オール・ザット・ジャズのレビュー・感想・評価
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華美にコーティングされた虚無。死期を宣言された監督の自叙伝と知ってから見ると、鬼気迫る告白に圧倒されもする。
とはいえ、この映画が遺作ではない。生活態度を変えたのかな?
キュープラー・ロスさんの説く”死の受容”が、劇中映画の主人公を通して語られる。ギャグにされて笑い飛ばされている。自虐。
ランクさん演じるアンジェリークにかぶさって、人工呼吸器をつけて病床にいるジョーが映される。アンジェリークは死の天使なのだそうだ(DVDのコメンタリーから)。初めから、死を予感させる演出。
死神でもあると同時に、DVDのコメンタリーによると、ジョーが唯一本音を話せる相手なのだそうだ。
ショービジネス界の頂点に立った監督。その自叙伝。
朝目覚めの時点から覚せい剤でテンションを上げ、不安からくるイライラをごまかすための煙草を手放せない(口から外せない)。決して、覚せい剤や煙草を味わっているようには見えない。
映画の中でも、「いつでも自分の代わりはいる」「頂点に立ったとしても、失敗したり、休んだりすれば、すぐに追放される」という恐怖が語られる。
実際に映画の中でも、ジョーの手術とショーの金勘定のシーンが、交互に映し出され、代役に打診するシーンも出てくる。
なんて厳しい世界なのか。
そんなジョーがアイディアに詰まると頼るのが、元妻のオードリー。DVDのコメンタリーによると、実際に監督と別居妻の関係はこんなだったそうだ。
だが、監督の脚色なのか、映画の元妻は、女性として見てもらいたい、家族として大切にしてもらいたい、自分はともかく、娘との約束は守ってほしいという、単なる相談役として扱われたくない思いも描かれる。演じられるパーマーさんのあの大きな目に見つめられると、鑑賞している私でさえ、タジタジしてしまう。
そして、そんな興奮を発散させるため、不安を紛らわせるために必要とするのかと思ってしまうベッドイン。
同棲相手だけにしておけばよいものの…。
と、ジョー自身は奔放なくせして、同棲相手であるケイトのことは縛るって、なんとわがままな。でも、ケイトもそうされることを望んでいたりする。
ケイト演じるラインキングさんは、ダンサーとしても第一人者で、この映画の中でも抜きん出るパフォーマンスを見せてくれるが、実際に監督とつきあっていたこともあったとか。それゆえに、”わざわざ”この役を得るためにオーディションを受けさせたとか。DVDのコメンタリーであるシャイダ―氏は「フォッシー氏はそういう残酷な面もある」とおっしゃっていた。
ラインキングさんはどんな気持ちで演じられていたのだろうか。
娘ミシェルとの関係は理想的。自身ダンサーを志していて、著名な振付師である父ジョーを敬愛している設定。母とも良い関係だが、同棲相手とも良い関係で、ジョーとケイトの結婚を望んでいたりする。
演じたフォルディさんがかわいい。ケイトとのダンスも、ケイトが圧巻のパフォーマンスを見せる横で、一生懸命、年齢的には上手いパフォーマンスで、ケイトについている様がほのぼのとする。理想的すぎる娘だが、フォルディさんが演じられると、有りかもしれないなんて思ってしまう。
他、プロデューサーたちや、練習の時の伴奏者(曲の作曲家?音楽監督?)などが出てくるが、制作現場を知らない私には???。
「頭の中はセックス、セックス、セックス」と嘆く人はどんな関係?
振り付け助手をしている女性は、舞台には立たないの?あくまで”先生”なのか。
途中までは、頭をくるくるしながら、鑑賞。映画をゆったり味わう余裕もない。
前半は、オーディションに始まって、新しいダンスを作り上げ、プロデューサーたちにお披露目するまで。
性行為を表現したと思われるダンスもある。異性愛・同性愛・ストリップや、乱交のような様。「家族とは見られない」。確かに色っぽく、エロチックなのだが、私にはどちらかと言うと、ダンサーたちの身体能力に目を見張ってしまう。その体勢から起き上がれるのかとか、その体勢を支えられるのかとか…。体を合わせていても、微妙に触れ合っていない(お互いに触れ合って支えあっていない)その動き。そして、そのダンスの終わりが、まるでホラー。生首が並んだのかと思ってしまった。どういう意味付けで、こういう展開にしたのだろうか。
ここにも、迫りくる死の影を入れたかったのか。
そして読み合わせのシーンの演出の見事さ。
ジョーのネガティブな思いと、周りの人々の馬鹿笑いの対比。
そんな中で元妻オードリーだけは、相変わらず、大きな目で、ジョーを見つめる。オードリーの、決して称賛していない、真剣な訴えのこもった目で。
そこからの、病気との付き合い方。
バカ騒ぎ。ジョー自身の存在を製作者たちへアピールするため?死にゆく恐怖への回避?
