ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェストのレビュー・感想・評価
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長いけれど説明が充分ではない。
2024.10.11 NHKBSで。
今回「ウエスタン」のタイトルで放映されたのが2時間45分版だった。
本作は1969年に「ウエスタン」のタイトルで、東京では新宿コマ劇場の隣にあった新宿プラザ劇場の杮落し作品として上映された。その時は2時間21分の短縮版であった。
2019年に原題の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」で2時間45分の完全版が公開された。
NHKは、何故今回「ウエスタン」のタイトルで完全版を放送したのか?
駅で列車の到着を待つ3人のガンマン。
一人は黒人(ウッディ・ストロード)で腰にランダルガン(ウインチェスターライフルの銃身と銃床を切った銃。「拳銃無宿」でS.マックィーンが使っていた)を下げている(この時代に黒人のガンマンはいなかったはずだ)。
滴の落ちる音、風車の軋む音。列車は到着しない。時間を持て余したジャック・イーラムは五月蝿いハエをかまっている。ここまで10分経過、主要人物はまだ誰も登場しない。
やっと列車が到着するが、誰も降りない。列車が去ると反対側に男が一人降りていた。ハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)である。3人のガンマンは男を迎えに来たのではなく、殺しに来たのだ。
撃ち合いになり男は3人を倒すが、自分も被弾する。ここまで約15分、話の本筋にはまだ入らない。
本筋には関係ないが、映画的には良く出来ているのだ。(アップ、画角、音響他)
でも、レオーネ先生、いくら何でも前振り長過ぎますよ。
本作の欠点は脚本にある。セルジオ・レオーネ監督の大傑作「続夕陽のガンマン」もツッコミどころは多いが、軍資金の金貨のありかを探す3人のガンマンのストーリーで筋は通っていた。
本作は、兄の仇の悪党(ヘンリー・フォンダ)を狙うブロンソン(それも最後に判る)、C.カルディナーレの夫を殺し相続した土地を狙うH.フォンダ、カルディナーレに近づくブロンソン、カルディナーレと強盗団のボス(ジェイソン・ロバーツ)、ブロンソンとロバーツ、それぞれの関係が明確に描かれないままである。だからピタリとハマらないのだ。C.C.の心情等も上手く描かれていない。
編集にも難有り。鉄道王モートンとフォンダの関係も話が飛び過ぎ。これは編集よりも脚本のせいか。
ヘンリー・フォンダと対決したブロンソンは仇を討つ。この決闘シーンも「夕陽のガンマン」等とは違う手法(カメラアングルやアップを多用しない等)で撮られている。
ラストでブロンソンはジェイソン・ロバーツを何処に運ぼうとしたのか?
各パートは良く出来ている所もあるのだが(レオーネ先生だからこちらも期待値が高い)、不明な事が多すぎてまとまりを欠いている。(だからレビューがまとまらないよ)
もう少し脚本が練られていたらもっと面白くなったはずなので、そこがちょっと残念だ。だから、アメリカでは当たらなかったのかな?
2019年、新宿ピカデリーにて鑑賞済。
オマージュなのか?!
ドル三部作(THE DOLLARS TRILOGY)のセルジオ・レオーネ監督が自身の西部劇への想いを込めた集大成的マカロニ・ウエスタン。
当時若手の映画人だったB・ベルトリッチやD・アルジェントとともに、西部劇映画の代表作を鑑賞しながら原案を練り、傑作西部劇の有名シーンを幾つも引用していることから、レオーネの西部劇愛やハリウッド西部劇へのオマージュが捧げられていると評される本作。でも、本当にそうなんだろうか。
自分にはこの映画が西部劇愛やリスペクトよりも、監督の皮肉や文字通りのコンプレックス(複雑な感情)を表明しているように思えてならない。
その理由のひとつがアメリカでのロケ。
それまで主にスペイン等、イタリア近隣で撮影していたレオーネが、初めてアメリカロケを敢行したことはオマージュ説の根拠ともなっているせいか、すべてアメリカで撮影したと勘違いしている人もいるみたい。
