か『ウルトラセブン』が始まるのかと思ってしまった(笑)。
一瞬、一瞬を、真に生きてきたアンヌ。それゆえの…。
そこがうらやましくもあり、寂しくもあり…。
ジャン=ルイにとっては、その時々のパッション?
大人にとっての、素敵な童話。
美酒に酔いしれるような心地を味わえる。
まだ、このテーマ音楽があればやれるのではないか
主役はフランシス・レイのこの
「メイン・テーマ」だろう。
助演はカーレーサーと、そして
俳優の妻だ。
ハイクラスな寄宿舎で、子供の送り迎えで、ふと視線を交わした二人。
子の名はフランソワーズとアントワーヌ。
親の名はアンヌ。そしてジャン・ルイ。
【ダバダバダ効果】
華のレーシングカー乗りと、女流映画人の、これは誰も否定しない絶世の釣り合いですよね、
もう少し出演者のランクをいじっても、どこまでならこの「フランシス・レイ効果」が持続するだろうかと きりんは考える。
トラック運転手と女教師 = it's us
タクシー運転手と婦人警官
ペンキ職人とヤクルトおばさん
植木職人と箏曲師範
・・大丈夫みたいです。職業に貴賎なし。
ダバダバダ〜♪は恋の呪文ですもの。
ほら、どうです?
ふと振り返ってみたい《誰か》に、街中で出逢うことってありますよね。
心にBGMを流してみて、そこであなたが一歩を 踏み出せるかどうかです。
サウンド・トラックは
改めてよく耳を澄ませると、これはずいぶん洒落たアレンジです。
あのスキャットだけが抜きん出て有名なのですが、バックで伴奏で流れるフレンチポップスの タイミングのずらしが珠玉。
すれ違った男女が、出逢いながらも またすれ違ってゆく様子も、この演奏のフェイク=ツッコミやモタリのずらしで演出しています。“粋”です。
寡黙なセリフの代わりにシャンソンも挿入されて、二人の思いを説明してくれる仕掛け。
【筋は、有って無きがごとき】
大昔、僕は「男と女」は観ています。
レーサーと子連れの女性が、煉瓦造りの寮の前で初顔合わせ・・覚えているのはそれくらいでしたね。
今回、久しぶりの鑑賞で、事前にストーリーはおぼろげで 今ひとつ思い出せなかったのですが、それもそのはず。シンプルに、ただただそれだけのお話なのでした。
長々と自動車が映り、
雨が降り、
雲と遠浅の海と濡れた歩道が流れる。
そこにタバコをくゆらす男女の影が重なって
まるで絵葉書をめくりながらフランシス・レイを流すための映画だったのです。
モノクロと天然色の交互撮影。
薔薇色だったはずのアンヌが、ベッドシーンから彼女までも色味を失っていきます。
新しい恋を始めるにしても、それぞれアンヌもジャンも、「かつての最愛のパートナーとは無念の死別であったこと」がお互い足かせとなり、また踏ん切りの理由ともなる。
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【偶然に生まれた傑作】
ルルーシュ監督のインタビューをDVDで観ましたが、
駆け出しのクロード・ルルーシュが、アイデアと資金の枯渇で苦しんでいた時に、夜中に車を飛ばして彼はドービルの海岸へ。
早朝6時に、浜辺を犬を連れて歩く女性と子供を遠目に見ていて、それがそのまま映画のコンテになったのだそうです。
脚本1ヶ月半。撮影3ヶ月。
撮り方も売り込み方も知らず、破産寸前で、機材は旧式のカメラ。そのカメラの騒音がマイクに入らないように望遠を使ったのだと。
ヒロインの扱いにも、アヌーク・エーメの「船には乗りません」発言等、彼女の神経質ゆえの大変な苦労話が。
そして印象的なあの「カラーと白黒の混在」ですね。あれは実はフィルムを買う金がなくて、全編モノクロの予定であったものが、アメリカのプロデューサーから「TV放映のためにカラーにしろ」と資金の提供があり、フィルムが半々になったのだと。
