「児童文学のファンタジー・ミュージカルの歴史遺産としてのハリウッド映画」オズの魔法使 Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
児童文学のファンタジー・ミュージカルの歴史遺産としてのハリウッド映画
「風と共に去りぬ」のヴィクター・フレミング(1889年~1949年)が同じ年の1939年に監督した児童文学のファンタジー・ミュージカル映画。アメリカの映画団体AFIが2007年に選出したアメリカ映画100選では第10位に選ばれていて、いかにアメリカの映画人に愛されているかが分かります。フレミング監督の連続して制作された第二次世界大戦前の2作品がベストテン内で一番古く、アメリカ人のハリウッド映画黄金時代への郷愁もあると思われます。ライマン・フランク・ボーム(1856年~1919年)が1900年に発表した『The Wonderful Wizard of Oz/オズの魔法使い』の原作に若干の脚色を施していて、制作が「哀愁」「心の旅路」のマーヴィン・ルロイ監督(1900年~1987年)という異色さ。音楽はトーキー初期からMGM映画に携わったハーバート・ストサート(1885年~1949年)で、アカデミー賞の作曲賞を受賞していますが、この本格的に制作された子供向けファンタジー映画が好まれてきた理由の一つに、『虹の彼方に/Over the Rainbow』の主題歌があります。日本人で映画を知らなくとも、この名曲には馴染みがあるでしょう。作詞のE.Y.ハーバーグと作曲のハロルド・アーレンがアカデミー賞の歌曲賞を受賞し、主演のジュディ・ガーランド(1922年~1969年)も特別賞の栄誉を受けています。撮影が「雨に唄えば」(1952年)の名匠ハロルド・ロッソン(1895年~1988年)というサイレント期から活躍した超ベテランのカメラマン。1958年に一度引退した後に、ハワード・ホークス監督に請われて「エルドラド」(1966年)をキャリアの最後にしたエピソードからは、名監督に慕われていたことが分かります。3年前の1936年にカラー映像を経験したロッソンのテクニカラーの色彩の鮮やかさは、86年の時を経ても色褪せずファンタジー映画として充分に鑑賞できます。
ストーリーは子供向けで単純ですが、地上の登場人物が主人公ドロシー・ゲイルの夢の世界に姿形を変えて、“魔法の国オズ”に登場するところが面白く構成されています。愛犬トトを虐待するミス・ガルチが全身緑色の“西の悪い魔女”として現れますが、竜巻に遭ったエムおばさんとヘンリーおじさんの家の窓から自転車をこぐミス・ガルチが見えるところが可笑しい。農場に働くハンク、ヒッコリー、ジークの3人が、それぞれの知恵のない案山子、心を持たないブリキの木こり、そして勇気のないライオンになってドロシーの冒険の旅のお供をする設定がいい。カンザスに戻りたい願いで“オズの大魔法使い”のいるエメラルド・シティに向かい、その道中で邪魔をする“西の悪い魔女”を退治して、いざ“オズの大魔法使い”に会えたと思ったら偽物というギャグが、子供の夢にしては現実的で意外性があり笑ってしまいます。ここで素晴らしいのは、3人の願い事が困難な道中の課程で既に身についていることの成長を内包していることでした。知恵を絞ること、人に優しく接すること、そして怯えず勇気を持って立ち向かうことを経験することの教えになっています。これを日本で言えば、心技体に通じるものがあります。それでもアメリカ映画らしいのは、その証として正体のバレた似非魔法使いが、それぞれに大学の卒業証書、心の振動になぞられた時計、勲章を授けるところでした。
主人公ドロシー・ゲイルに16歳のジュデイ・ガーランド。最初は天才子役として絶大な人気を誇ったシャーリー・テンプルが予定され、映画会社のトラブルからガーランドと「オーケストラの少女」(1937年)のディアナ・ダービンに絞られたとあります。ダービンもドロシーを演じられたでしょう。案山子のレイ・ボルジャー(1904年~1987年)は、MGMミュージカルの「巨星ジーグフェルド」(1936年)の出演経験があり、ブリキ男のジャック・ヘイリー(1897年~1979年)やライオンのバート・ラー(1895年~1967年)と同じく舞台経験豊富で実力のある俳優陣でした。キャスティングも嵌っていたと思います。個人的にはバート・ラーのコメディ演技が楽しめました。“北の良い魔女”グリンダを演じたビリー・バーク(1884年~1970年)は、この時54歳には見えない美しさと品の良さ。ブロードウェイ・レビューに歴史を刻む興行王フローレンツ・ジーグフェルド・ジュニア(1867年~1932年)の奥さんだった人で、1929年の世界恐慌で破産し、女優復帰した人でした。天国から地獄を経験した経歴を知ると、この役の厚みを感じます。ミス・ガルチも“西の悪い魔女”も好演したマーガレット・ハミルトン(1902年~1985年)は長きに渡り脇役を演じた女優さん。「暗黒街の弾痕」(1937年)と「牛泥棒」(1943年)を観ていますが、残念ながら記憶に残っていません。“オズの大魔法使い”のフランク・モーガン(1890年~1949年)も、「巨星ジーグフェルド」に出演していますが、改めてこのアカデミー賞受賞の「巨星ジーグフェルド」がカラーで制作されていたら、今日もっと話題に上がっていたと思います。(因みに世界初のテクニカラー実写長編映画は「虚栄の市」(1935年)ということです)このモーガンも適役でした。ヘンリーおじさんのチャールズ・グレープウィン(1869年~1956年)は、ジョン・フォードの名作「怒りの葡萄」(1940年)で主人公のお祖父さん役を好演しています。エムおばさん役のクララ・ブランディック(1876年~1962年)も端役で数多くの作品に出演し、この役で映画史に遺る女優さんです。そして、忘れていけないのは、トト役の名犬テリー嬢(1933年~1945年)の名演でした。ハリウッド映画は古くから調教された動物の扱いが巧く、観客を楽しませていますが、このテリー嬢も健気で素晴らしい。“オズの大魔法使い”のカーテンを咥えて開けるところがいい。
1939年のテクニカラー映画制作の裏話を知ると、相当に過酷で厳しいものがあったようです。それを考えると手放しでは絶賛できませんが、アメリカ映画史に遺る作品に仕上げた映画人の努力と苦労を記憶に留めることで、いくらか許して貰えないかと思ってしまいます。サイレント初期から活躍した1889年生まれのチャールズ・チャップリンより古い生まれの舞台俳優含めた、実力ある人たちの演技をカラーで観ることが出来る貴重さが、何より尊いのです。
