動くな、死ね、甦れ!のレビュー・感想・評価
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生きるとは卑屈に陥りやすい
貧しい中でもたくましくと言えば美談だが、ほとんどの人間が貧しさゆえに卑屈を抱えて生きている。
その苦しみこそが生の輝きの一部であるからこそ、救いなくどこまでも悲しい。
歴史は繰り返してほしくない方の歴史
目黒シネマ"幼いまなざし"二本立てシリーズパート2。
1950年代、旧ソ連の炭鉱町を描いた1989年の作品。白黒なのでよっぽど古い作品かと思ったら違いました。
第二次世界大戦直後ということで、終始それを思わせる描写。当時のソ連はこうだったのかな…そんな匂いがプンプンしていました。
監督の体験を元にしているそうで、かなりリアルなのではないでしょうか。
主人公の少年ワレルカは悪ガキ。賢くないし、底も浅い。母親もなかなかなダメ女。そういった教養の無さが余計にリアル。。
それに引き換え、ヒロインのガリーヤが聡明ないい子。さんざんワレルカに酷い目に合わされながら、なぜそんな天使対応…
ワレルカのやらかした悪戯は、悪戯にも程があるけれど、子供の頃って大なり小なりやり過ぎた!って経験しながら、自我を抑えることを覚えていくものですね。
自分も御多分に漏れず…
たまに出てくる日本兵達の日本語の『炭坑節』が印象的。
泥水を捏ねながらを口にする気がふれた学者。
ラストの荒唐無稽に歩き回る裸の女性。
戦時中の狂った世の中を表していたのか。
なんとも生々しかったです。
ソビエト、共産主義、と聞くと思い出しそうな映画。
極東の町スーチャン,スターリンを頂点とするソヴィエト連邦の施政下で...
極東の町スーチャン,スターリンを頂点とするソヴィエト連邦の施政下で囚人や捕虜や戦争で体の一部を失った人たちの中,たくましく生きる主人公を描いているわけではない.いや,確かに主人公はたくましく労働地区でお茶を売って稼いだり,夜遅くまで働く一人親の迎えに行ったり,窃盗団の中で上手く逃げおおせたりしてきた.しかしそれでも,日本の歌謡曲や鈴の音と共に映画の中で不穏な気配が常に忍び寄る.それは足が書けた将校の件かだったり,夜更けに人が燃える明かりであったり,土と小麦粉をこねてほおばる学者だったりする.しかし,具体的にその現状の悲惨さを摘発することはしないで,ただ目の前の悲惨な状態を客観的に描くことに終始している.子供を撮影するシーンが多いものの,カメラの目線は常に大人の視線の高さである.その冷たい視線とは対照的に,被写界深度が狭くてボケを多用しており柔らかい印象を持たせるシーンが多くみられる.また,暗闇の中でスポット的に照らす写し方によって不穏さだったり,時には登場人物の顔を強く印象付けることで暖かさを表現しているときもある.描いている対象も撮影の仕方も洗練されている映画だった.