なるほど、急ごしらえで技量不足。
レースのシーンが過多でバランスはあまり良くない。
女優の要求にはほとほと困った。
それらこれらの背景があって、
ゆえに、男女が「ギクシャク」している様子は自然に映るし、
ストーリーが「荒削り」の撮影突貫工事も、この作品独特の味わいと、そして唯一無二の魅力として、図らずも名作誕生に寄与したということですね。
「続編」も年を経て発表されていますが、観るつもりはありません。
それは蛇足というものでしょう。
映画「プレタポルテ」で再会したアヌーク・エーメさん。もう一度この作品で彼女に会えました。両作ともトップは出しません、そこがよろしい。
晩秋の、ブランチタイム。
しっとりしたスクリーン模様でした。
生きる歓び
生きることの喜びとか悦びとか歓びとかあまり考えるの好きではないが、この作品は全てが美しく、生きる歓びというものがあり、そして死んでもなお生き続ける人や情熱があり、生死を問わず人はそれを糧にして生きていくのかと柄にもなく思うのだ。
やっと再びスクリーンで観れた。
ただただあまりに美しいアヌークエーメを観たいだけだったが、時を経て再び観たら、当たり前だけどそれ以上に深くて素晴らしかった。
スタントみたいな仕事の夫が仕事で亡くなり、喪失感が強い女は、夫との思い出をフルカラーで思い、今の時間子どもや知り合ったレーサーの男とはモノクロに近い映像となる。この仕掛けがぐっとくる。そしてカラーのピエールバルーとの時間があまりにも純粋で美しすぎる
レーサーの男に惹かれていくが、死に別れた夫とのような純粋な愛、暮らしはなさそうだ、、、男と女は、ピエールバルー演じる亡くなった愛を体現するような素敵な男と彼に魅了され人生を風景を歌を分かち合う女アンヌの物語。ジャンルイはまあどうでもよいというかタイトルの男ではないのだ。ジャンルイの独り言の傲慢さよ。
それでも、新しい自分を生きていくために、女は新しい愛を逡巡しながら選択していく。
子どもたちも愛らしく、女の子どもが、亡き夫亡き父に似ているところも好きだ。
映像の美しさよ。音楽も車や汽笛などの効果音も、全て美しく完璧になされている。
今2023年に見ると、
なんとも豊かで幸せな時代だったのかとも思う。
亡き夫との回想、過ごした時間がその頃の美しい時代、季節であるなら、新しく現れた男と過ごす時代季節は現在のような純粋さも自然な美しさもない感じさえする。
やがて子どもたちも男と女になる。ピエールバルーといたときアンヌが過ごしていたカラフルな、自然と歴史と共生する生ではなく、都会のガチャガチャしたセピア色の生を生きて大人になる。
タバタバダ♪ダバダバダ♪ターララ♪
午前十時の映画祭にて観賞。
歴史的な名作らしいですが初めて知りました。
僕的には、まあまあ(笑)
静かめ暗めのラブストーリーで眠くなりました(笑)
最初は普通にカラーで始まり、白黒になったり、セピア色になったり、色がコロコロ切り替わります。
たぶん誰もが聴いた事あるであろう、
「ダバダバダ♪ダバダバダ♪ターララ♪」ってメロディーの、
CMやバラエティで、よく使われてる曲が流れます。
もともと、この映画の為に作られた曲なんだと知ってビックリ。
話を戻すと、全体的にオシャレで少し暗くて、フランス映画っぽいのかな(笑)
終わりが好きです(笑)
続編も3作あるそうで、一応すべてチェックする予定です(笑)
アヌーク・エーメが美しかった
スタントマンの夫ピエールを事故で亡くした映画監督の助手・アンヌは、娘フランソワーズを寄宿学校に預け、パリで1人暮らしをしていた。ある日、娘に会うために寄宿学校に行った帰り、パリ行きの列車を逃してしまった。そんなアンヌにジャン・ルイという男性が車で送ると申し出た。ジャン・ルイも同じ寄宿学校に息子アントワーヌを預けており、また、妻ヴァレリーを自殺で亡くしていた。この2人の恋の物語。