だが、実際はパートロケで、作品で使用されているのは3カ所だけ。ほどんどは従来通りスペイン等で撮影されており、マクベイン家の建物のセットはほかのマカロニ・ウエスタンにも登場する。
パートロケの最初のひとつは、ジルが馬車でスイートウォーターに急ぐ場面。
J・フォード監督の『駅馬車』(1939)を彷彿とさせるなどとよく言われるが、モニュメントバレーの奇巌は黒々として地獄の門のよう。ジルが直面する苛酷な運命を暗示する映像になっている。
二つ目は短縮版にはなかった映像。
先住民の遺跡で「アメリカの良心」H・フォンダ演じるフランクが雇い人のモートンを痛めつけて、雇われ人から正真正銘の黒幕に成り上がる場面に使われている。
そして、極めつけはモニュメントバレーを背景に壮絶なリンチが行われるクライマックスでのハーモニカの回想シーン。
もし一般に言われるとおり、本作がハリウッド西部劇へのオマージュなら、まるで「開拓精神なんて言ってるけど、こんなことだってやってたんだろ?!」と言わんばかりの場面をわざわざアメリカで撮った理由がどこにあるのだろうか。
本作では、先住民や黒人、中国人が労働者として登場する場面が散見出来る。
マカロニ・ウエスタン以前の古いハリウッド西部劇では、先住民はただの「動く的」だし、黒人や中国人は基本的に存在しないことになっている。
詳しくない方には西部開拓時代と中国人が奇異な取り合わせに思えるかもしれないが、19世紀中頃のアメリカ西部では太平洋を渡ってきた多数の中国人が鉱山労働や鉄道敷設に寄与し、事業の終了などでそこからあぶれた者は駅やホテルのポーターや低賃金の肉体労働に従事することになる。
レオーネは『夕陽のガンマン』(1965)で、はやばやと中国人ポーターを登場させるが、自分の知る限り中国人労働者が出てくるそれ以前のハリウッド西部劇は『拳銃王』(1950)と『昼下がりの決闘』(1962)ぐらい。
アメリカの西部劇映画にとって、彼等の存在は「不都合な真実」なのだ。
この作品では主要な登場人物4人とともに鉄道主モートンが重要な役割を担うが、何回観ても自分には彼がレオーネの分身か、自嘲的なメタファーにしか見えない。
病気の進行でハンディを負ったモートンが、太平洋を見たいという一心で強引な手段を使ってでも鉄道の延伸を強行しながら、最期は太平洋を思い描きつつ水溜まりの中で力尽きる様子は、革新的で時には過激な映像表現ゆえ、毎年ヒット作品を連発して映画会社から金づるとして重宝される一方、大向こうからは嫌悪され、国際的な賞には届かなかったレオーネの人生とどうしても重なってしまう。
BDの音声解説によれば、本作には西部劇映画だけでなく、L・ヴィスコンティ監督の名作『山猫』(1963)の原作小説へのオマージュも込められているのだそう。
小説版は読んでいないが、本作にはC・カルディナーレやP・ストッパら同作の出演俳優も起用されている。
真偽のほどは判らないが、ハリウッド至上主義者の人たちには及びもつかないことだろう。
若い頃はこの映画を人に勧めるなら、退屈でも一度は全部通して観てストーリーを把握した上で、あとは2時間20数分頃から始まるクライマックスの決闘シーンだけ繰り返して見ればいい作品と考えていたが、ここ十年ぐらいでレオーネ作品の中で最も観る回数が多かった作品だと思う(もちろん全編通して)。
時とともに、本作品で印象が変わった点がもう一つ。
昔はジルの心変わりの理由がよく理解できず、単にレオーネ監督の女性の描き方が下手なだけだと思っていた。
フランクに組み敷かれても一切抗わずに、積極的に受け入れようとしているようにも見えるジル。
しかし実際には、彼女は自分を殺しに来たフランク相手に必死で「無抵抗の抵抗」を試みていたのだと今は思う。
従順そうに振る舞い、高級娼婦時代に培った手練手管でフランクの殺意を萎えさせ、彼に婚意まで抱かせる。
この場面で弄ばれていたのは、実はフランクの方だった。
このシーンのあと、競売でマクベインの土地をハーモニカに横取りされホテルのサロンに押しかけるフランクとの衝突を避けて、ジルはさっさと階上へと避難するが、部下の裏切りにあったフランクを助ける態度を取ったハーモニカを詰る際の彼女の表情は家族を殺したフランクへの憎悪に満ちている。
ジルは心変わりなどしていなかったのだ。
一方で何年経っても変わらないのは、クライマックスの決闘シーンに対する評価。
