男と女(1966)のレビュー・感想・評価
全46件中、21~40件目を表示
この映画を観たときからサンバ、ボサノバが好きになった。
フランシス・レイの音楽が甘美な香りを伴って耳に心地よく響くのですが、音楽賞を何も取ってないのが意外といえば意外。そして音楽だけではなく映像がモノトーンからカラーに変化する様子など、斬新で目にも優しい。
アンヌの夫のスタントシーンなどはアクション映画としても通用するくらい派手なのですが、この回想シーンがカラー映像だとは彼女の心の中にいつまでも残っているからなのだろう。一方のジャン=ルイは白黒映像が多い。ル・マン、モンテカルロ・ラリーなどに出場する有名なレーサーだったのだ。
そのモンテカルロ・ラりーが終わったら彼女に逢いに行こうと心に決めたジャン=ルイ。アンヌとはベッドインするものの、彼女は夫との記憶が甦り、セックスどころではなかった。ずっと悲しい表情なので、彼女を駅まで送りに行くことに・・・ ジャン=ルイは車、アンヌは電車。2人のカットが交互に切り替わり、感情は最高潮に。
結局、このモノクロとカラーの変化が常に緊張感を与えてくれて、心情豊かな映画となった。エンディングもgood。
名作と言われる映画は2020年でもやっぱり名作
まぁ折りに触れたびたび言っとりますけども、名作として世に残ってる作品は良さが古びないし、時を経てむしろ良さが増して感じられるってやつですよね。
なんつってもヒロインのアヌーク・エーメがゴキンゴキンに美人。パリの街並みを背景にしたイメージショットなんて田舎のオジサンの僕ですらウットリしちゃう。
物語に描かれる大人の男と大人の女の恋愛には、波乱万丈な出来事はさほどなく、オーソドックスな「惹かれ合い」の話なんだけど、それゆえ密かなドキドキにゆっくりと盛り上がっていき、顛末がしみじみと切なく余韻として残るのです。当時の「イケてる男の最高値としての職業」がカーレーサーだったんでしょうかね、レーシングカーの場面がムダに多いような気がしなくもないんですけども、男の激しい恋心がエンジンの爆音に表現されていて、それと対比的に描かれる冬の海岸の静かさが心に染みますね。
男としての僕にとっては、この男と女、どっちがどこで間違えたとかではなくて、「あるある、そういう“めぐり合わせ”ってあるのよねぇ」って、受け入れられる気がする。
ただ映画見としての僕にとっては、あのラストシーン、ちょっとどうかなと、思わなくもない。
あのラストシーンの後、その『男と女』はどうなると思う??
そういう話を、この映画を観た男と女が語り合うのもいいかもしれないですよね。
そして『男と女 人生最良の日々』もそれゆえに楽しみ。
【53年という長き時の流れを感じつつ、数十年振りに鑑賞した男の独白。】
数十年前に名画座で観た筈の映画。
しかし、記憶に残っているのは、アヌーク・エーメの美しさとフランシス・レイのテーマ曲のみ。
おかしい・・。
私がピエール・バルーを好んで聴いたのは(とりわけ、高橋幸宏、坂本龍一、加藤和彦、鈴木慶一たちが参加した”ル・ポラン”)、この作品を観たからだ。
おかしい・・。
が、つい最近観た映画の”ル・マン耐久レース”のスタートシーンから薄ぼんやりと思い出す・・。
そして、アンヌから電報を貰い、モンテカルロから雨中レースカーで猛スピードで会いに行くシーンでのジャン・ルイのモノローグからはっきりと思い出す。
今作発表後、数十年経った当時でも、生意気な学生にとって、この映画は”イケて”たのだ・・。
友人たちと、”部屋を頼む・・”という言葉をどのタイミングで言うのが粋なのか語った事も思い出す。(今考えると赤面するが・・。)
<2020年1月28日 分かり易い理由でDVDにて再鑑賞>
男やもめが美しき未亡人をゲットしようとする話。 女から愛の電報を受...
男やもめが美しき未亡人をゲットしようとする話。
女から愛の電報を受け取った男は歓喜。ようやくポケモンゲットだぜぇと思ったが…
それはないやん、男の嘆きのつぶやきはよくわかる。
しかし逃した魚を諦めきれぬ男は次なる奇策に打って出る。今度こそポケモンゲットだぜぇ。
果たしてゲットは成功したのか?ラストの女の表情が複雑だ。
ダバダバダの名曲がなんとも印象的。女はわからん、どなたか教えて(笑)
マイケル・ナイマンの曲だったら...