有名なダバダバダがこの映画の曲とは知らずに観賞。
カラーだったりモノクロだったりの意味が最後まで分からず。
第35回のモンテカルロラリーっていつだったのかと調べたら1966年だった。映画公開と同じ年なんだと納得した。
フォード・マスタングのエンジン音が良かった。
アンヌ役のアヌーク・エーメが美しい。
初見なんですが、所々
噴き出しそうになる位、アンバランスな所が多い。ボッサ(ノヴァ?)のしつこさ、繰り返される勇壮な曲。ドキュメンタリーぽい画と考えられたカメラの画。モノクロとカラー、大瀧詠一いただいたな? 昔のPV出身、ドキュメント資質と、初の評価作には全てが突っ込まれてると感じた。
アヌーク・エーメキレイだなぁ、新聞の歩き読みカワイイ。
純粋で深い愛の物語。
ある時代の、ある世代を熱狂させ、
その伝説は時を超え、今に残る。
アヌーク・エーメの存在、
フランシス・レイの楽曲、
このふたつが映画を輝かせた。
海岸のシーンは美しく
至福の愛を感じた。
※
後半がすてき。
随分前に一度観てる。
古い映画なのに、今観ても何かと洗練されているのはすごい。
残念なのは個人的にはアンヌの仕草がちょっと気持ち悪い。髪をかき上げるのはセクシーなのかもしれないけど「邪魔なら切ったら?」と言いたくなるし、すぐ口に手をやったり…。そんなことしなくても充分美人でセクシーなのに。
後半はかなり好き。
アンヌは肝心なところで前の夫との思い出から抜け出せない。女とはそんなもの。体だけでできているわけではない。ジャンの方とて過去があるから自信があるけではない。
そこでジャンも一旦は躊躇するけれど、思い直して押しの攻勢をかける。
男の押していく力強さ。やっぱり最後に女を動かすのはこれよね〜。
過去の失敗がどうであれ、大人になってもやはり未来に向かって生き、幸せになることを望む方がいいに決まっている。
ここで理窟は必要ない。だから台詞も必要ない。そんなシーンを小粋にまとめてくれている。
誠実な大人の男と女の向かい合う愛
重い過去を抱えた男と女が向かい合う愛を、上品に美しくモンタージュしたフォトジェニーの秀作。余計な台詞を排したフラッシュバックの過去が、大人の男と女の愛に向き合う違いを描写するシンプルな表現。愛の交歓を大胆なカメラアングルで捉えた、女の恍惚の美しさ。アヌーク・エーメの透明感と無垢な優美さを湛える表情に魅せられるフランス映画。フランシス・レイのテーマ曲が美しい映像と溶け合い、誠実な男と女を浄化する。ラストの物語の結末まで、男と女の愛に正直でありたいフランス映画の粋を象徴する語りの巧さ。ムード音楽ならぬムード映画の唯一の成功作。
この映画を観たときからサンバ、ボサノバが好きになった。
フランシス・レイの音楽が甘美な香りを伴って耳に心地よく響くのですが、音楽賞を何も取ってないのが意外といえば意外。そして音楽だけではなく映像がモノトーンからカラーに変化する様子など、斬新で目にも優しい。
アンヌの夫のスタントシーンなどはアクション映画としても通用するくらい派手なのですが、この回想シーンがカラー映像だとは彼女の心の中にいつまでも残っているからなのだろう。一方のジャン=ルイは白黒映像が多い。ル・マン、モンテカルロ・ラリーなどに出場する有名なレーサーだったのだ。
そのモンテカルロ・ラりーが終わったら彼女に逢いに行こうと心に決めたジャン=ルイ。アンヌとはベッドインするものの、彼女は夫との記憶が甦り、セックスどころではなかった。ずっと悲しい表情なので、彼女を駅まで送りに行くことに・・・ ジャン=ルイは車、アンヌは電車。2人のカットが交互に切り替わり、感情は最高潮に。