この場面には本作だけでなく、レオーネ作品の魅力のすべてが凝縮されている。
ついに決着をつけるべく対峙するハーモニカとフランク。モリコーネの名曲『復讐のバラード』をバックに位置に付く二人のクローズアップが交錯し、ハーモニカの脳裏にはフラッシュバックが蘇る。
過去二回の回想シーンは不鮮明で亡霊か悪魔のように見えた黒い影は、今度ははっきりと若い頃のフランクだと判る。
おもむろにポケットからハーモニカを取り出したフランクは、“Keep your loving brother happy.”と言って、そのハーモニカを目の前の少年の口に押し込み、再び『復讐のバラード』がバックに流れ雰囲気を盛り上げる。
ドル三部作でも殴る蹴るの凄絶な暴力シーンを多用したレオーネをして、ここでのリンチシーンはひときわ酸鼻で残酷。
少年は首にロープが掛かった兄の体重を肩で支えていた。彼が力尽きると同時に兄の処刑も完了する陰惨な仕組みに加え、少年の体力をより早く消耗させるためにフランクはハーモニカを吹くよう命じていたのだ。
堪らず何かを叫んで弟の肩を蹴り、みずから命を絶つ兄。
地面に倒れて土埃に包まれる弟こそが、「ハーモニカ」の正体だったと鑑賞者は理解する。同時に彼の目的が兄の復讐であることも。
フォードの『駅馬車』以来、決闘シーンはどちらが勝ったか判らないように一旦見せかけるのが定番だったが、レオーネは勝者が誰かすぐ判るように演出する。
撃たれたフランクは銃をホルダーに収めることも出来ずに膝を折る。
背後から歩み寄るハーモニカの気配を感じても、もはや体の自由が利かずとんでもない方向を見るが、やがて背中から倒れて二人の視線が重なる(このシーン最高!!)
苦しげに “Who are you?”と問うフランクの口に、昔、自分がされたように無言でハーモニカを押し込むかつての少年(ハーモニカ)。フランクの脳裏にも、彼と同じ回想シーンが浮かぶ。
納得して頷いているのか、それとも朦朧として体が揺れているだけなのか判然としないまま、倒れたフランクは絶命する。
あらゆる決闘シーンの中の別格的最高傑作。やっぱり今でも全編観たあと、ここだけ何度も繰り返し観てしまう。
前にも触れたとおり、さまざまな西部劇映画の名シーンを本作は引用しているが、誰にでも判るのが最初と最後。
冒頭、列車の到着を三人組が待ち受ける場面は『真昼の決闘』(1952)。
ここで『続・夕陽のガンマン』(1966)の三人(C・イーストウッド、L・V・クリーフ、E・ウォラック)を起用しようとレオーネが提案した話は有名(実現しなかったが、同作のセルフ・パロディはハーモニカが競売の落札額の換わりに賞金首のシャイアンを差し出す場面でも)。
駅での決闘シーンで、倒れる間際のストーニー(W・ストロード)の一撃を食らってしばらく昏倒するハーモニカ。
この時のダメージが影響する場面がないので、どうでもいいシーンに見えるが、実は大事な伏線。
一方、本作のラストは『シェーン』(1953)からの引用。しかも、同作のラストシーンにまつわる有名な議論、「生存説」と「死亡説」の両方をハーモニカとシャイアンがそれぞれ担うかたちになっている。
モートンに反撃されて致命傷を負ったシャイアンは、死ぬ間際に「対決するなら急所を心得てる奴にしろ」とハーモニカに自嘲ともとれるアドバイスを送る。
このジョークじみたセリフにハーモニカは一瞬笑みを浮かべるも、すぐに真意に気付き真顔に戻る。
交易所での初対面でハーモニカが流れ弾を受けていたことを憶えていたシャイアンは、「油断してると明日は我が身」と忠告していたのだ。
本作の主演4人は、例えて言うなら「THE GOOD, THE BAD, THE BEAUTY, AND THE EVIL」といったところか。
フランク役のH・フォンダは西部劇ファンだったレオーネ監督憧れのヒーロー。
『荒野の用心棒』(1964)以来、オファーを断られ続けて本作でようやく出演が実現するが、実は、フォンダは依頼を受けるか相当悩んだそう。『続・夕陽のガンマン』に出演していた友人のウォラックに「絶対出ろ」と尻を叩かれ、ようやく決断とか。
極悪人という今までにない役柄に、黒のカラーコンタクトで臨んだ彼をレオーネは「すぐに外せ」と一喝。
憧れていても映画へのこだわりは別。偉いぞレオーネ!
