ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェストのレビュー・感想・評価
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一度はスクリーンで体感したい傑作。その鑑賞体験がきっと財産となるはずだから
巨匠レオーネがハリウッドで撮った本作は、当時すでに斜陽となっていた西部劇そのものへの想いを綴った映画とも言われる。アルジェントやベルトルッチが原案に加わっているだけあり、そこには過ぎ去りし時代、そこに遺された多くの名作への感謝の念すら刻まれているかのようだ。
冒頭、列車到着を待つ数分間からすでに圧倒的だ。静かに、コミカルに、そして詩情たっぷりに描き尽くすこのシークエンスに、これまでレオーネ作品を、いや西部劇そのものを観たことのない人であっても、瞬時に魅了されてやまないはず。ブロンソンがハーモニカの音色とともに存在感を見せつけ、フォンダが絶妙な悪役ぶりを刻み、またカルディナーレが荒野に立つ女性の生き様を見事に体現。壮大なクライマックスには心のパノラマがぐっと開けていく感動を覚える。映画史に残る傑作であると同時に、できれば人生で何度もスクリーンで体感しておきたい、そうするにふさわしい一作だ。
すごい映画があったもんだ
全然予備知識もなく、タイトルやポスターからマカロニ・ウエスタンかな?程度でしたが、さにあらず。思いもよらずにすごい映画に出会えました。
・登場人物がやたらにかっこいい。総じてかっこいい。
・構図が素晴らしい、例えば、アップや普通のやりとりからの全体パースの観せ方や組み合わせ方が絶妙でシーン展開で大凡が理解できるし、先の展開が予想できるし前の展開が「あーーー!」という感じで理解できる。多分、テレビだと良さが伝わらないだろう。
・シナリオが素晴らしい。随時、伏線がはられ、適宜適切に回収されていくすっきり感とか
・かと思えばお約束的なwww
・セリフが少ない。映画に集中できる。
・音楽がいい。適度に緊張を解してくれる。
この作品を観て、映画の基本線、特に名作の、は進化してないんじゃないか?と思いました。
なお、チャールズ・ブロンソンの射撃シーンは映りません。なんでなのか調べてみたらびっくりして笑いました。
西部劇の終焉はイタリア人が作った
ジョンウエインとジョンフォードらの作った西部劇が陰りを見せたとき、イタリアが西部劇(マカロニウエスタン)を作った。それはアウトローが金と復讐のために、ほこりだらけ汗だらけの髭ずらのむさい悪党を倒す物だった。このようなリアルで残酷な感覚は、実はヒットした荒野の用心棒のように黒澤明の用心棒から来ている。黒澤明はジョンフォードの西部劇を愛して、日本映画にウエスタンの味付けをした。しかし、黒澤明の非凡なところは単なる西部劇の焼き直しではなく、人の描写や戦い方にリアリズムを取り入れた。それが再びウエスタンとしてよみがえった。アメリカの西部劇にイタリア製西部劇がリアリズムと外連味(けれん味)の新風を吹き込んだ。
この映画は荒野の七人で現れ、様々なアクションで角頭を表したチャールズブロンソンがアメリカの西部劇のスターヘンリーフォンダやジェイソンロバーツと対峙し、最後はヘンリーフォンダを倒すというそれまでにない最後だった。この三人は機関車が走る最早時代遅れのガンマンで、開発の進む地主の未亡人に出会う。基本はイタリア西部劇に多い復讐話だ。しかし、最後の対決は銃を落とした後倒れるヘンリーフォンダの悲しげな青い目が、まぶしい青い空の下でなんとももの悲しく、現在ほとんどの出演者がこの世を去っていることもあって寂しさが募る。未亡人も悲しみから自立しようとしている。心に響くエンリォモリコーネの音楽が美しい。ヘンリーフォンダが悪役で寂しげに終るこのアメリカの西部劇にない感覚は、アメリカではヒットせず、ヨーロッパや日本でヒットした理由だろう。アメリカの西部劇の時代が終ったのである。それ以来西部劇はリアルと厳しさを中心に時々作られている。映画は結局全てリアリズムに向かっていくのだろう。
長いけれど説明が充分ではない。
2024.10.11 NHKBSで。
今回「ウエスタン」のタイトルで放映されたのが2時間45分版だった。
本作は1969年に「ウエスタン」のタイトルで、東京では新宿コマ劇場の隣にあった新宿プラザ劇場の杮落し作品として上映された。その時は2時間21分の短縮版であった。
2019年に原題の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」で2時間45分の完全版が公開された。
NHKは、何故今回「ウエスタン」のタイトルで完全版を放送したのか?