TVで見るショー。有名人を紹介する実在する番組を取り入れたとDVDのコメンタリーから。
実際に、ベッドから逃走もする。その逃避行もジョーならではの道筋。
妄想の中での、元妻・同棲相手・娘、その他大勢からのアピール。
そして、危篤状況での「バイバイ、マイライフ…」上記のショーでのジョーの紹介の仕方。
監督の自叙伝ではあるが、ジョーの役作りには、シャイダーさんに「こんな時どうする」と意見を求めたとか。二人で、実際の趣味等も語り合い、映画を通じて友達になったと、DVDのコメンタリーでシャイダーさんがおっしゃっていた。シャイダーさんは監督に寄せ、それでいて、シャイダーさんの感覚も入り交じったジョー。
そんなシャイダーさんが「バイバイ、マイライフ…」について、「(監督は)死の裏側を知っていたのではないか。だから、あれだけ、美化したのではないか」とおっしゃっていたのが、忘れられない。
「バイバイ、マイライフ…」で盛り上がったまま、エンドロールに入ってもいいのに、わざわざ、死神の元へ行くジョーを、死体袋のチャックが閉まるシーンを挿入する。現実に戻って、区切りをつけたかったのか。
驕りにもみえる自負心。かと思うとの自虐。それを振り切るかのような美化。そして与えられる赦し。
死を自覚して、自分自身を見つめ、興行できるように仕立てた作品。
私の好きな『8 1/2』に影響された映画とも聞く。
アイディアの危機感、女性遍歴、そして、『8 1/2』では製作映画の中止、この映画ではジョーの死と、エピソードも似ている。現実と妄想が入り交じるところも似ている。
けれど、ユーモアの感覚が違う。ふんわりとした雰囲気が違う。
何より、圧巻のダンスパフォーマンスが、うっとりするというより、グロテスクで、ダンスを楽しむというより、各ダンサーの身体能力にノックダウンされてしまい、私的には楽しめない。
映画としては、そう何回も見たいものではないのに、「バイバイ、マイライフ…」だけは、頭の中でリフレインする。
私自身も、自分の人生を振り返る時期に来たということか。
(引用した言葉は、思い出し引用。間違っていたらごめんなさい)
人生の走馬灯
ミュージカル好きならマストです
ダンサーを目指そうという人ならもちろんのこと
最高の芸を堪能できるだけでなく、ショービジネス界の大リーグと言うべきブロードウェイの熾烈な裏側を垣間見れるのですから
特典映像のコメンタリーでロイ・シャイダーがこう語っていました
長い年月を経ても色褪せることはない
(中略)
構図も演技も素晴らしく、脚本は緻密極まりない
誠実に作られていて、誰もが楽しめる
(中略)
人間の体の強さと美しさに感動させられるだろう
娯楽性と芸術性の双方を極めた傑作だ
全くそのとおりです
もっともっと激賞しても足らないと思います
タイトルの意味は終盤のベン・ヴェリーンが演じる黒人司会者の台詞から来ています
and he came to belive that work, show business, love, his whole life,
even himself, ALL THAT JAZZ, was bullshit
彼は仕事も愛も人生も、彼自身も
すべてくだらんと思うに至った
これです
all that jazzとは慣用句で、何から何までとか、何もかもとかの意味だそうです
この黒人司会者が死神です
終盤で彼は黒いサングラスをかけて、死のステージへ彼を呼び出すのです
白いドレスの美女にはアンジェリークと言う役名がついています
フランス語で天使のようなという意味です
つまり天国に彼を導く天使です
編集室の窓から見下ろすと、通りの向こう側にはプッシーキャットという何ともそのまんまの名前のストリップ劇場が見えます
主人公のジョーが生まれ育ったのと同じようなところ
下手糞なタップダンスでストリップ劇場のステージにいたのは30年位前のまだ未成年だった彼の姿です
死ぬ間際に人は人生を走馬灯のように振り返るといいます
そう冒頭のオーディションシーンから全てが、それなのです
死ぬ間際にジョーがみた人生の走馬灯です
ストレスと過労と酒とクスリでボロボロです
でも考えてみれば、クスリこそないものの彼に近い生活の人も多いのではないでしょうか?