結局、このモノクロとカラーの変化が常に緊張感を与えてくれて、心情豊かな映画となった。エンディングもgood。
名作と言われる映画は2020年でもやっぱり名作
まぁ折りに触れたびたび言っとりますけども、名作として世に残ってる作品は良さが古びないし、時を経てむしろ良さが増して感じられるってやつですよね。
なんつってもヒロインのアヌーク・エーメがゴキンゴキンに美人。パリの街並みを背景にしたイメージショットなんて田舎のオジサンの僕ですらウットリしちゃう。
物語に描かれる大人の男と大人の女の恋愛には、波乱万丈な出来事はさほどなく、オーソドックスな「惹かれ合い」の話なんだけど、それゆえ密かなドキドキにゆっくりと盛り上がっていき、顛末がしみじみと切なく余韻として残るのです。当時の「イケてる男の最高値としての職業」がカーレーサーだったんでしょうかね、レーシングカーの場面がムダに多いような気がしなくもないんですけども、男の激しい恋心がエンジンの爆音に表現されていて、それと対比的に描かれる冬の海岸の静かさが心に染みますね。
男としての僕にとっては、この男と女、どっちがどこで間違えたとかではなくて、「あるある、そういう“めぐり合わせ”ってあるのよねぇ」って、受け入れられる気がする。
ただ映画見としての僕にとっては、あのラストシーン、ちょっとどうかなと、思わなくもない。
あのラストシーンの後、その『男と女』はどうなると思う??
そういう話を、この映画を観た男と女が語り合うのもいいかもしれないですよね。
そして『男と女 人生最良の日々』もそれゆえに楽しみ。
【53年という長き時の流れを感じつつ、数十年振りに鑑賞した男の独白。】
数十年前に名画座で観た筈の映画。
しかし、記憶に残っているのは、アヌーク・エーメの美しさとフランシス・レイのテーマ曲のみ。
おかしい・・。
私がピエール・バルーを好んで聴いたのは(とりわけ、高橋幸宏、坂本龍一、加藤和彦、鈴木慶一たちが参加した”ル・ポラン”)、この作品を観たからだ。
おかしい・・。
が、つい最近観た映画の”ル・マン耐久レース”のスタートシーンから薄ぼんやりと思い出す・・。
そして、アンヌから電報を貰い、モンテカルロから雨中レースカーで猛スピードで会いに行くシーンでのジャン・ルイのモノローグからはっきりと思い出す。
今作発表後、数十年経った当時でも、生意気な学生にとって、この映画は”イケて”たのだ・・。
友人たちと、”部屋を頼む・・”という言葉をどのタイミングで言うのが粋なのか語った事も思い出す。(今考えると赤面するが・・。)
<2020年1月28日 分かり易い理由でDVDにて再鑑賞>
男やもめが美しき未亡人をゲットしようとする話。 女から愛の電報を受...
男やもめが美しき未亡人をゲットしようとする話。
女から愛の電報を受け取った男は歓喜。ようやくポケモンゲットだぜぇと思ったが…
それはないやん、男の嘆きのつぶやきはよくわかる。
しかし逃した魚を諦めきれぬ男は次なる奇策に打って出る。今度こそポケモンゲットだぜぇ。
果たしてゲットは成功したのか?ラストの女の表情が複雑だ。
ダバダバダの名曲がなんとも印象的。女はわからん、どなたか教えて(笑)
マイケル・ナイマンの曲だったら...
この名曲がいつも頭から離れず長いときが経ち、やっと鑑賞。
もうもうもう(牛か?)音楽通りの美しい作品でした。
内容は一般的でしたが、情景の美しさとラストです、ラスト。
このラストとフランシス・レイの音楽の為に描かれた作品ですね。
PS マイケル・ナイマンの曲だったら、美しくもはかない結末だったと思われます(^◇^;) 。
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