駅で列車の到着を待つ3人のガンマン。
一人は黒人(ウッディ・ストロード)で腰にランダルガン(ウインチェスターライフルの銃身と銃床を切った銃。「拳銃無宿」でS.マックィーンが使っていた)を下げている(この時代に黒人のガンマンはいなかったはずだ)。
滴の落ちる音、風車の軋む音。列車は到着しない。時間を持て余したジャック・イーラムは五月蝿いハエをかまっている。ここまで10分経過、主要人物はまだ誰も登場しない。
やっと列車が到着するが、誰も降りない。列車が去ると反対側に男が一人降りていた。ハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)である。3人のガンマンは男を迎えに来たのではなく、殺しに来たのだ。
撃ち合いになり男は3人を倒すが、自分も被弾する。ここまで約15分、話の本筋にはまだ入らない。
本筋には関係ないが、映画的には良く出来ているのだ。(アップ、画角、音響他)
でも、レオーネ先生、いくら何でも前振り長過ぎますよ。
本作の欠点は脚本にある。セルジオ・レオーネ監督の大傑作「続夕陽のガンマン」もツッコミどころは多いが、軍資金の金貨のありかを探す3人のガンマンのストーリーで筋は通っていた。
本作は、兄の仇の悪党(ヘンリー・フォンダ)を狙うブロンソン(それも最後に判る)、C.カルディナーレの夫を殺し相続した土地を狙うH.フォンダ、カルディナーレに近づくブロンソン、カルディナーレと強盗団のボス(ジェイソン・ロバーツ)、ブロンソンとロバーツ、それぞれの関係が明確に描かれないままである。だからピタリとハマらないのだ。C.C.の心情等も上手く描かれていない。
編集にも難有り。鉄道王モートンとフォンダの関係も話が飛び過ぎ。これは編集よりも脚本のせいか。
ヘンリー・フォンダと対決したブロンソンは仇を討つ。この決闘シーンも「夕陽のガンマン」等とは違う手法(カメラアングルやアップを多用しない等)で撮られている。
ラストでブロンソンはジェイソン・ロバーツを何処に運ぼうとしたのか?
各パートは良く出来ている所もあるのだが(レオーネ先生だからこちらも期待値が高い)、不明な事が多すぎてまとまりを欠いている。(だからレビューがまとまらないよ)
もう少し脚本が練られていたらもっと面白くなったはずなので、そこがちょっと残念だ。だから、アメリカでは当たらなかったのかな?
2019年、新宿ピカデリーにて鑑賞済。
オマージュなのか?!
ドル三部作(THE DOLLARS TRILOGY)のセルジオ・レオーネ監督が自身の西部劇への想いを込めた集大成的マカロニ・ウエスタン。
当時若手の映画人だったB・ベルトリッチやD・アルジェントとともに、西部劇映画の代表作を鑑賞しながら原案を練り、傑作西部劇の有名シーンを幾つも引用していることから、レオーネの西部劇愛やハリウッド西部劇へのオマージュが捧げられていると評される本作。でも、本当にそうなんだろうか。
自分にはこの映画が西部劇愛やリスペクトよりも、監督の皮肉や文字通りのコンプレックス(複雑な感情)を表明しているように思えてならない。
その理由のひとつがアメリカでのロケ。
それまで主にスペイン等、イタリア近隣で撮影していたレオーネが、初めてアメリカロケを敢行したことはオマージュ説の根拠ともなっているせいか、すべてアメリカで撮影したと勘違いしている人もいるみたい。
だが、実際はパートロケで、作品で使用されているのは3カ所だけ。ほどんどは従来通りスペイン等で撮影されており、マクベイン家の建物のセットはほかのマカロニ・ウエスタンにも登場する。
パートロケの最初のひとつは、ジルが馬車でスイートウォーターに急ぐ場面。
J・フォード監督の『駅馬車』(1939)を彷彿とさせるなどとよく言われるが、モニュメントバレーの奇巌は黒々として地獄の門のよう。ジルが直面する苛酷な運命を暗示する映像になっている。
二つ目は短縮版にはなかった映像。
先住民の遺跡で「アメリカの良心」H・フォンダ演じるフランクが雇い人のモートンを痛めつけて、雇われ人から正真正銘の黒幕に成り上がる場面に使われている。
そして、極めつけはモニュメントバレーを背景に壮絶なリンチが行われるクライマックスでのハーモニカの回想シーン。
もし一般に言われるとおり、本作がハリウッド西部劇へのオマージュなら、まるで「開拓精神なんて言ってるけど、こんなことだってやってたんだろ?!」と言わんばかりの場面をわざわざアメリカで撮った理由がどこにあるのだろうか。
本作では、先住民や黒人、中国人が労働者として登場する場面が散見出来る。
マカロニ・ウエスタン以前の古いハリウッド西部劇では、先住民はただの「動く的」だし、黒人や中国人は基本的に存在しないことになっている。
