ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェストのレビュー・感想・評価
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Someday... 長かった...
超有名作品なんで観とこうかなっと思って観賞しました。いやー、濃かったです。登場人物が。
もうずーっと濃い顔の俳優さんのドヤ顔アップが多すぎて多すぎて胃もたれ消化不良気味になってしまいました。西部劇なんで多少は仕方ないにせよ、個人的にはもうちょい薄味の方が好みです。
序盤からワケわかんないのが最後にスッキリするのは良い作りだと思うのですが、スッキリするまでも長いので途中で脱落する人も多いのでは?
タランティーノ監督が絶賛しているのはなんか納得です。一時代はメインストリームにあったかも知れないマカロニ・ウエスタンですが、現代だと映画マニア向けで一般ライト層が楽しめる代物ではなかったですね。
全部が良かった!!
舞台でいうと、大道具、小道具、消えもの、衣装、照明、音響にあたるもの全てが、細部までリアルで、かっこよくて、素晴らしかったです。長いダスター、マトリックスに引き継がれてるのかな。
そして、カメラ。扉が開いて、クラウディアがちょっと驚くのですが、何が・誰が到来したのか、観客からまだ見えない。あと、顔の大アップの多用とか。瞳に何が映っているかわかるほど、長~くアップが続いてた。
そして、モリコーネ!贅沢なオーケストレーション、コミカルなメロディーの中に挟まれる休止、全てが良かった。モリコーネなら、続・夕陽のガンマン!とお薦め頂いたので、今度は夕陽を楽しみにします。
お話としても、面白かった。一家全員殺しから始まるんだー!とビックリして、ハーモニカ?と思ってたら、そんな辛い過去を背負っていたのー、早撃ちブロンソン!かっこよくてしびれました。クラウディア・カルディナーレ、綺麗!まさにイタリア女性のメイク!目に力入ってます!
ヘンリー・フォンダの目ってとても特徴的で素敵ですよね。和田誠さんが、フォンダの絵を描くと、本当にシンプルな線なのに、それだけで、ヘンリー・フォンダだってすぐわかる目になっててすごいな~と思ってました。
映画が大好きだった和田誠さん、モリコーネ、二人を想いながら観ました。いい映画でした!
重厚なマカロニ
語義矛盾のようだが、重厚なマカロニウェスタン。
おおいにやってのけたという感じでしょうか。
ショットのひとつ一つがバッチリ決まって美しいので観ているだけでうっとりとしてしまう。
それでいて軽薄なストーリーとお約束のドンパチ。
この食い合わせの妙、変な結晶みたいな作品でした。
おっさんの顔ズーム多用で最高でもありました。
圧倒的な傑作
この映画は家の小さなテレビで見ちゃだめです。
まさに、映画館という場所で見るのに相応しい、これ以上無い映画です。
特に素晴らしいのは、西部にやってきた高級娼婦のジルが駅に到着するシークエンス。
ジルが駅舎に入る→カメラがトラックアップ→西部の街並み…というカメラワーク、圧倒的。
こればかりは映画館で見なければ分からない凄み。本当に目の前に西部の街並み、いや西部の時代そのものが映し出されているとしか思えない、映画史に残る映像とモリコーネの音楽。
この映画をDVDで見てしまった人達が可哀相に思えてくるぐらい、映画館で見ることができてとにかく幸せであった。最近このような映画が果たしてあっただろうか?
映画館のシネスコで見るからこその目のエクストリームクローズアップの衝撃。
全てを画の力だけで美しく表現している。映画という表現に最大限の敬意を表している傑作。
ようやく観れた
昨年公開されてから、絶対に観に行くと決めていたがここまで延びてしまった。
圧巻の映像日、素晴らしいです。DVD等では何回も観たが劇場では初。この作品はやっぱり映画館でみるべき。
レオーネの真骨頂祭り。前降りが長く勝負は一瞬なり。人物のアップとメロディー。
完全版最高でした。
良くできた新感覚の西部劇
セルジオ・レオーネでもマカロニ・ウェスタンとは一線を画している。単純な西部劇じゃないから、アメリカ人受けはしないだろうな、という作品。
見所は、良心的役が定着のヘンリー・フォンダが悪役。ラスト近くの決闘シーンは黒澤の「用心棒」を思い出す。MM、BBと並び称される60年代のグラマー女優(これ死語かも?)CCクラウディア・カルディナーレが美しい。彼女はラストでは日に焼けた逞しい西部の女になっていて魅力的だった。
誰も指摘していないが、劇場で観た上でのレビュー?