この名曲がいつも頭から離れず長いときが経ち、やっと鑑賞。
もうもうもう(牛か?)音楽通りの美しい作品でした。
内容は一般的でしたが、情景の美しさとラストです、ラスト。
このラストとフランシス・レイの音楽の為に描かれた作品ですね。
PS マイケル・ナイマンの曲だったら、美しくもはかない結末だったと思われます(^◇^;) 。
自分には合わなかった
イメージに訴えかけるようなシーンが多くて、美的感覚が合わないとあんまり入っていけない感じがした。シーンごとに白黒になったりするのも見にくい。子どもそっちのけで恋愛にいそしむ男女にはちょっと引いてしまった。
ルルーシュ監督との衝撃的出会い ~ 恋愛映画の金字塔
クロード・ルルーシュ監督の異色のデビュー作。
まず注目すべきは人物設定の妙。それぞれに配偶者をなくし子供を同じ寄宿学校に通わせるという共通点をもつアラサーの男女を冒頭から交互に映し出すことによって二人が運命的に出会うことを無言のうちに暗示する。モノクロームの車中、だがそれぞれの配偶者の職業とその死をそれぞれに語る時、鮮やかなカラー映像に変わる。二人の間は子供を介して少しずつ距離が縮まってゆく。影のある女アンヌはジャン・ルイよりも亡き夫をこころに堅く閉ざす。二人の距離が決定的に縮まったのはジャン・ルイが過酷なラリーを制しそれにアンヌが祝電を送ったとき:ブラヴォー、愛しています。それを受けたジャンは狂喜しパリまでの 6000キロをひたすらにとばす。そして宿命の地ドーヴィルで再会。子供たちを寄宿学校に預ける。子供たちの無知で無邪気に遊ぶ姿はいじらしく、かえってこころ痛む。ともに食事をして部屋をとり、ついに二人は結ばれる。しかしそのめくるめくときにもアンヌの脳裏には亡き夫の深い影がよぎる。これはカラーで映しだされる。アンヌのノリの悪さにジャンは「なぜ?彼は死んだんだよ」。気まずい雰囲気になる・・・。二人は憮然として別れる。しかしこのままではどうしても納得のいかないジャン。パリの駅まで車で先回りしてアンヌを待ち受ける。ジャンはアンヌを見極めると、駆け寄って抱擁する。だがこれだけで二人の愛はこの時、真実のものとなったといえるのか。多少の疑念は残るが…。この斬新な映画の劇中に流れるフランシス・レイの音楽はまさに革命的。
これぞルルーシュ監督の鮮烈で革新的な映像美だ。ルルーシュ監督に絶賛の拍手を送りたい。
風化した感は否めない。
雰囲気に満ちた作品である。随分と大胆にセリフをカット。音楽と映像だけで見せるところがクールで惹かれる。30年前に見たときは、もっとクルクル回っていたように感じた。が、その後マネされまくったせいか回転数が少ない印象になってしまった。映画ってのは本当は脚本を楽しむもんじゃないってことが良く伝わって来る良作です。フランス語だし。英語と感じが全然違う。この映画はフランス語じゃなかったら成功してなかったでしょう。
幸せの絶頂で愛する人を失っても人生は続く。子供は大きくなるし独身の...