詳しくない方には西部開拓時代と中国人が奇異な取り合わせに思えるかもしれないが、19世紀中頃のアメリカ西部では太平洋を渡ってきた多数の中国人が鉱山労働や鉄道敷設に寄与し、事業の終了などでそこからあぶれた者は駅やホテルのポーターや低賃金の肉体労働に従事することになる。
レオーネは『夕陽のガンマン』(1965)で、はやばやと中国人ポーターを登場させるが、自分の知る限り中国人労働者が出てくるそれ以前のハリウッド西部劇は『拳銃王』(1950)と『昼下がりの決闘』(1962)ぐらい。
アメリカの西部劇映画にとって、彼等の存在は「不都合な真実」なのだ。
この作品では主要な登場人物4人とともに鉄道主モートンが重要な役割を担うが、何回観ても自分には彼がレオーネの分身か、自嘲的なメタファーにしか見えない。
病気の進行でハンディを負ったモートンが、太平洋を見たいという一心で強引な手段を使ってでも鉄道の延伸を強行しながら、最期は太平洋を思い描きつつ水溜まりの中で力尽きる様子は、革新的で時には過激な映像表現ゆえ、毎年ヒット作品を連発して映画会社から金づるとして重宝される一方、大向こうからは嫌悪され、国際的な賞には届かなかったレオーネの人生とどうしても重なってしまう。
BDの音声解説によれば、本作には西部劇映画だけでなく、L・ヴィスコンティ監督の名作『山猫』(1963)の原作小説へのオマージュも込められているのだそう。
小説版は読んでいないが、本作にはC・カルディナーレやP・ストッパら同作の出演俳優も起用されている。
真偽のほどは判らないが、ハリウッド至上主義者の人たちには及びもつかないことだろう。
若い頃はこの映画を人に勧めるなら、退屈でも一度は全部通して観てストーリーを把握した上で、あとは2時間20数分頃から始まるクライマックスの決闘シーンだけ繰り返して見ればいい作品と考えていたが、ここ十年ぐらいでレオーネ作品の中で最も観る回数が多かった作品だと思う(もちろん全編通して)。
時とともに、本作品で印象が変わった点がもう一つ。
昔はジルの心変わりの理由がよく理解できず、単にレオーネ監督の女性の描き方が下手なだけだと思っていた。
フランクに組み敷かれても一切抗わずに、積極的に受け入れようとしているようにも見えるジル。
しかし実際には、彼女は自分を殺しに来たフランク相手に必死で「無抵抗の抵抗」を試みていたのだと今は思う。
従順そうに振る舞い、高級娼婦時代に培った手練手管でフランクの殺意を萎えさせ、彼に婚意まで抱かせる。
この場面で弄ばれていたのは、実はフランクの方だった。
このシーンのあと、競売でマクベインの土地をハーモニカに横取りされホテルのサロンに押しかけるフランクとの衝突を避けて、ジルはさっさと階上へと避難するが、部下の裏切りにあったフランクを助ける態度を取ったハーモニカを詰る際の彼女の表情は家族を殺したフランクへの憎悪に満ちている。
ジルは心変わりなどしていなかったのだ。
一方で何年経っても変わらないのは、クライマックスの決闘シーンに対する評価。
この場面には本作だけでなく、レオーネ作品の魅力のすべてが凝縮されている。
ついに決着をつけるべく対峙するハーモニカとフランク。モリコーネの名曲『復讐のバラード』をバックに位置に付く二人のクローズアップが交錯し、ハーモニカの脳裏にはフラッシュバックが蘇る。
過去二回の回想シーンは不鮮明で亡霊か悪魔のように見えた黒い影は、今度ははっきりと若い頃のフランクだと判る。
おもむろにポケットからハーモニカを取り出したフランクは、“Keep your loving brother happy.”と言って、そのハーモニカを目の前の少年の口に押し込み、再び『復讐のバラード』がバックに流れ雰囲気を盛り上げる。
ドル三部作でも殴る蹴るの凄絶な暴力シーンを多用したレオーネをして、ここでのリンチシーンはひときわ酸鼻で残酷。
少年は首にロープが掛かった兄の体重を肩で支えていた。彼が力尽きると同時に兄の処刑も完了する陰惨な仕組みに加え、少年の体力をより早く消耗させるためにフランクはハーモニカを吹くよう命じていたのだ。
堪らず何かを叫んで弟の肩を蹴り、みずから命を絶つ兄。
地面に倒れて土埃に包まれる弟こそが、「ハーモニカ」の正体だったと鑑賞者は理解する。同時に彼の目的が兄の復讐であることも。
フォードの『駅馬車』以来、決闘シーンはどちらが勝ったか判らないように一旦見せかけるのが定番だったが、レオーネは勝者が誰かすぐ判るように演出する。
撃たれたフランクは銃をホルダーに収めることも出来ずに膝を折る。
背後から歩み寄るハーモニカの気配を感じても、もはや体の自由が利かずとんでもない方向を見るが、やがて背中から倒れて二人の視線が重なる(このシーン最高!!)