裸のママ
1990年カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人賞)受賞
『大人は判ってくれない』『小さな恋のメロディ』を超える傑作
らしい
だが僕とカンヌは相性が良くない
そして子供中心の映画はあまり好きじゃない
アートシアター
たしかに芸術映画であって娯楽映画ではない
たとえどんなにくだらなくても娯楽映画の方が好きだ
生意気でいけすかない主人公も手伝ってこの作品は好きになれない
ロシアという国そのものが北朝鮮以上に嫌いというのもいくらか影響しているかもしれない
タイトルのインパクトはすごい
小説でいうなら『世界の中心で愛を叫ぶ』『人のセックスを笑うな』『君の膵臓をたべたい』『夫のちんぽが入らない』『由麻くん、松葉くずしはまだ早い!!』かそれ以上
これだけで観たくなるのも無理はない
今回2度目の鑑賞だが前回これは自分には合わない思った
あれから数年経ったが今回もやはりそれはあまり変わらなかった
ミニシアター系でハリウッド以外の海外映画を好む都会的なインテリなら楽しめるかもしれない
この作品の存在を知ったのは二階堂ふみのウィキペディア
彼女のお気に入りらしい
95年の日本初公開に観たんだろう
89年の作品だがモノクロ
監督の子供時代を元にしているからだろうか
終戦直後のロシアの炭鉱町
日本人の収容所がある
主人公は地元の男の子ワレルカは悪戯小僧
ヒロインは同い年のガリーヤ
最後は悲劇的な幕引きになるのだが小太りの中年女が野外でいきなりスッポンポンになるシーンが1番印象的
尊敬する映画批評家さんのこと
学生の頃、尊敬し過ぎるがゆえに、その人が高く評価するものは「かけねなしに」クオリティの高いものに違いないと期待して、しかもタイトルがめっちゃカッコいいし、これを見なければ「映画をよく見ます」とは名乗れないんだくらいな高揚感で見に行ってみたら、まあ褒められる感じはわかるんだけど、そこまでスゲエって感じもしないって感想だったことを思い出す。期待を必要以上に煽るコピーのせいでもあったし、またまったくもって個人的な好みの問題で、僕がグアルディオラのバルサのサッカーが好きじゃない、と言うのもそれだ。
若かったし、早く映画の教養を身につけたいと、その映画批評を丸呑みしようとして読みまくり、作品を見まくって、ときおりピンとこないのは自分の映画体験が足りないからだと思おうとした頃とは違って、その頃の倍以上の年齢になったいまは「いやー、気持ちはわかるけど、俺の好みじゃない」って虚勢を張らずに言えるようになった。麻疹みたいなもので、若くて田舎者ゆえに宗教的に思い入れてしまうことってある。
その批評家だって淀川長治さんの賛辞に同意できてないのに調子を合わせていたりしたのだ。「その時代に生まれることも才能だ」とかなんとか言って。
とは言え、この作品はその当時「かけねなしに」衝撃だった。その頃までに見たそれほど数多くもない映画のどれにも似ていなくて、剥き出しで、荒々しくて、不衛生で、共産主義っぽかった。
ソ連が崩壊し西側に発見されたレンフィルムの特集上映が大阪の近代美術館だかどこかであって、そのパネルディスカッションに、その尊敬する映画批評家が登壇するというので、遠く神戸は舞子から駆けつけた。彼を直接見たのはそれっきりだ。
いまもその批評家と、その弟子筋の作品や批評は気にならないわけではないけれど、自分の肩の力はすっかり抜けている。いい映画をたくさん教えてもらったし、学ばせてもらった感謝もある。ずっとお元気で現役でいていただきたいと願う。そんな思いとともに、この作品を再び見た。かつての先生は、いくつになっても先生なんだ。
収容所と鉄道
第二次世界大戦直後の極東ロシア・スーチャン。
貧しい炭鉱の町の近くには、被抑留日本人もいる収容所があるようだ。いや、正確に描写しなおす。町の外れに収容所があるのではなく、町そのものが収容所のようだ。
町外れで労働する旧日本兵たち。棚を注文されたのに棺桶を作ってくるという、笑うに笑えない悲しいギャグが冒頭にある。
気がふれたことで「自由の身」になったのだと、町の人々が憐れむ元学者。
妊娠すれば解放されると信じて男を抱き込もうと必死の少女。
彼らは登場人物というよりは、物語の背景に立ち現れるだけの存在である。しかし、この人物たちの何と強烈な印象を残すことか。
それは、この町が収容所を備えているというよりも、その境界が曖昧で、町そのものが収容施設みたいなものだという状況を示している。
彼らへの目くばせを避けられない観客は、映画の描く世界では国家や社会が収容所そのものであるという住民の感覚に近いもの体感することになる。
