劇場公開日 2017年5月6日

「エドワード・ヤンの映画は繰返し観たくなる」台北ストーリー よしたださんの映画レビュー(感想・評価)

3.0エドワード・ヤンの映画は繰返し観たくなる

2017年5月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

 この人の映画の、再び観ることを観客に促す力はいったいどこからもたらされるのだろうか。
 エドワード・ヤンの作品はこれまでに数本観ただけである。(といっても、早世した彼の残した映画はそれほど多くはないのだが。)しかし、その全てをまた観たくなる。
 他の多くの名作もそうであるように、ヤンの映画もまた、観客に物語の筋を追わせることのみに腐心するものではない。画面に映るものの中に、社会や歴史を反映するものがあることによって、観客の想像力が刺激を受ける。そのことが眼前に拡がる時間や空間の中へと観客を誘うことになる。
 映画によって想像力を刺激される幸福とは、そのようなことから生まれる。
 さて、「台北ストーリー」には、アジンの実家がある古い町並みの残る地区と、コンクリートのビルが建ち並ぶ街区が対照的な光景として描かれている。
 富士フイルムのネオンサインが、背景としてだけでなく光源としても効果的に使われている。このショットを観て感じる、都市生活の冷たさや孤独は、同じくヤンの「恐怖分子」に登場するガスタンクのショットを思い起こさせる。
 都市の中に潜む狂気や孤独が、人びとの人生や命を奪うという構造は、この2作品に共通している。
 様々な問題を孕みつつも、長きにわたってバランスしてきた近代が終わりを迎え、新しい時代が幕をあける。
 その時代の繋ぎ目においては、必然的に旧来の思考や習慣が時代遅れなものとして、今までそれが纏っていたオーラを奪われていく。
 その象徴としてのアリョンには、少年野球の世界大会で優勝したという昔日の栄光があり、親族や朋友のためならなけなしの金をはたくことも厭わない任侠的価値観がある。
 そして、そのどちらもが今となっては人びとから顧みられることがないばかりか、侮蔑や嘲笑の対象となってしまった。
 国民党政府の国家と初代総統を賞揚するネオンの前を、大勢の若者たちがバイクで走り抜けるシークエンスは、もはや国家の体制すらも一顧だにされなくなったことを強く示唆している。
 古い時代には単純に「良き」を加えず、また、新しい時代や未来にも、安易に「明るい」を付けることもしない。時代の変わり目に注ぐ冷めた視線は、ヤン自身が敬愛する小津安二郎のそれと重なる。

佐分 利信