「ドイツ人とは誰か?」オデッサ・ファイル よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
ドイツ人とは誰か?
フレデリック・フォーサイスの原作になる映画作品は「ジャッカルの日」に次いで2作目の鑑賞。「ジャッカル」がいま一つだった記憶が残っていたので、この「オデッサ・ファイル」もあまり期待を持たなかった。
映画にはあの時代のミュンヘン中央駅などがロケ撮影によって映し出されており、メルクリン社の模型を手にして憧れていた当時の車両の映像が楽しめた。
スリルとサスペンスに溢れ、なかなかな知的娯楽作品だった。
この映画を観終わってつくづく考えた。
第二次世界大戦後の産業・科学技術が、ナチの残党とユダヤ人なしではあれほど急速には発達しなかったこと。そして、その礎はドイツという土地にあり、その成果利用と投資や研究の主導権を巡っては、ユダヤというコスモポリタニズムと、ドイツ民族主義が絶えず緊張関係にある。
ドイツ人とは一体誰のことを指すのか。ドイツ民族とは何か。ドイツ語とは誰の言語なのか。ドイツ語を話していたオーストリア帝国の支配層やモーツァルトはドイツ人ではないのか。なぜ周辺国の言語に「ドイツ」指す言葉がないのか?ドイツ人を指すのは、英語ではゲルマン民族を意味する言葉だし、フランス語ではアレマンノ族を意味する言葉である。
そのような疑問点が次々と浮かび、この不安定さこそが、ナチズムを生み、そしてその暴走を許したものではないのかという、映画の本筋とは全く関係のないが頭の中を占めた。
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