苦しげに “Who are you?”と問うフランクの口に、昔、自分がされたように無言でハーモニカを押し込むかつての少年(ハーモニカ)。フランクの脳裏にも、彼と同じ回想シーンが浮かぶ。
納得して頷いているのか、それとも朦朧として体が揺れているだけなのか判然としないまま、倒れたフランクは絶命する。
あらゆる決闘シーンの中の別格的最高傑作。やっぱり今でも全編観たあと、ここだけ何度も繰り返し観てしまう。
前にも触れたとおり、さまざまな西部劇映画の名シーンを本作は引用しているが、誰にでも判るのが最初と最後。
冒頭、列車の到着を三人組が待ち受ける場面は『真昼の決闘』(1952)。
ここで『続・夕陽のガンマン』(1966)の三人(C・イーストウッド、L・V・クリーフ、E・ウォラック)を起用しようとレオーネが提案した話は有名(実現しなかったが、同作のセルフ・パロディはハーモニカが競売の落札額の換わりに賞金首のシャイアンを差し出す場面でも)。
駅での決闘シーンで、倒れる間際のストーニー(W・ストロード)の一撃を食らってしばらく昏倒するハーモニカ。
この時のダメージが影響する場面がないので、どうでもいいシーンに見えるが、実は大事な伏線。
一方、本作のラストは『シェーン』(1953)からの引用。しかも、同作のラストシーンにまつわる有名な議論、「生存説」と「死亡説」の両方をハーモニカとシャイアンがそれぞれ担うかたちになっている。
モートンに反撃されて致命傷を負ったシャイアンは、死ぬ間際に「対決するなら急所を心得てる奴にしろ」とハーモニカに自嘲ともとれるアドバイスを送る。
このジョークじみたセリフにハーモニカは一瞬笑みを浮かべるも、すぐに真意に気付き真顔に戻る。
交易所での初対面でハーモニカが流れ弾を受けていたことを憶えていたシャイアンは、「油断してると明日は我が身」と忠告していたのだ。
本作の主演4人は、例えて言うなら「THE GOOD, THE BAD, THE BEAUTY, AND THE EVIL」といったところか。
フランク役のH・フォンダは西部劇ファンだったレオーネ監督憧れのヒーロー。
『荒野の用心棒』(1964)以来、オファーを断られ続けて本作でようやく出演が実現するが、実は、フォンダは依頼を受けるか相当悩んだそう。『続・夕陽のガンマン』に出演していた友人のウォラックに「絶対出ろ」と尻を叩かれ、ようやく決断とか。
極悪人という今までにない役柄に、黒のカラーコンタクトで臨んだ彼をレオーネは「すぐに外せ」と一喝。
憧れていても映画へのこだわりは別。偉いぞレオーネ!
この作品以降もフォンダはT・ヴァレリ監督の『ミスター・ノーボディ』(1973)で悪人ではないが非情なガンマン、ジャックを熱演。
ハーモニカ役のC・ブロンソンもかつて『荒野の用心棒』のオファーを断った一人。
男性化粧品のCMで人気だった頃を知っているので、ヒゲのないブロンソンに昔は違和感があったが、本作の見過ぎで今ではヒゲがある方がヘンに見える。
物語の緩衝材的な役割のシャイアンを演じたジェイソン・ロバーズは本作に先駆けて『テキサスの五人の仲間」(1966)でフォンダと共演。
撃ち合いどころか一発の銃弾も発射されない、マカロニ・ウエスタンとは逆な意味で異端の西部劇。邦題は原題をまったく反映していないが、最後まで観るとタイトルの意味が判るという粋な仕組み。
ヴィスコンティ、F・フェリーニ両監督のミューズだったカルディナーレ。本作では場面ごとにさまざまな表情を見せ、クローズアップを多用するレオーネの演出に応えている。
冒頭で「善玉、悪玉、卑劣漢」に代わって三人組を演じたのは、J・フォード作品の常連W・ストロードと、ハリウッド西部劇の脇役J・イーラム、マカロニ・ウエスタンでの強烈な個性の悪役が多いA・ミューロック。
中でも、リーダー格のスネーキーを演じたイーラムは仰角のアップを多用して貫禄十分に撮られている。
『地平線から来た男』(1971)でのラストシーンの自虐ネタ(?)が涙を誘う。
今やレオーネは巨匠と呼ばれ、本作やドル三部作は名作扱い。
音階担当のE・モリコーネも『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988)以降、マエストロなんて呼ばれてる。
マカロニ・ウエスタンというだけでバカにされていたのも、昔々の話。
NHK BS1にて鑑賞。
止まることのない鉄道敷設の傍らで