煌びやかなショービジネスでなくても、終電間際やタクシーで帰宅、それでも朝はまだ暗い内に出動
残業時間は気がつけば毎月軽く100時間を超えている
疲れ過ぎてナチュラルハイになっている
だから酒をがぶ飲みしないと酔えない
そうすると女性につい近づいてしまう
週末は死んだように眠るだけ
その休みだってジョーのように休日出動
かわいい娘と遊ぶ約束は簡単に破られる
だって仕事があるんだ
コロナ禍の前、こんな暮らしをしていた人も多いはず
自分はひと昔前そんな暮らしをしていました
だから身につまされます
要求される仕事のレベルは高く
スケジュールの遅延は許されない
だからといって妥協して、いい加減な仕事をするのは自分が許せない
失敗は莫大な損害につながる
それよりも、ここまでの男だという烙印を押されて花形部門から追放されるのが怖い
そんな強迫観念が常にありました
誰も自分に替わってできる者などいない
自分がここでは一番だからだ
そんなふうに思い上がった自負もあるものだから余計に始末に悪い
でもそんなことはない
ダンサーのようにいくらでも控えはいるのです
出来なければ他の人間に取って替えられるだけのこと
それが怖かったのです
本当はプライドを壊される方が怖かっただけです
だからストレスは、今にも破裂しそうに膨れた風船のようになってしまっているのです
それでもやり抜かないとならない
ジョーのようにハードルを高く上げすぎると、
泣き出してしまった女性ダンサーのように部下がついて来れない
自分の能力がここまでだということを自覚しても、周囲は次どうするのかを期待を込めて、何の疑いのない純真な目で見て待っている
ジョーが新しい振り付けを思い付けずに、ダンサー達のそんな目が恐ろしくて隣室に逃げ出してしまうシーンは余りにもリアル過ぎです
余裕の顔で新しい振り付けが出来たからプレゼンしたいと言ってみせても、トイレで吐くほど追い詰められていたのです
単なる身体の具合の悪化じゃないのです
そんな具合に誰もが共感できる世界なのです
手術成功の後、ジョーが逃げだした病院の地下とおぼしき漏水が溜まった機械室でのシーンは、「雨に歌えば」の名シーンのオマージュでした
そしてバイバイラブの最後には白い霊柩車が登場し、圧巻のフィナーレに突入します
人生で出会った人々、男、女、仕事仲間
愛憎を超えてみんな彼を赦してくれます
そうして彼は死の天使に導かれて旅立って行ったのです
主演のロイ・シャイダーは本当に見事でした
1971年のフレンチコネクション、1975年のジョーズ、1977年の恐怖の報酬の彼と同一人物かと思うほど体を絞っています
顔からして小さく細長くなっているのです
本当に振り付け師にしか見えません
しかも大味な役者と言うイメージを完全に払拭する演技力を見せています
本当に感動する名演技でした
ジョーの別れた妻オードリー役のリランド・パーマーも素晴らしい演技です
夫婦でしかできない目線での会話、くるくる変わるちょっとした表情
何もかも感嘆しました
彼女もまた、ブロードウェイの有名な役者だそうです
本作の後イスラエルに移住したとかでショービジネスの世界を去ったのは残念なことです
冒頭に流れる曲は超有名黒人ジャズギタリストジョージ・ベンソンの「オン・ブロードウエイ」
本作の為に作られたような歌詞ですが、実は違ってオリジナルです
本作の2年前の1978年の2枚組のアルバム「ウイークエンドインLA」の1枚目A面2曲目です
ボーカルは本人
この年のグラミー賞で、ベストR&Bボーカルと男性パフォーマンスの2部門で獲得しています
素晴らしかった
女性を性のはけ口としか思っていないようなクズが主人公で、しかし才能があってエネルギッシュで確かに魅力的だった。そんな男性が好きな、同じようなタイプの女性もいるだろうからそういう世界でやっていれば何も問題はないと思う。ただ子供にはよくないので反面教師にして欲しい。最終的に病気で死ぬが、その死の場面をミュージカルにしてふざけていてすごかった。
好き勝手やって若死にするのだが、別れた奥さんや娘からも別に疎遠になっておらず、なんか都合のいい話であった。あんな楽しそうに生きられたら早死にしても仕方がないと納得した。
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