劇場公開日 2021年1月29日

「”善”の傲慢さ。」エデンの東 とみいじょんさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0”善”の傲慢さ。

2025年6月14日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

悲しい

知的

カワイイ

親子の物語。

旧約聖書のエピソードをベースにしているのだそうだ。
 キリスト者ではないからかな。どうも、合わない。
 旧約聖書・新約聖書を途中まで読んでみたことはあるけれど。”父”である”神”の意に添わなければ、滅ぼされる話ばっかり。ソドムとゴモラみたいに。ノアの箱舟だって…。気に入った人は助けるらしいが。

この話も、”善”たる父と兄。その対比として、主人公キャルと母。その確執が入り交じって話が進む。
 ”悪”と認定されたキャルが、”悪”と認定された母の力を借りて、”善”とされている父に愛してもらおうと努力するが…。
 そして、”善”と”悪”の中で、迷うエイブラ。

エイブラは人間らしい。
 キャルに悩みを打ち明けつつ、え、落ち込んでいるキャルにそんなお願い?自己中さにあきれると同時に、人間てそんなものだよなとも思ってしまう。

もう一つの”善”の争い。
 ドイツ系移民のアルブレヒト。この映画は第一次大戦なので、ナチスは出てこないけれど、対戦相手であるドイツのことを悪く言われて、それを否定する。それに絡む、街の人々。家族が戦死したりして、ドイツを認めたくないのは判る。半面、ついこの前まで、同じ町に住み、関わりのあるアルブレヒトへの暴行。自分たちの思いこそが”善”として排斥活動になる。

”善”は”善”であれば、何をしても良いのか。
その”善”の醜悪さが鼻について、嫌悪感が立ち上る。

そして何より”善”の脆さ。自分の世界が壊れると…。
自分のことしか考えられない”善”。
「ざまあみろ」と言いたくなる私は相当汚れているのだろう。

親子の確執。その顛末と見ると、共感でき、身につまされる。
あ、否、親の価値観を子に押し付けて、子をダメにする親はたくさんいるか。
そういう意味では普遍的な物語。

父が「お前を許す」という場面の醜悪さ。構図もなぜか斜め。観ているだけで不安定さに嫌悪感が出てくる。
 妻ケートへも、自分色に染めようとするだけ。ケートが何を感じ、考えようとしているのかを考えようともしていない。

兄。キャルより、自分の方が愛を勝ち取って、皆に認められているという醜悪な優越感を振りまく。キャルを愛しているとはいうものの、見下しているから。自分の地位を脅かさないものだから。ワザとなのか、天然なのか、キャルの足を引っ張っる発言が多い。キャルをかばうそぶりもない。かえって、キャルがいた方が、自分の”善”が目立つくらいに思っているのではないかと思えるような言動が多い。
 エイブラにも、自分の”善”を押し付けるだけ。それで、エイブラが悩んでいることには一切気が付かない。それって、”愛”なのか。自分の”善”に酔っているナルシストなだけではないのか。

保安官は、アルブレヒトの騒動の際でも、大岡裁判的な采配を見せ、キャルにも寄り添うような言動があり、一見、良い人に見える。けれど、表面的なことしか見えていない。

そんな三人が好きになれないので、キャルが父に認められようとあがくのがよくわからない。さっさと、見切って自分の場所を見つけに行けばよいのに。

「ケートが、生まれたばかりの子どもを捨てて出て行って17年」
 そうか、キャルはまだ17歳なんだ。アーロンが老けて見えるから、キャルが大豆相場なんてやっているから、成人しているのかと思ってしまった。
 だとすると、家族の中に居場所を作らないと生きていけない。ケートのところからは追い出されそうだし。
 父が喜ぶ顔を想像して、兄よりも認められる瞬間を想像して、はしゃぐキャル。
 そして…。
 こうなって…。
 こうなった…。
私的にはちょっとわだかまりが残るけれど。

原作未読。この映画は原作の一部を映画化したとか。きっと、この映画に描かれていない設定などがあるのだろうなと思う。

キャルを演じられたディーン氏の、捨て猫のような表情が。大豆畑で夢見る有様が、ラストのシーンが、愛おしくなる。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

≪以下、ネタバレ≫

エイブラの気持ちも考えずに、婚約を強行するアーロン。
エイブラの了承、エイブラの両親の了承はいらないのか。
自分が決めたことだから許されると思うアーロン。
そこを確かめもせずに、既成の事実となったと喜ぶ父。
キャルにエイブラを取られそうな予感がして、キャルの優位に立ちたいというアーロンの気持ちには気が付かない。困った表情をしているエイブラにも気が付かない父。
なんという傲慢な父と兄。

気持ちは嬉しいが、大豆相場で儲けたお金を受け取れないという父。
 与えられた役目とはいえ、自分たちが送り出した若者の有様をみたら、戦争特需で儲けるなんてという気持ちは判る。
 でも、キャルはそれに気が付かない。まだ、17歳だもの。やっと元気を取り戻して、新しいことに熱中しだした父を応援したいだけ。お金さえあれば、また冷蔵の取り組みを再開できる、父を元気づけられると思っているだけ。特に、最近、父が元気がないから。大豆畑に夢中になっていて、父が元気がない理由を聞いていないから。
 このすれ違いには胸が痛くなった。
 父の説明の仕方がもう少し、キャルの気持ちを組みながらであったが、その後の展開は違ったであろうに。

拒否されて、縋りつくキャル。そこからのキャルの変化に鳥肌が立つ。
 絶望から、一気に悪魔になる。その時の不気味さ・怖さ。木の陰から出てきて、兄を見据える目。兄に迫る、有無を言わさない迫力。
 そして、事を成し遂げて、父への一言。「家族は必要としない」

この言葉を聞いて、父が変化をすればよかったのに。自分の愚を悟ってくれればよかったのに。

そのような変化もなく、アーロンの愚行で倒れてしまう父。
それから、エイブラの活躍もあり、大円団になるのだが、
半面、アーロンがいなくなった代わりを、キャルに求めているだけのようにも見えるのだ。

脚本的には、エイブラの説得、キャルが父に語るかっての父の教え、看護婦、そして和解になるのだが。
 あの場面でエイブラがあのようなことをいう流れは判る。
 だが、キャルがあの父の教えを言うって。あんなことをしたのに。ついさっきまで反省すらせずに、父を捨てようとしたのに。保安官の言葉、エイブラの言葉、父の死期を知り、急速に反省したのか、17歳。

それでも、嬉々として父の側に座るキャルの姿を見ると、「よかったね」と声をかけたくなる。

とみいじょん
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