始まりもとても好きだが、終盤、チャールズ・ブロンソンとヘンリー・フォンダの決闘から終わりまでが堪らない。
互いのシーケンスを経て向かい合う二人の緊迫感。青空を背景に膝から崩れるヘンリー・フォンダ。ハーモニカを咥えさせられたまま絶命する表情が恐ろしい。
クラウディア・カルディナーレのお尻をポンと触っておいて「知らない振りしておけよ」と軽口叩き出ていくジェイソン・ロバーズ。彼女の前で隠していた傷が元でへたり込む。ブロンソンに死に際を見られたくないと言い、彼が後ろを向く。ひょうきんな曲が数拍静寂になったその時に、ドサっという音が聞こえる。
ロバーズの亡骸を乗せた馬と共に去っていくブロンソン。遠くで作業員達に酒を振る舞うカルディナーレ、あっという間に人垣が出来る。七人の侍の最後を思わせる幕引き。
武士(ガンマン)は喰わねど高楊枝
なんと言ってもこの映画はオープニングの味。
ハーモニカはC調ではない。
変な不協和音。
表情を変えないCブロンソンの渋いこと。
黒人俳優の始祖、ウディ・ストロードがドゥエイン・ジョンソン(ロック様)そっくり。
ハーモニカ(Cブロンソン)はなぜ500ドルでフランク(Hフォード)を裏切った手下たちの動きがわかったのか?
ジル(Cカルディナーレ)はなぜフランクの女にならないで土地を競売にかけたのか?
シャイアン(Jロバーズ)がなぜハーモニカに素直に従って5000ドルの懸賞かかった身を差し出したのか?
切符を買ってユタの監獄に送られる列車からシャイアンを助ける仲間二人。人望がありすぎるおたずね者のシャイアン。
鉄道王モートンに油断して脇腹を撃たれたシャイアン。いつからずっと我慢していたのか?そしていつ死を覚悟したのか?なぜ、ハーモニカを追ってジルのもとを去るのか?
シャイアンの手下たちたちはそのあとどこに行ったのか?
駅を建設している男たちはジルに雇われて働いているのか?その金はどこから出たのか?シャイアンに言われたとおり、人足達に飲み物を振る舞うジル。ハーモニカがフランクを倒して帰って来たときに嬉しそうに微笑んだジルはなぜ去って行くハーモニカになにも言わないのか?
???すぎる。
ジル、ハーモニカ、シャイアンの3人のニヒルな矜持が爽やかすぎるマカロニウエスタン。
アメリカでの興行はおそろしく振るわなかったらしい。その理由は金に現実的なアメリカ人の心に響かなかったからなのか?公民権運動が激しくなって来た時代にアメリカ人は西部開拓史を振り返る余裕もなかったのか?
やはり、エンリコ·モリコーネのどことなくリンゴ追分的なテーマ音楽とマカロニウエスタンのニヒリズムは黒澤映画や時代劇の影響を感じざるを得ない😎
クロースアップの多用には理由がある
「大草原の小さな家」シリーズを読んでるので 西部劇を見るといつも イメージがかぶる。なかでも特に「大草原の小さな町」が・・この街のどこかに、あの可愛いローラ・インガルスが住んでいて、親父のチャールズが鉄道工事の会計をやってるのかな・・とか想像してしまう。それがアメリカの歴史の一部なのだ。・・ということを感じながら映画を見た。
そしてこの鉄道を作ってる 金持ち・・こいつがいい奴なのか悪いやつなのかよくわかんないけど、こういう奴らがアメリカの街を作っていったんだと
黒いヘンリー フォンダ、 すごく似合っていてかっこいいかった。ハカイダーのようだった。いい部分が全くなくて完全に黒い奴ってのが良かった。さすが名優! 特にエロシーンが良かった。やっぱり 映画は エロシーンがないと! とっても決まっている最高のエロシーンだった。女優クラウディア・カルディナーレのまなざしも真剣でエロティックで体がそそってとっても惹き込まれた
タランティーノへの影響をすごく感じた
ワンスアポンアタイムインハリウッド という映画を見た時に これはワンスアポンアタイムインアメリカの オマージュかなと思ったが違った。 この映画のオマージュだった。・・と私は確信した。
音楽の使い方が印象的だった。コメディ 風の音楽とシリアス 風の音楽とハーモニカと・・バランスが素晴らしかった。 最初から全てどこでどの音楽・・を前提に演出されている
昔、短縮版で見たが全然面白くなかった。
今もこんな 美しい 状態で見られるなんて幸せだ
3時間 近くあるが全然気にならなかった。一気に見てしまった
クロース アップを使いすぎのように感じたが、とっても効果的かつ 魅力的だった。
巨匠が普通と違う演出をしたらそこには必ず理由がある。
