オール・アバウト・マイ・マザーのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
女性である事を謳歌する話だろうが、心は女でもゲイには生殖能力が無い。それに対する悲哀の様なものを感じる。つまり、この演出家の思いなんだろうと分かった。
でも、僕には申し訳ないけど分からない。わかるわけがない。
性差を考えるにはもう少し重くない話でも良かった様に感じる。
だって、物凄くありえない設定で、臓器移植とかのテーマなのかと思ってしまう。
要は子供に対する母親の母性の尊さではなく、物理的な女性にしか姿を見せない母性への憧れと僕は見た。傑作だと思うが。一回見ればいいや。
夫の性が変わった妻の人生
夫が単身赴任している間に女性として生きるようになったため、妊娠していたがそのことは告げずに離婚した女性のその後の物語が、テネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」の舞台を交えながら描かれる。
生きがいだった息子の突然の死、偶然知り合った若いシスターの死と元夫との間の子の誕生、エイズを病む夫への赦し、エイズへの偏見から赤ん坊を守るための新たな旅立ち。
守るべきものの存在が主人公を強くする。そんな母性を謳いあげた作品だと思った。
主演の方が靭くて美しく、魅力的だった。
余談だが、元夫の名前がロランスだったので、グザヴィエ・ドラン監督の「わたしはロランス」を思い浮かべた。オマージュだったりするのかな…。
ブランチ―ウマ―ベティ・ディビス=女優、ステラ―アメリア―ニナ=母
①エンドロールの最初に出てくるアルモドバルのメッセージの中で「女優を演じた全ての女優に」とある中に、ベティ・ディビス、ジーナ・ローランズと並んでロミー・シュナイダーの名前が出てくる。前述の二人が女優を演じた映画の名前はすぐ思い付いたが、さてロミー・シュナイダーが女優を演じた映画ってなんだっけかな、と思った。②この映画に出てくる主要なキャラの中で普通の男なのはマヌエラの息子のエステバンだけ。それも映画の初めの方でいなくなってしまうから(ただ彼の存在は映画を通して影を落としている)、この映画の主要キャラは全て女(と女になりたい男)である。といっても女性讃歌みたいなのとはちょっと違う。③題名から勝手に母ものみたいに思っていたけれど、映画が始まってすぐ「All About Eve」をもじった題名なのだと気付く。マヌエラとエステバンとがエステバンの誕生日に観に行った舞台で且つ映画の中で重要な役割を果たしているのも「欲望という名の電車」である。どちらも母ものではない。④それにこの映画の主要キャラの中に所謂普通の母親はいない。マヌエラは確かに母親だが直ぐに子供を失った母親となる。ロサは母親になる前に死んでしまう。ロサの母は確かに母親だが子供から拒絶された母親である。ニナは最後母親になったらしいが話の中で語られるだけで画面には登場しない。⑤一方、この映画の中で「All About Eve」のマーゴ役に当たるのが名声のある女優でレズビアンのウーマである。彼女が演じるのは勿論ブランチでなくてはならない。考えてみたらブランチは女優であれば一度は演じてみたい役であろう。しかし母的なものとは程遠い役柄である。若い頃演劇をかじりでも母親になったマヌエラが演じていたのはブランチではステラでなくてはならず、ステラを演じたニナは映画の最後で母親となる。⑥アルモドバルの演出は悲劇と喜劇との塩梅がとても良く、かといって人間ドラマというのとはちょっと違うと思う。⑦マグラードが『「百万長者と結婚する方法」みたい!』といったマヌエラのアパートメントでの、マヌエラ、ロサ、ウーマ、マグラードの女子会シーンが印象的。⑧キャストの中では息子を失った悲しみを抱えつつ周囲の人々を慈しむマヌエラ役のセシリア・ロスの滋味溢れる表情と演技かわ宜しい。
…へぇ〜…という感想のみ
久しぶりのスペイン映画。
主演のマヌエラは 、すべてを「許して」生きている。自分を捨てた男、その男の子を身ごもった女、高慢な女優などに対し、不愉快なことをされても、傷つけられても、許すのだ。どんな人間でも包みこむ、その大きな愛は、母の子どもへの愛情そのものだ。 …そうです。
見終わって何が言いたいのかわからなくて説明文を引用。(自分メモとして)
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