幸せの絶頂で愛する人を失っても人生は続く。子供は大きくなるし独身の暮らしに慣れなきゃいけない。
そんなとき出会った素敵なひとに、そりゃ恋するでしょ。
アンヌの死んだ旦那のサンバの歌声が優しくて、生前の思い出があまりにも幸せそうで、ずっと思い出に浸って生きてくこともできるんだけど。
でもやっぱり恋に落ちるのは止められないし止めなくていいでしょってラスト。
せっかく結ばれたのにアンヌがいろいろ思い悩んでどうなることかと思ったけど。
愛が理性に勝った瞬間、見つめ合って無言で抱き合うラストシーン最高でした。
てか、自分が女やからアンヌに感情移入したけど
男の人が観たらまた違う感想なのかな。
誰にでも何かが響く作品でした。
デジタルリマスター版を鑑賞しました。初めて見ます。
同じところに子供を預けていて偶然出会った男女が、お互いに悩みながらも愛を育んで行くロマンス、とこれだけで説明しちゃうと元も子もないけど、やはり今に残る名作で、恋愛をめぐる気持ちの機微が精緻に表現されていた。しかもお洒落で綺麗。
女はスタントマンの夫を失った悲しみを、レーサーの新しい彼で埋めようとするけど、抱かれれば抱かれるほど前の夫の影がチラつく。前の夫は彼女にとっての青春であり、少女としての自分も全て受け止めてくれていた。しかし子供もいる身の今、自分はある意味で割り切った大人の恋愛を強いられなければならなくなる自分に葛藤する彼女は、結局セックスも半ばに帰ってしまう。こうした彼女の心の動きは、観客は映像を通じて説明されるけれど、男にとっては何の説明もなく帰らされてしまうので、たまったものではない。夜中ずっと寝ずに運転して会いに行ってるのにそれはないと嘆くのも当然だろう。
自分も男なので、見てるときは男側の視点で憤慨してたけど、改めて考えると男の方もかなり強引な行動をとってる。そもそも「愛してる」っていう電報を受け取って喜ぶのはわかるけど、じゃあすぐにでも会いたいからすぐに会うのは、彼女の事情とかそういうのガン無視で自分勝手でしかない。前の夫はどんなときでもニコニコで子供のようにじゃれ合ってくれるけれど、この男はどっか体を求めてる感が否めない。それは女だって悩む要素は多分にあるのである。
最終的に人間性を見つめあった両者は駅で改めて出会い、愛を確認し合う。ラストまで素敵なカタチで締めくくられるけど、ただのメロドラマで終わらないのは、全ての人が内包してる男性的部分、女性的部分を芯をくって表現されているからだろう。ここで描かれる恋愛はヘテロだけれど、その本質は形式にとらわれない。誰だってこの女のように勝手にストーリーを進めて説明もなく自分だけの恋愛を進行させようとするし、この男のようにセクシャルに相手の気持ちも考えずに求めてしまう。
この映画を見て素敵だなあと思うのも、こんなやつクズだって怒るのも正しい受け取り方だと思う。そういう自分勝手なところが、より深い関係を生んでいることを映画は示している。裾野がとても広い面白い作品でした。
あとは同時上映の「ランデブー」もおすすめでした。僕らがおもう静かなパリの街並みを爆音で疾走する爽快感と興奮。車が好きではない自分も、運転する気持ち良さと、暴走してしまう過激さを共有できてしまう危ない作品でした。
娘を持つ母親(アヌーク・エーメ)と息子を持つ父親(ジャン=ルイ・ト...
娘を持つ母親(アヌーク・エーメ)と息子を持つ父親(ジャン=ルイ・トランティニャン)、それぞれ子どもと休日を過ごし寄宿舎に送った後に出会ってしまう。この出会いのタイミングが自然で、すごくいい。辛い過去と子どもを持つ男女の恋愛の始まりがどうなるのか引き込まれました。
50年前の作品とは思えない程、今を感じるファッション、風景、ストーリー。
モノクロとカラーの使い分け、音楽、
シンプルなムートンコートをこんなにも大人っぽく素敵に着こなせるアヌーク・エーメの魅力。大好きな作品です。
ムスタング ・ア・ゴー!ゴー!
大人の恋愛話が中心と思いきや遣り取りに時間は使わず二人の過去に車、ナイスな古き良き時代の車のシーンが素晴らしい。
愛犬を連れた男の海辺のシーンを女が言ったセリフに相まって長廻しの撮影が素敵。
過去をカラーで現在をモノクロでセピア色に描くのも映像が綺麗で。
監督の趣味など良いバランスで普通の恋愛映画に収まらない感じが良い。
昔はこんな映画に酔ってたんだね
たとえば、チャップリンの「キッド」(1921年製作)「街の灯」(1931年製作)を観てみよう。
そこには、人間が生きることの根源的な悲しさ。そして時に「愛」は、残酷な一面をみせることも描かれる。
しかしチャップリンは、作品の中で「人生を生き抜くこと」の素晴らしさも同時に伝えようとしている。
これらの作品は大昔に作られている。
一年前、テレビで大流行りだった芸人のギャグは、今はもう、誰も笑わない。