もしも いきなり目のアップにしてしまったら、あなたはびっくりするだろう。それが鑑賞の妨げになるのだ。だから伏線が必要なのだ。なぜこんなにクロス アップが多いんだろう・・と思って見ていると最終的に目のアップになる。そこにあなたは何を見たのか? そうだ あなたは複数の色をそこに見たのだ。 彼は混血 なのだ。直後にあの因縁のシーンが始まる 。なんと効果的なクロースアップだろう! 悪役にヘンリーフォンダを起用したのは彼の目が混じり気のない青だからだ。そしてこの作品のテーマは後にタランティーノのジャンゴに受け継がれていくのである
ラストシーン
ネタバレ注意
で チャールズ プロンソンはどこへ行こうとしているのだろう?そっちには何もないはずだが・・どっかにそいつの墓でも作ろうっていうのか?・・それとも彼女のところへ 行くのが恥ずかしすぎて、とりあえずウロウロしてんのか・・
いつか劇場で観たい。いつか。
映像・音楽・俳優を愛でる映画
いわゆる一般的滑らかなストーリーを楽しむ映画ではない。
『荒野の用心棒』のような胸のすく外連味を遠ざけ、
本来なら90分に収まるプロットを165分かけて描写したストーリーだ。
しかし映像と掛け合うストーリーや人物造形上の仕掛けなどはあり、それは俳優の長台詞に頼らず最小限のダイアログとゆったりした動きで描かれる引き算の映画だ。
そのハレを厳選しケを引き伸ばした間引きの話法の、日本映画との関係などは多分詳しく分析している人はいるのだろう。
贅沢に撮られた遠景ロケーションと極端な人物クローズアップ、タルコフスキーばりに間をとった編集と、電光石火に圧縮されたアクションによるドラマの展開と収斂の鮮烈。
セットもコスチュームもプロップも全て手が込んでる。
そこには過去の西部劇の名匠達を受け継ぐ雄大な詩情にフォーカスした世界が確かに在った。
編集次第でもっと売れる大衆的傑作にもなっただろう。
映画、または西部劇の可能性とはそこだけにはないという事を意志を持って示した作品であるという点において、これは予め誹りも受け入れた作品であろう。
その大衆性を捨て置いた贅沢さに老婆心ながら興行師はさぞ寿命が縮んだ事だろうと想像する。
個人的には顔が切れるほどのクローズアップが頻出するのは好みでないが、他の美点がなだめてくれる。
それにつけても主要キャストの魅力が素晴らしく際立つ。
特に私が感じたのは本作を通して出演時間は意外と多く無いブロンソンが、彼のキャリアを通してしばしば醸し出す「結局お前何者やねん」という通奏低音。
それが本作で最高の強度をもって作品の味わいを支配したという納得だ。
本作でも、ブロンソン出演作『雨の訪問者』などにみられる、いかがわしさを振り撒き死神の様にも見える「優しい野獣」の魅惑に男女問わず魅入られる事請合い。
本作でも披露される「ドアを蹴破るor悪漢を前蹴りで蹴り飛ばすのが世界一似合う漢」がC.ブロンソンである。
フォンダの怖気のする円熟、ロバーツの巧みな二面性、カルディナーレの逞しさと可憐(これはやや監督の不得意か)。
それにしても皆、度を越してドーランが黒い。
文芸を愛し西部劇を見下す諸兄方々等はひとつ本作を観てから再考されたい。
虫の声が止んだら危険を知らせる合図だぞ
西部劇はあまり好みではないと思っていたのでほとんど観たことはない。当然セルジオ・レオーネ監督の作品を観るのも初めてだ。その名前は知っていても。
結論からいえばメチャクチャ面白かった。
なんといえばいいか分からない高揚感がある。近年のアクション映画などとは違う静けさしかないにもかかわらずだ。
万人ウケは無理だろうが、この作品が傑作として支持されている理由は分かった。
画面に映るもの、音、光と音の総合芸術と言われる映画らしい演出は素晴らしい。
主人公と悪人が対決するだけだろうと思っていたストーリーの方も、想像以上に込み入ったものだったのが印象的。全然単純ではなかった。
なんなら、この物語は何なのだ?というミステリーと言えなくもない。
物語の筋が見えてくるまで100分ほどかかるのでこれも万人ウケしない理由にになってしまうだろう。
個人的には、ストーリーなどあってないようなものだと思っていたので最初の100分も面白すぎた。
初鑑賞となったセルジオ・レオーネ監督作品である本作が本当に面白かったので、何となく避けていた「夕陽のガンマン」も観てみようと思う。
もう期待しかない。
遠い昔 はるか西部のかなたで...