過去にこれまでの版を何回かは鑑賞済みの方であるなら、始まって既に冒頭部分で直ぐに気づくと思いますけど、今回のバージョンが何か変だなって事に。
今回、丸の内ピカデリーと横浜ムービルとで観た上でだが、どちらも全く同じだった。
単純に言うならば、全体的に画面が暗いと言うか色調が濃いと言うか、そのせいでこれまでのソフト版やTV等での鑑賞と違って、より大きなスクリーンであるにも関わらず、細部が分かりにくくなってしまっているのだ。
余りにハッキリと違いすぎるので極端に違和感を覚えたのが、ウッディの頭に屋根からこぼれ落ちてくる液体の色だろう。
今回の版だとまるで「血の色」のように赤みがかっているが、元々はサビ水のような濁った黄色味の茶色という感じだったものである。
本来は、これについては屋根に溜まってた雨水が錆び水になって滴って来てるのだろうと思われるので、元の色の方が正しく思える。
また、決闘のシーンで顕著なのが3人の服の色。
殆んど皆が同じように黒っぽい服のようにしか見えないが、実際はそれぞれ違って、ウッディが着ているのは紫色っぽいシャツであることが従来の版では確認できる。
更に、C・Cが途中で立ち寄り、J•ロバーズやC•ブロンソンと初めて顔を交わす中継所内のシーンも、内部がヤケに暗いために室内の細部や人物の表情などについても、どのようになっているのかが非常に分かりにくく感じられた。
取り敢えず、特に顕著な点について挙げたが、新旧のどちらが正しい(本来の)ものなのかは、私には分からない。
今回の版が正しく修復されたもので、これまでのものが劣化してしまっていたものだったと言われてしまえば、きっとそうなんだろう。
ただ、少なくとも何度も観ているこの作品に於いて、ここまで違ってる(違和感を覚える)のは初めての事である。
また、「劣化して(明るくなって)たのを修復して暗くした」というのは何か変に思える。
今回の体験により、デジタル修復の限界というか問題点を感じた。
これでは、元の作品への印象がまるで変わってしまいかねない。
特に、何度も鑑賞を繰り返している愛着ある作品についての場合は、今回の件のようにそれが尚更顕著となるであろうから。
長かった…
眠くなったらどうすればいいんだ?と、つい思い出してしまったのが『レッド・サン』(1971)のチャールズ・ブロンソン。一緒に旅をするが眠らないでいる三船敏郎に質問すると「片目ずつ眠るのだ」と答える。あ、そうか、映画で眠くなったら片目ずつ…などと考えながら、やはり途中で眠ってしまったみたいだ。
このチャールズ・ブロンソンのドアップ映像が続き、へんてこなハーモニカの吹き方で魅了してくれる。そのハーモニカを吹いてるのはトゥーツ・シールマンスですか?と気になりながらも、エンニオ・モリコーネの音楽にうっとり。そうやってうっとりしてる間に、銃声がバーンとなったりして、目を覚ましてしまいます。それよりも高速往復ビンタを喰らっていたブロンソンがとてもよかった。
女性目線云々なんてのはそれほど感じなかったし、なんだかんだと、結局は復讐劇だったのか…とはいえ、殺し屋がいっぱい登場するので、すでに人物関係が頭の中から抜け落ちております。レオーネ作品は結構好きで、『続・夕陽のガンマン』や『夕陽のギャングたち』は何度でも観たいですね。
凄かった
・2020/01/07 シネウインドにて2回目を観た感想
・1度目が極度に眠かったので改めて観たら、とても面白かった。前回見たときに感じた顔が似てるっていう人が誰のことを書いていたのかわからなくなった。
・2度目でしっかり寝てきたので前回、理解できてなかったストーリーがよく分かった。各々が様々な思惑を持って1つの街に集まって、激突することの面白さと、やっぱり顔が凄く良かった。
・1度目に感じた前半の台詞がほとんどないシーンと思ってた箇所は普通に台詞があって、勘違いしていたので見直して本当に良かった。
・顔の違いが分からず、ラストの若いハーモニカを苦しめた男がシャイアンに見えて、えっ?何でそれでフランクと?と思ったら若いフランクだった。
・とにかく、俳優のドアップの後、数秒カメラが固定っていうシーンが多くてセルジオ・レオーネ凄いなと思った。
・とにかく、俳優の顔の威力が凄かった。ただ、似てる人が多いなぁと感じて混乱した。
・誰の話なんだろうとずっと思いながら観て、結果、タイトルの通り、昔々とある西部のお話ということで、あの場所が主人公のようだった。