この作品以降もフォンダはT・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』(1973)で悪人ではないが非情なガンマン、ジャックを熱演。
ハーモニカ役のC・ブロンソンもかつて『荒野の用心棒』のオファーを断った一人。
男性化粧品のCMで人気だった頃を知っているので、ヒゲのないブロンソンに昔は違和感があったが、本作の見過ぎで今ではヒゲがある方がヘンに見える。
物語の緩衝材的な役割のシャイアンを演じたジェイソン・ロバーズは本作に先駆けて『テキサスの五人の仲間」(1966)でフォンダと共演。
撃ち合いどころか一発の銃弾も発射されない、マカロニ・ウエスタンとは逆な意味で異端の西部劇。邦題は原題をまったく反映していないが、最後まで観るとタイトルの意味が判るという粋な仕組み。
ヴィスコンティ、F・フェリーニ両監督のミューズだったカルディナーレ。本作では場面ごとにさまざまな表情を見せ、クローズアップを多用するレオーネの演出に応えている。
冒頭で「善玉、悪玉、卑劣漢」に代わって三人組を演じたのは、J・フォード作品の常連W・ストロードと、ハリウッド西部劇の脇役J・イーラム、マカロニ・ウエスタンでの強烈な個性の悪役が多いA・ミューロック。
中でも、リーダー格のスネーキーを演じたイーラムは仰角のアップを多用して貫禄十分に撮られている。
『地平線から来た男』(1971)でのラストシーンの自虐ネタ(?)が涙を誘う。
今やレオーネは巨匠と呼ばれ、本作やドル三部作は名作扱い。
音階担当のE・モリコーネも『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)以降、マエストロなんて呼ばれてる。
マカロニ・ウエスタンというだけでバカにされていたのも、昔々の話。
NHK BS1にて鑑賞。
クロースアップの多用には理由がある
「大草原の小さな家」シリーズを読んでるので 西部劇を見るといつも イメージがかぶる。なかでも特に「大草原の小さな町」が・・この街のどこかに、あの可愛いローラ・インガルスが住んでいて、親父のチャールズが鉄道工事の会計をやってるのかな・・とか想像してしまう。それがアメリカの歴史の一部なのだ。・・ということを感じながら映画を見た。
そしてこの鉄道を作ってる 金持ち・・こいつがいい奴なのか悪いやつなのかよくわかんないけど、こういう奴らがアメリカの街を作っていったんだと
黒いヘンリー フォンダ、 すごく似合っていてかっこいいかった。ハカイダーのようだった。いい部分が全くなくて完全に黒い奴ってのが良かった。さすが名優! 特にエロシーンが良かった。やっぱり 映画は エロシーンがないと! とっても決まっている最高のエロシーンだった。女優クラウディア・カルディナーレのまなざしも真剣でエロティックで体がそそってとっても惹き込まれた
タランティーノへの影響をすごく感じた
ワンスアポンアタイムインハリウッド という映画を見た時に これはワンスアポンアタイムインアメリカの オマージュかなと思ったが違った。 この映画のオマージュだった。・・と私は確信した。
音楽の使い方が印象的だった。コメディ 風の音楽とシリアス 風の音楽とハーモニカと・・バランスが素晴らしかった。 最初から全てどこでどの音楽・・を前提に演出されている
昔、短縮版で見たが全然面白くなかった。
今もこんな 美しい 状態で見られるなんて幸せだ
3時間 近くあるが全然気にならなかった。一気に見てしまった
クロース アップを使いすぎのように感じたが、とっても効果的かつ 魅力的だった。
巨匠が普通と違う演出をしたらそこには必ず理由がある。
もしも いきなり目のアップにしてしまったら、あなたはびっくりするだろう。それが鑑賞の妨げになるのだ。だから伏線が必要なのだ。なぜこんなにクロス アップが多いんだろう・・と思って見ていると最終的に目のアップになる。そこにあなたは何を見たのか? そうだ あなたは複数の色をそこに見たのだ。 彼は混血 なのだ。直後にあの因縁のシーンが始まる 。なんと効果的なクロースアップだろう! 悪役にヘンリーフォンダを起用したのは彼の目が混じり気のない青だからだ。そしてこの作品のテーマは後にタランティーノのジャンゴに受け継がれていくのである
ラストシーン
ネタバレ注意
で チャールズ プロンソンはどこへ行こうとしているのだろう?そっちには何もないはずだが・・どっかにそいつの墓でも作ろうっていうのか?・・それとも彼女のところへ 行くのが恥ずかしすぎて、とりあえずウロウロしてんのか・・
イタリアのウェスタンは恨みつらみを豪快に晴らすと言った所に魅力がある。
スクリーンで見るのが一番良いと思う。
映画の内容自体は面白くない。西部の歴史なんかどうでも良い。つまり、対決の凄さと非情さだけで、この映画は成り立っている。退屈はしないが、やはり、長すぎるし、説明が多いと感じる。続夕陽のガンマン(南北戦争の)もそうだが、イタリア人がアメリカの歴史を語ってもやはり偽善になってしまうと思う。大陸横断鉄道、アメリカ資本主義の確立を語りたいのたろうが。イタリアのネオリアリズモ作品があるので、アメリカ式の語り口は今一ピンとこない。
イタリアのウェスタンは恨みつらみを豪快に晴らすと言った所に魅力がある。つまり、日本に於ける『忠臣蔵』と同じ方向性。(但し、イタリアのそれには忠義など無いが。)
最初と最後のあの間は一級の映像。
小津安二郎監督の影響あるのかなぁ?