このセルジオ・レオーネ監督による傑作西部劇、いつの間にか邦題が「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト」になってた‼️私的には「ウエスタン」なんだけど‼️新婚の夫をならず者連中に殺された新妻ジルが、謎のガンマンと山賊の助けを借りて復讐に乗り出す・・・‼️ドル箱三部作をはじめとするレオーネ監督作に限らず、私はマカロニウェスタンにあまり食指が動かないんですけど、この作品は別格ですね‼️とは言ってもこの作品、アメリカで撮影されているので、正確にはマカロニではないんですが‼️やはりこの作品は、レオーネ監督の巧みな演出は当たり前として、音楽とオープニングシーンに尽きます‼️音楽はもちろんエンニオ・モリコーネで、ハーモニカの響きを主体に、時に陰惨に、ノスタルジックに、ユーモラスな名曲の数々は素晴らしいの一言‼️特にジルのテーマは聴くだけで胸が張り裂けそうになります‼️そして間違いなく映画史に残るオープニング‼️ 3人のガンマンが列車を待ち受けている‼️帽子の上に落ちる滴、頬のまわりでブンブンするハエ、錆びた風車が不気味な効果音となる‼️列車が発車すると、チャールズ・ブロンソンがその場に立ってる‼️そしてバン❗️バン❗️バン❗️残ったのは3人のガンマンの死体、ちょっと傷ついたブロンソン、そしてハーモニカの響き‼️これぞ映画ですね‼️
シャイアンのテーマの強さ
映画が始まってしばらくたってもまだこの作品が何を描こうとしているのかわからない。どこかブレイキングバッドの蠅回を思わせるような出だし。誰が主人公なのかなんの物語なのか予備知識なしに観ているとわからないまま、濃い登場人物と無法地帯に飲み込まれる。徐々に、無法者のシャイアン、ニヒルなハーモニカ、寡婦となったジル、そして悪役フランク、実業家モートンを認識でき、彼らの物語なんだなとわかり始める。大きな筋書きとしては、シャイアンとハーモニカとジルが、フランクに立ち向かうという構図や、ハーモニカによるフランクへの復讐などがあるが、この物語は最後に締めくくられるシャイアンのテーマに象徴されるように、まさに「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト」。無法地帯、無頼漢が制圧する世の中から、大陸を列車が横断し、庶民が力を握りいきいきと生きていく世の中が来ると期待させるような、ジルの姿がやはり印象的。どこか、七人の侍のラストを思い出すような光景で、そしてシャイアンのテーマで締めくくられることでその印象がより強まる。叙情的感傷的になることを求めないような、ユーモアとペーソスを感じる。どんな悲劇や執念があったとしてもそれはこの土地の血肉となるわけで、みんなただ生きていくんだなって、そういう感慨を抱いた。
西部劇の金字塔らしい。 冒頭、ハエと水が気になってしゃーない(笑)...
【”ゴー・ウェスト。そして、哀し気なハーモニカの音色の意味するモノ。”練り込まれた脚本と、主要キャラクターのキャラ立ちも良き豊饒な西部劇。エンニオ・モリコーネの印象的なメインテーマも良き作品である。】
ー いやあ、面白かったなあ、今作。何時か、映画館の大スクリーンで観たいモノである。
観る機会が訪れるかなあ・・。-
<メインキャスト>
1.悪逆非道なフランク(ヘンリー・フォンダ)
2.壮大な夢を抱いていた男マクベインと結婚した元娼婦ジル(クラウディア・カルディナーレ)
3.少し憎めない強盗団のボス、シャイアン(ジェイソン・ロバーズ)
4.個人的に一番格好良いと思った、ニヒルだが哀しき過去を持つハーモニカ(チャールズ・ブロンソン)
■今作は、西部開拓期を舞台に、上記4名の主要キャストの思惑が絡んだ、不思議なテイストのエンニオ・モリコーネのメインテーマを背景に描かれる、豊穣且つ壮大な西部劇である。
◆感想
・ヘンリー・フォンダが良く、悪逆非道なフランク役を引き受けたなあ。
・シャイアンが舐めて掛かった身体が不自由な鉄道王、モートンに撃たれていたとは・・。
で、ハーモニカに今際の際に言った言葉”相手にするなら、一発で仕留める奴にしろよ・・。”
・チャールズ・ブロンソン演じるニヒルなハーモニカの音色が哀し気な理由が分かる、フランクと対峙するシーンも良い。
<セルジオ・レオーネ監督が、マカロニウエスタン製作時代のエンタメ性高き作風を投げ打って作り上げた、豊穣且つ壮大な西部劇。
エンニオ・モリコーネの軽やかだが、不思議な余韻を残すメインテーマも作品に彩りを与えている作品である。>
■先人の方々のレビューを拝読したが、皆様の映画知識の深さと愛情に驚きました。
マダマダダナア、オイラ・・。
冒頭のシーンが一番良かった!