そういう21世紀の日本でも、90年前のチャップリン映画は十分面白く、ときに「ワッハッハ」と笑えてしまうのである。
そこにはつまり、人間であればここはこう思う。人間であればここは悲しく思う。
人間であればこのツボを突けば笑う。
というある種の真理。
どんな時代であれ、人間の普遍性というものは変わらないことに気づかされる。
愛は崇高なものだ。
人間は音楽を愛し、笑いを愛し、そして異性に惹かれる。
愛は時に人間を盲目にさえする。
その逆転パターンがチャップリンの「街の灯」だ。
盲目の貧しい花売り娘は、浮浪者チャーリーを大富豪だと思い込んだ。
チャーリーは彼女に一目惚れし、一念発起、彼女のためにひたすら働く。
その献身的な働きの末、盲目の少女は手術を受けて眼が見えるようになる。
ラストシーン。
彼女の目の前に現れたのは、みすぼらしい浮浪者のチャーリー。
浮浪者は彼女に尋ねる。
「もう、見えるの?」
「ええ、見えます」
一輪の花を手に持ち、彼女の声に、ただ微笑む、浮浪者チャーリー。
映画はここで終わる。
愛はなんと残酷なのだろう。
「眼が開かれる」「現実を見る」ということはなんと残酷なのだろう。
そして愛は、やはり人間が持つ、最も崇高で美しい特質なのだ。
「キッド」や「街の灯」はサイレント映画である。
セリフすらないのだ。
しかし、21世紀の今観ても、やはり「名作」であり、映画芸術の「傑作」であり続ける。
さて前置きが長くなった。
本作「男と女」
公開50年を記念して、デジタルリマスター版での再上映である。
これを観てみたいと思ったのは、五木寛之氏の短編小説集「雨の日には車をみがいて」(僕はこの初版本を未だに大切に持っている)が大好きだったからだ。
この短編集の最初の方に、映画「男と女」のモチーフが引用されている。
五木氏のファンならご存知だろうが、駆け出しのライターである主人公が、愛すべき車に数々出会い、そこにまた、さまざまな女性が絡んでくるという、お洒落で小粋な作品集である。
男は女を愛する。しかし、男の中には、女以上に「クルマ」を愛する人種がいるのである。
本作「男と女」の主人公とヒロインは、カーレーサーと女性脚本家、という設定。
二人は、過去に結婚していて子供までいる。
ただお互いに伴侶を失ってしまった。
やがて二人は恋に落ちる。
この設定からして、まさに絵に描いたような「特権階級」の夢物語映画である。
この作品が作られたのは1966年。
日本公開も同年の10月である。
当時の日本の世情を見てみよう。
テレビでは「ウルトラQ」が放送開始
「サッポロ一番しょうゆ味」が発売開始
そしてビートルズが初来日した年だ。
ちなみに、カーレースでは前年の1965年、日本のホンダがメキシコグランプリで記念すべきF1初優勝を果たしている。
当時のカーレースは、いわば情熱とロマンをエンジンにぶち込んで走っていたようにおもう。
本作でもフォーミュラーカーと一般のスポーツカーが、ごちゃまぜで描かれている。
人々のモータースポーツに対する知識、関心はこの程度のものだったのだろう。
本作の劇中テーマ曲はあまりにも有名だ。
さらには、映画の手法として、ぶつ切りの編集。
手持ちカメラの多用。
二人が愛を語り合うシーンでは、あえてモノクロ映像にしている。
色彩のない明暗だけの映像を使うことにより、二人の燃え上がる愛が、どのような色彩を持つのか?
それは観客の自由な想像に任される。
いわば観客は「愛の色彩」を脳内補完するわけである。
フランス映画なので、登場する車は当然フランス車だと僕は思っていたが、
なんと無骨なフォードのムスタングなのである。
正直これには興ざめした。
ちなみに五木氏の小説「雨の日には車をみがいて」に最初に登場するのは
“たそがれ色”に変色してしまったオンボロ中古車の「シムカ」というフランス車である。別名「走る弁当箱」
1966年当時、駆け出しの放送ライターがマイカーを持つ、ということだけでも奇跡的なことだ。しかも外見はともかく「フランス車」なのだ。
「恋人と愛を語るには最高の演出だ」と五木氏も作中で語っている。
そして作中の「僕」は、1話目のラストシーンで「男と女」を三回続けて観るのだ。
それほどまでに当時、この作品はある種「時代のアイコン」でもあったのだ。
本作を初めてスクリーンで観て、僕がまず思ったのは、
「ああ、古い」
という印象である。
これはあくまで僕の個人的な主観であることを前もってお断りしておきたい。
映画手法としての
モノクロ映像とカラー映像の対比
手持ちカメラ
ぶつ切り編集
車載カメラ
登場人物のモノローグ
セリフと映像の不一致。
これらの手法は、1966年公開当時、まさに「流行」の最先端。
新しい波「ヌーヴァルヴァーグ」が、フランスから日本に押し寄せた!