DVDは持っているが、知り合いの家で旧国営放送にて鑑賞。2024年
10/11 13時00分
Someday... 長かった...
超有名作品なんで観とこうかなっと思って観賞しました。いやー、濃かったです。登場人物が。
もうずーっと濃い顔の俳優さんのドヤ顔アップが多すぎて多すぎて胃もたれ消化不良気味になってしまいました。西部劇なんで多少は仕方ないにせよ、個人的にはもうちょい薄味の方が好みです。
序盤からワケわかんないのが最後にスッキリするのは良い作りだと思うのですが、スッキリするまでも長いので途中で脱落する人も多いのでは?
タランティーノ監督が絶賛しているのはなんか納得です。一時代はメインストリームにあったかも知れないマカロニ・ウエスタンですが、現代だと映画マニア向けで一般ライト層が楽しめる代物ではなかったですね。
凄かった
・2020/01/07 シネウインドにて2回目を観た感想
・1度目が極度に眠かったので改めて観たら、とても面白かった。前回見たときに感じた顔が似てるっていう人が誰のことを書いていたのかわからなくなった。
・2度目でしっかり寝てきたので前回、理解できてなかったストーリーがよく分かった。各々が様々な思惑を持って1つの街に集まって、激突することの面白さと、やっぱり顔が凄く良かった。
・1度目に感じた前半の台詞がほとんどないシーンと思ってた箇所は普通に台詞があって、勘違いしていたので見直して本当に良かった。
・顔の違いが分からず、ラストの若いハーモニカを苦しめた男がシャイアンに見えて、えっ?何でそれでフランクと?と思ったら若いフランクだった。
・とにかく、俳優のドアップの後、数秒カメラが固定っていうシーンが多くてセルジオ・レオーネ凄いなと思った。
・とにかく、俳優の顔の威力が凄かった。ただ、似てる人が多いなぁと感じて混乱した。
・誰の話なんだろうとずっと思いながら観て、結果、タイトルの通り、昔々とある西部のお話ということで、あの場所が主人公のようだった。
・ワンハリを観てから観たせいか、似てるなぁと思った。
・主要登場人物が個性的すぎて良かった。ただ、やっぱり、シャイアンに似たヒゲの男が悪者で出てきて混乱した。
・前半、ほぼセリフのない構成に驚いた。ハーモニカのBGMのとき、まさかハーモニカを吹いている音とは思わず、笑ってしまった。
・前半の家族があっさり殺される所が可愛そうだった。
・皆、一体何をしたいんだろう?とずっとわからず、ラストにわかりはじめるのが凄かった。
傑出したシーンはあるものの全体的にまだるっこしい
1969年の日本初公開時は『ウエスタン』というタイトルで2時間21分の短縮版でした。
テレビでさらに短縮されたバージョンを観たかも・・・と思っていましたが、どうも観ていなかったようで。
むかしむかし西部のとある町にひとりの若い女性がやってきました・・・
といったところから始まる物語で、女性の名前はジル、ニューオーリンズでアイルランド出身の男性マクベインに見初められて結婚し、マクベインの後妻としてやって来たのです。
ジルを演じるのはイタリアの艶花クラウディア・カルディナーレ。
だが、ジルが到着するその日、マクベイン一家は鉄道会社に雇われた殺し屋フランク一味に皆殺しにされてしまっています。
フランクを演じるのが、ハリウッドの良心を演じ続けたヘンリー・フォンダ。
今回の悪役はかなり珍しい。
そして、フランク一味はマクベイン一家皆殺しの罪を、山賊のシャイアン一味になすりつけます。
首魁のシャイアンを演じるのは、ジェイソン・ロバーズ。
かくして、ひとりの女性をはさんでの悪人ふたりが相対する・・・
という構図ならばわかりやすいのだけれでも、そこへフランクを仇敵と狙う名無しのハモニカ男が登場するのでストーリーがややこしい。
ハモニカ男を演じるのはチャールズ・ブロンソン。
このときはまだ髭なし。
ストーリーがややこしい上に、