・ワンハリを観てから観たせいか、似てるなぁと思った。
・主要登場人物が個性的すぎて良かった。ただ、やっぱり、シャイアンに似たヒゲの男が悪者で出てきて混乱した。
・前半、ほぼセリフのない構成に驚いた。ハーモニカのBGMのとき、まさかハーモニカを吹いている音とは思わず、笑ってしまった。
・前半の家族があっさり殺される所が可愛そうだった。
・皆、一体何をしたいんだろう?とずっとわからず、ラストにわかりはじめるのが凄かった。
哀感漂う西部劇の「挽歌」
セルジオ・レオーネの「ワンス・アポン・ア・タイム三部作」の一つ、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」を丸の内ピカデリーで観た。
元の邦題は「ウェスタン」だが、まさか映画館でやるとは思わなかったので、昨年DVDで観てしまったので、今回は2度目の鑑賞だが、やはり映画館で観るべき作品。
冒頭からかなりのスローペースで、人物の顔のクローズアップの多用や長回しなど、レオーネ節満載。
この映画の凄いところは、主な登場人物のキャラが立っていること。ハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)、ジル(クラウディア・カルディナーレ)、シャイアン(ジェイスン・ロバーズ)、そして「荒野の決闘」とは真逆の悪役、ヘンリー・フォンダ演じるフランク。4人が全員主人公であり、ならず者がガンファイトを繰り広げた西部劇の不毛な大地にいよいよ鉄道が通るという、フロンティアの終焉を時代背景とした、富や野望への欲と執念に彩られた人間模様。「ウェスタン」という単純な旧邦題が逆に的確に物語っていた、レオーネからの西部劇への「挽歌」であり、映画ファン必見の傑作と言えよう。
最後になるが、実はこの映画の一番優れているのは、音楽である。モーリス・ジャール、ミシェル・ルグラン、ジョン・ウィリアムズと並んで、勝手に4大映画音楽作曲家と私が呼んでいる、エンニオ・モリコーネの、「ニュー・シネマ・パラダイス」「ペイネ 愛の世界旅行」と並ぶ最高クラスの傑作スコアである。映画全編がモリコーネ節 で彩られ、西部劇の挽歌を甘美なまでに奏でる。まさに、映画芸術の極致である。
なお、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」もそうだが、レオーネは結構ミステリタッチというか、思わせぶりな筆致を用いることがあり、感興を増している。
傑作という言葉も陳腐に感じるほど破格の作品
広大な西部の風景をモリコーネの音楽が情景に変えた。映画愛があふれて零り落ちた。涙が滲んだ。「これが映画だ」と心の中で叫んだ。
西に伸びていく大陸横断鉄道、西部開拓期のガンマン達と彼の地に嫁いできたニューオーリンズの娼婦ジルの物語。
ハーモニカを吹いて登場する謎の男(チャールズ・ブロンソン)、人間味あふれ弱い者には手をかけない強盗団のボス(ジェイソン・ロバーズ)、鉄道の経営者と手を組み成り上がろとする冷酷な殺し屋(ヘンリー・フォンダ)。この三人のガンマンの個性が強烈なインパクトを残す。そしてジルを演じたクラウディア・カルディナーレは無敵だった。
「この作品を見て映画監督になろうと思った」というタランティーノ。そう、この作品はそういう作品だと思う。私の映画人生にもしっかりと刻み込んだ。映画に愛をこめて……。
傑出したシーンはあるものの全体的にまだるっこしい
1969年の日本初公開時は『ウエスタン』というタイトルで2時間21分の短縮版でした。
テレビでさらに短縮されたバージョンを観たかも・・・と思っていましたが、どうも観ていなかったようで。
むかしむかし西部のとある町にひとりの若い女性がやってきました・・・
といったところから始まる物語で、女性の名前はジル、ニューオーリンズでアイルランド出身の男性マクベインに見初められて結婚し、マクベインの後妻としてやって来たのです。
ジルを演じるのはイタリアの艶花クラウディア・カルディナーレ。
だが、ジルが到着するその日、マクベイン一家は鉄道会社に雇われた殺し屋フランク一味に皆殺しにされてしまっています。
フランクを演じるのが、ハリウッドの良心を演じ続けたヘンリー・フォンダ。
今回の悪役はかなり珍しい。