と若い観客たちを熱狂させたのだろう。
しかし映画技法が単なる「ファッション」にしか過ぎなかった、という
極めて残念なことが、公開50年を迎えて、改めて僕には感じられたのである。
50年前のファッション作品は恐ろしく古臭く感じる。
しかし、90年前のチャップリン作品には、今なお観る人の心を響かせる、普遍性がある。
わずか数年で賞味期限が切れるような映画作品が、数多く製作される現代、21世紀。
流行という酔いが冷めたとき、22世紀にも鑑賞できる、芸術としての映画作品であるかどうか?
それが、ようやくわかるのではないだろうか?
25年ぶりかな
2回目、25年ぶり。
二人とも子煩悩だったんだ(フランス人的に)。
部屋を注文して終わりと思っていたのに、そうじゃなかった・・・
ところどころ忘れていると持っていたら、ほとんど忘れている。
車のシーンが多くて良かった。
足にガソリンスタンドのシーンは良い!(ここは覚えていた)
同時上映の『ランデヴー』が最高!!
車シーン多い:ひと欠片の共感もなく…
一言で言えば退屈でしたわー。
ダバダバダ、ダバダバダ、ダーバーダ、というテーマ曲があまりに有名な男と女。
デジタルリマスターで上映とのことで観て参りました。
アヌークエーメがすんごい美人ってことだけわかったらいいでしょう。
なんしか車が走るシーンが多すぎるのです。
うるっさいエンジン音が耳障りです。
私、わき見運転の映像を見るのがすごく怖いんです。
事故の振りに思えてすごく怖い。
そんな私に子供にハンドル握らせるっつー、暴挙を見せるなんて!!!
心臓止まりそうでした。
前も見えないような雨の中、助手席をガン見してるのももう怖い怖い。
必死で、実際は走ってない走ってないよ、水量多くしないと映らないから必死で水かけてるだけよと、念じながら耐えました。
そしてなんとかラリーのシーンも、私には無駄としか。単純に好みじゃないだけで、好きな人には素晴らしいのでしょうが。
恋愛部分もさっぱり。
愛してるって電報うって、それみて男が女の元へと夜通し車を飛ばす。ここまではわかる。
で、裸でシーツに包まったのに、女は死んだ夫を思い出し、かぶさる男に体が開かない。はい、意味不明。だったら電報打つなよ。
ほんで白けて、電車と車で別れてパリに戻るんだけど、その間に思い直した(そうは見えんかったが?)ようで、男は駅で女を待ち、再び見えた2人は抱擁する、でthe end。えええええ〜わたしにはでんでんわかりまてんよおおおおーーーーー!!
アンヌさん、30代でしょうよ、自分の欲望は正確に把握して事に及んでよ。こんないい加減なのを女心の見本みたいにいわれちゃかないませんよ?やるならやる、突っぱねるなら突っぱねる。はっきりしよし。はたで見てたら張り倒したいやろね。
そんな感じです。
救いは、ポイント鑑賞だったのでタダだったということでしょう。
あ、なんか西部劇とか時代劇みたいな音楽も大げさでドン引きでした。
地平線から暴れん坊将軍がお馬さんにのって登場しそうな、刑事ドラマのクライマックスみたいな。なにあれ。
アンヌの元夫の歌う、フランス語のボサノバはよかったです。
おとなの恋の始まり
好みの作品でした。
恋が始まる時のドキドキ、ワクワクそして躊躇いを呼び起こしてくれて柔らかな高揚感に包まれます。
その後の映画作品で、似たような高揚感を抱いた記憶があるので、後世の作品に大きな影響を与えたんだろうなと思いました。
女心は揺れ続けて
フランス映画らしいおしゃれな映像だった。子供を寄宿舎に入れて、プライベートをおろそかにしない生活スタイルは、フランスでは当たり前なのだろうか。揺れ続ける女心と、最後まで追いかけ続ける男心。やはり男女というものがある限り、最高の相方を求め続けるのかも。
いつまでも甘美な余韻が残る映画
音楽も映像も会話もストーリーもアヌーク・エーメも全てが息を呑むほど美しい。アヌークのムートンコートの着こなしが驚くほどお洒落。。
時を経ても色褪せない映画とはこのような映画を指すのだろう。帰路についてもダバダバダがリフレインしている。
全46件中、21~40件目を表示