観客はまた、20世紀社会の産業化、収容所化を推し進めた鉄道を通じて、少年少女のまだ始まったばかりの人生が捻じ曲げられ、そして終わらされるという不条理を見ることになる。
収容所のようなこの町から外へ出る手段は鉄道しかない。
金のない者が貨車へ潜り込んだことがバレてしまえば、鉄道員からの血の制裁が待っている。鉄道は権力の象徴であり、決して貧乏人を幸せにする社会資本としては描かれていない。
であるかこそ、線路のポイントに細工をして列車を脱線させ、機関車を転倒させた少年には、権力を倒そうとした罪の重さがのしかかるのだ。この重さは少年にとっては、宝石商を殺すことよりも重かったのかも知れない。
少年が強盗団と一緒にいるところへ幼なじみの少女が迎えに来る。少女が鉄道転覆のことはほとぼりが冷めていることを告げるや、少年は故郷の町へと戻ることを決める。
スーチャンへは、おそらく心優しい鉄道員が目をつぶってくれたのだろう、二人は列車に乗って戻る。
町の近くを通ったときに列車を降りた二人が並んで線路を歩く。ほんのひと時、鉄道はこの少年と少女を優しく包み込む世界の象徴となる。
しかし、後続の列車が近づいたとき、二人は線路の両脇へと列車を避けるのである。この直前、少年がふざけて列車と接触するギリギリまで線路に立つ。ここから鉄道は再び不穏な表情を見せ、二人を何の躊躇もなく隔てるのだ。
列車がゆっくりと二人の間を通過する間、少年少女はは車輪と車輪の間に石を通す遊びに興じる。この時の二人のこの上ない幸せそうな表情がかえって切ない。案の定、列車は不穏さを増していき、列車が過ぎ去ってしばらくすると悲劇的な結末を迎える。
二人が再び立つことのなかったスーチャンの町では少女の家に人々が集まっている。
気のふれた彼女の母親にも驚くが、「子供はもういい。あとは女を撮ってくれ。」という監督の声にはびっくりさせられる。
この瞬間、観客は映画の世界から現実へと引き戻される。まるで催眠術師が被験者の眼前で指をパチンと鳴らしたときのように。
子供を通して時代を理解すると言う事。
最近見た映画のなかで、もっとも印象に残った。
ストーリーが特に複雑というわけではない。
戦後1950あたりのロシアのど田舎を二人の子供を通して理解すると言う話。
そして二人が時代に飲み込まれて行くのを僕らは静観させられる。
それはいろんな意味で面白く、辛い。
出演者は少年の母親以外ほとんど素人。
監督の子供のころの記憶を基に話は設計されているようで、その点でちょいと前に見たOn the Milky Roadと比較して、国民性と言うか、お国柄と言うか、色彩と言うか、白黒の映像も妙に納得した。
・ギスギスしてるなぁ。この雰囲気はいつ変わってくれるのかなぁと思っ...
・ギスギスしてるなぁ。この雰囲気はいつ変わってくれるのかなぁと思ってたんだけど〜
・みーんな話し方がキツイんだけどお国柄?って思っちゃうよ
・起こる出来事すべて辛いのに、生き抜く力が強いから観ていられる
・最後、ア然とした
男のコは無鉄砲な。女のコはしたたかな。
たくましく生き生きした子どもの出てくる映画は例えバッドエンドでも見終わったあと希望に浸れる。
逆に、現在の日本映画には生き生きした人間がほとんど出ない。のっぺりしている。そうかと思うと、映画館を出てからもすれ違う人すれ違う人がのっぺりしている。平和な世界と混乱の世界のジレンマ。
日本人捕虜が歌う“ 炭坑節 ”が切い。
旧ソ連、日本人捕虜収容所の近くの炭鉱の町で暮らす少年の物語。
28年前の作品とは思えないほど、当時のフィルムの様なリアルな演出。そしてストーリーもどちらかと言うとドキュメントっぽく、要所要所で流れる日本人捕虜が歌う“ 炭坑節 ”や“よさこい節”が当時の状況を思い起こさせ、モノクロの映像と相まって切なく心に響いた。
気付けば側に居た筈なのに・・・
ラストこそ甦れ!って連呼したくなる悲しい映像が流れて冷たく突き離された感覚に。
あの瞬間から主人公のワレルカの姿はスクリーンから消え去り何のリアクションも感情表現も無い主人公の不在なまま映画は終わる。
悪童ってか好奇心旺盛な悪ガキって印象で子供らしさ全開で可愛らしいワレルカ。
気付けば側に特に困っている時にこそ側に寄り添うガリーヤの存在に二人の関係性が愛らしく厳しい環境や暗い時代背景など意味が無いくらいにワレルカとガリーヤに夢中になれるからこその悲しいラスト。
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