そして、フランク一味はマクベイン一家皆殺しの罪を、山賊のシャイアン一味になすりつけます。
首魁のシャイアンを演じるのは、ジェイソン・ロバーズ。
かくして、ひとりの女性をはさんでの悪人ふたりが相対する・・・
という構図ならばわかりやすいのだけれでも、そこへフランクを仇敵と狙う名無しのハモニカ男が登場するのでストーリーがややこしい。
ハモニカ男を演じるのはチャールズ・ブロンソン。
このときはまだ髭なし。
ストーリーがややこしい上に、
ハモニカ男=善人、フランク=悪人、シャイアン=コメディリリーフ
という役どころにもかかわらず、その描き分けはあまり明確でなく、ここいらあたりをリアリズムと受け取るかどうか。
で、ドラマ部分の演出は、とにかくレオーネ流とでもいうのか、まだるっこしい。
なので、見どころは、アクションシーンと大金を投入して復元した西部の町のセット。
アクションシーンは、これまた、じりじりするような演出。
これは一瞬のガンファイトを活かすための布石なようなものなのだけれど、この演出、かなり後年の映画群に影響を及ぼしていますね。
また、砂埃舞い上がるくすんだ西部の町の美術は素晴らしい。
ジルが無蓋の馬車に乗って走り抜けるシーンは、エンニオ・モリコーネ作曲のジルの主題曲と相まって、素晴らしい効果を上げている。
(音楽は登場人物それぞれに主題曲がつけられている)
と、傑出したシーンは随所にあるものの、ドラマ部分のまだるっこしさには閉口。
本来の主役であるジルが途中置いてけぼりを食っていたり、心情の変化がわかりづらいところもあって、個人的にはあまり評価できない一篇でした。
古い。時代を感じる。で、素晴らしい!!!
ハリウッドと間違えて観た人が1000人に1人は居ると思う。いや、何でそんなバッかな事、考えるんだろ、俺。
マカロニ・ウェスタン仕立てのイタリア映画だった。と言うか、"once upon a time" と題するに相応しい映画だった。大好きかもしれない、これ!
50年前の映画。確かに時代は感じるけど、そのまんまスペースオデッセイものにしても、面白いんじゃないかと思わされます。要するに、活劇としてのエンタメ要素にも溢れてる!
金を持った悪役が肢体不自由で列車暮らしとか、めちゃくちゃスターウォーズ感あるやん。ヒールな登場からヒーローに転じるシャイアンのキャラが最高。マジでハンソロ。マクベイン一家が狙われた理由が明かされてから"once upon a time" のスイッチ入ります、萌えます。クラウディア・カルディナーレお姉さま、美人です。ハーモニカとフランクの因縁は、丸っ切り、復讐劇が得意なマカロニ・ウェスタン!
俺、思うんですが。映画撮りを志す若い人がコレを観たら、めちゃくちゃ感化されると思います。物語、キャラ、画、セット、ひきの構図、などなど、もう数えられない位。レジェンド。まさにレジェンド。これが1968年、"once upon a time in America"は1984年。レオーネって、本当に巨匠ですね。感服いたしました。
素晴らしかったです。
61年間、観た映画の中で紛れもなく第1位!
50年前に吉祥寺のマルイの隣りにあったスバル座でロードショー落ちを父親と観たのが最初。43年前に新宿の名画座で彼女と一緒に観たのが、TV放映以外で観た二度目。その後VHSとDVDで家で観たのは数しれず。冒頭のBG無しの駅舎の緊迫感。モリコーネの名スコアに乗って、フランクが手下と共に登場するマクベイン家。ジルの登場でホームから駅舎の屋根を越えて町の全景が映し出されるクレーンショットとモリコーネ名曲中の名曲!名場面を言い出せばキリがない。ガンマンが役に立たなくなる西部の新たな幕開け。ただ消えゆく古い男たち…。ああ、全てが美しく、儚く、哀しく、そしてあまりにも尊く愛おしい。
不可能がなくなった、現代映画制作の全ての技術を持ってしても、このレオーネの最高傑作の前では、ただひれ伏すしかない。
本作と『続・夕陽のガンマン』の素晴らしさがわかるかどうかで、その人間が映画を知っているかどうかがわかるだろう。
『ミスターノーボディ』のヘンリー・フォンダも最高にカッコいいよ。クレジットはトニーノ・バレリだけど、実はアクションシーンの殆どはレオーネが撮ったらしい。観てるとわかるよね。
『あ〜!ここはレオーネだっ!』って(笑)
構図で魅せる映画術の見本!