ハモニカ男=善人、フランク=悪人、シャイアン=コメディリリーフ
という役どころにもかかわらず、その描き分けはあまり明確でなく、ここいらあたりをリアリズムと受け取るかどうか。
で、ドラマ部分の演出は、とにかくレオーネ流とでもいうのか、まだるっこしい。
なので、見どころは、アクションシーンと大金を投入して復元した西部の町のセット。
アクションシーンは、これまた、じりじりするような演出。
これは一瞬のガンファイトを活かすための布石なようなものなのだけれど、この演出、かなり後年の映画群に影響を及ぼしていますね。
また、砂埃舞い上がるくすんだ西部の町の美術は素晴らしい。
ジルが無蓋の馬車に乗って走り抜けるシーンは、エンニオ・モリコーネ作曲のジルの主題曲と相まって、素晴らしい効果を上げている。
(音楽は登場人物それぞれに主題曲がつけられている)
と、傑出したシーンは随所にあるものの、ドラマ部分のまだるっこしさには閉口。
本来の主役であるジルが途中置いてけぼりを食っていたり、心情の変化がわかりづらいところもあって、個人的にはあまり評価できない一篇でした。
とても良い映画
♪う〜ん、マンダム!✨
*この映画の一番の見せ所は、最初と最後の決闘シーン…でしょうね…
チャールズ・ブロンソン演じるガンマンが何か隠してるんですが、2時間半たっぷりと最後の最後まで、結構もったいぶらされます(笑)
*顔のアップが多用されていて、緊迫感があってなんかドキドキしました。
*ヘンリー・フォンダの役どころが今ひとつだと思いました…これなら、オープニングに出てきた悪役3人組の方が、よっぽど悪そうな顔してたし、カッコ良かった!(笑)
…なんでハエ喰わないッ!(笑)
*昔の映画のせいなのか、或いはマカロニ・ウェスタンだからなのか(笑)、演出がなんかちょこちょこ変だった…(笑)
それと、エンニオ・モリコーネの音楽はとても良かったんですが、場面に合ってた!?(笑)
なかなか貴重な映画体験でございました。
パンフももちろん買った!(笑)
マカロニウエスタンは本当に恰好いい!
久しぶりにマカロニウエスタンを見に行きました。冒頭のけだるい暑い午後に、汽車から降り立つ主人公の決闘シ-ンから、もうハラハラドキドキでした。お色気担当のクラウディアも、メチャクチャに魅惑的で亭主を殺した男を誘惑するシ-ンが何とも色っぽい。そして、何と言っても悪役でありながら、実はお茶目でいい男のジェイソンが演じるシャイアンが実に恰好良い。いつもはニ枚目役のヘンリ-が、悪党を演じている意外性が面白かった。セルジオは無法の男のロマンを描かせると天下一品である。そして、お馴染みのエンリコの音楽が、大陸鉄道開拓時代の世界観を盛り上げる。街を造りあげる男のロマンは、ジルには理解できなかったようだが、ラストは女を残し去る主人公に、満足感を味わせる演出でした。
長かった
長いから寝る前に少しずつ見ていたら、流れや役がよく分からなくなってしまった。特にヘンリー・フォンダは髭があったりなかったりして同じ人だと分からなくて困った。ブロンソンに髭がないのも寂しかった。ブロンソンの兄の仇がフォンダだったようなのだが、年がともすればブロンソンの方が上に見えるので飲み込みずらかった。
鉄道敷設の場面はスケール感が素晴らしかった。古い蒸気機関車が実際に動いているのもよかった。
きちんと通して見れば印象は変わりそうなのだが、長くてしんどかった。
(追記)
リバイバル上映で映画館で見たのだけどやっぱり寝てしまった。たびたび奏でられるブロンソンのハーモニカが眠気を誘うのではないだろうか。ウトウトして話がよく分からないけど、ヘンリー・フォンダを暗殺しようとする場面は緊張感がすごい。シャイアンみたいなヒゲの人物が他にもいて見分けられない。また5年後くらいに見てみたい。
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