昔むかし、鉄道敷設工事が始まったばかりの西部のある田舎町で、駅舎の建設工夫たちに明るく酒を振る舞う美しい未亡人がいた。
この未亡人には、こんな数奇な物語が隠されていたそうな…
公開から50年、レオーネ没後30年にして、2時間45分の完全版が劇場公開されたことは、嬉しい限りだ。
完全版がソフト化されたのはずいぶん前だが、劇場の大スクリーンで観られるとは思わなかった。
モニュメント・バレーの堂々たるロケーションは、やはり劇場でこそその圧倒的迫力を感じることができる。
短縮版で日本公開された「ウエスタン」は、当然リアルタイムではないが、学生の頃に名画座かオールナイトかなにかで観て、劇画も真っ青なあの大胆な構図に魅了された。
短縮版でも充分に大作の風格があった。
今回の上映でタイトルを原題のカタカナ表記に変更しているが、「ウエスタン」はよく考えられた粋な邦題だと思う。
アメリカ資本だから実現した壮大なアリゾナロケーションだと思うが、やはりハリウッド純正西部劇とは異なる毒気というか、一種異様な雰囲気があって堪らない。
セルジオ・レオーネの映画文法とエンニオ・モリコーネの音楽が、この独特の空気を作り上げている。
有名な、寂れた駅での銃撃戦に至るイントロのシークエンス。
何よりボロボロの駅舎のセットが極端で面白い。
撃ち合いが始まるまでが、無言で長い。
三人の悪党(かどうかの説明はないが、見るからに悪党)の油ぎった顔が超アップで映され、風になびくコートの芸術的な動き、木製のホームを踏む重い靴音とカラカラと風車が回る乾いた音が印象的。
これから起きる決闘を予感させて、惹き付ける。
そして、聴こえてくるハーモニカのメロディが、とてもチャールズ・ブロンソン演じる謎の男が吹いているようには聴こえない。
台詞のアフレコが口の動きと少しずれている。
このリアリティとは一線を画す演出が、不思議な印象をもたらす。
クラウディア・カルディナーレ(C.C.)演じるジルのテーマ曲は、本作のモリコーネの音楽の中で異質だ。
女声ハミングが重なる優雅なメロディは、その場面だけが別の映画かと思わせる程だ。
駅に降り立ったジルは、来ているはずの迎えがいないため、駅員に馬車がチャーターできる店の場所を訊ね、そこに向かう。
ここまでC.C.に台詞はない。
この駅舎の中のジルの様子を外から窓越しに撮り、画面奥の駅の外に歩いていくジルの後ろ姿を追うようにカメラが上へ昇っていくと、屋根を越えて町の様子が俯瞰で一望される見事なワンカット。
この素晴らしいカットにジルのテーマが乗る。
物語上はなんということもない場面だが、音楽と映像の効果で感動的ですらある。
レオーネは、既に西部劇の製作に終止符を打つつもりだったが、アメリカからの強いオファーに加えてヘンリー・フォンダの出演がOKとなったことで、もう一度チャレンジすることにしたらしい。
この頃既に、レオーネは「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の構想を練り始めていたのだ。
レオーネが物語作りに協力を要請した二人の映画青年が、若き日のベルナルド・ベルトルッチとダリオ・アルジェントだったというのが、歴史の妙だ。
三人のコンセプトは「ヴィスコンティが西部劇を撮ったら…」だったというから、この発想も驚き。
レオーネの西部劇において女性はアクセサリーでしかなかったが、ベルトルッチの説得で女性にスポットを当てた物語が出来上がったという。
だが、画的には見事にC.C.をフィーチャーしているが、やはり女性の心理描写はあまり得意ではなかった様だ。
ハーモニカ(ブロンソン)、フランク(ヘンリー・フォンダ)、シャイアン(ジェイソン・ロバーズ)という三人のガンファイターの、美貌の未亡人を誰が守り抜けるかという競い合いに、それぞれの恨みと野望とプライドが絡み合った物語だ。
ブロンソンは、後に「レッド・サン」(1971年、テレンス・ヤング監督作品)でも三竦みの闘いで生き残り、好敵手を弔った。
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