2時間45分のオリジナル版を鑑賞。
観る前の感想は「長い」。
鑑賞中も「まだあるのか?」
観終えた後「ようやく終わった・・・」でした。
台詞間や演技間の「間」が冗長過ぎて、家で観るにはリズムが合わないように感じた(←言い訳)。
延伸される鉄道により西部が発展していく一方、鉄道により”西部”が失われていく喪失感や抵抗が、この「間」に重なり、まさに一分一秒でも長くこの世界を留めておきたい、西部愛を痛いほど感じさせる作品だった。むしろ自分の西部愛が足りなかった・・・。
追伸
冒頭の駅で繰り広げられるブロンソン演じる「ハーモニカ」の登場シーンが、個人的にはクライマックスだった。
巨匠が描く、西部劇の最高峰!
素晴らしい!! シビれた!!!
長尺を感じさせない、見応え満点の165分
いわゆるバンバン!!だけの西部劇ではなく、ストーリーがしっかり作り込まれているので、西部劇ファンじゃなくても楽しめる、巨匠セルジオ・レオーネ監督の大傑作作品です
いろんな思惑を持ったキャラクター達の人生が運命に導かれ交錯しエンディングへ突き進み、明らかになっていくストーリー展開が見事
60年前の作品とは思えない綺麗な映像
西部劇ではおなじみのモニュメントバレーに代表するアメリカ大西部の原風景
施設中のアメリカ横断鉄道を初期の蒸気機関車が煙を上げて走り、これから発展していくであろう駅周辺に発着、そこで大勢の人々が乗り降りする賑わいなど、全編にわたってダイナミックな構図が広がり、それだけでも見ていて気持ちが良くなりワクワクします
そんな映像美に輪をかけて、エンニオ・モリコーネさんの音楽がすごく綺麗で心洗われる気分になります
顔のアップが多い、さらにズームインする両目のアップが印象的
チャールズ・ブロンソンさんがカッコいい、目の色が白に近いウグイス色でチーターみたいだった
ジルを演じるクラウディア・カルディナーレさんがすごく美人でセクシー、ステキでした
イタリアのウェスタンは恨みつらみを豪快に晴らすと言った所に魅力がある。
スクリーンで見るのが一番良いと思う。
映画の内容自体は面白くない。西部の歴史なんかどうでも良い。つまり、対決の凄さと非情さだけで、この映画は成り立っている。退屈はしないが、やはり、長すぎるし、説明が多いと感じる。続夕陽のガンマン(南北戦争の)もそうだが、イタリア人がアメリカの歴史を語ってもやはり偽善になってしまうと思う。大陸横断鉄道、アメリカ資本主義の確立を語りたいのたろうが。イタリアのネオリアリズモ作品があるので、アメリカ式の語り口は今一ピンとこない。
イタリアのウェスタンは恨みつらみを豪快に晴らすと言った所に魅力がある。つまり、日本に於ける『忠臣蔵』と同じ方向性。(但し、イタリアのそれには忠義など無いが。)
最初と最後のあの間は一級の映像。
小津安二郎監督の影響あるのかなぁ?
DVDは持っているが、知り合いの家で旧国営放送にて鑑賞。2024年
10/11 13時00分
開かれる男の世界
顔にたかるハエ、頭上から落ちる水滴、指をパキポキ。のっけから観る者に覚悟を植え付ける。時間がかかるがその世界観に堕ちていく。ハーモニカの音色で現れる男。勝負は刹那で決まり、風車の音がカラカラ。本人も無傷で終わらないのも良い。
チャールズブロンソンの細い目は寡黙であるが、哀愁に満ちている。立ち姿が美しい。端正とは言えないが吸い込まれるような魅惑を放つ。そんな細い目に寄るドアップ。彼が見てた忘れられぬ記憶から銃を抜く。
対するヘンリーフォンダの描き方も一筋縄にいかない。冒頭の所業からして極悪ではあるが、享楽的ではなく、執行者として請け負わされたようでもある。未亡人にむしゃぶりつく濡れ場は妙に生々しく人間性をみせる。
対するクラウディアはそれまでの言に違わぬ仕事ぶりをここで果たす訳であるが、その世界の正しさは別として、自分の意思で歩む女性の姿を映す。そんな彼女が中心になって皆に振る舞うラストは、七人の侍の田植えシーンと重なる。
そんな下着の脱がせ方、そんな火の付け方など、ギミックも織り混ぜられて楽しい。確かに長回しが多くて睡魔にも襲われるが、最後まで堪能できる一本。
ウエスタン
イタリア セルジオ・レオーネ監督作品
音楽は、エンニオ・モリコーネ
父が好きだった西部劇
幼い頃に 父がよく観ていたので
大人になり 私も鑑賞。
私が、洋画好きになったのも
父の影響が大きいのです。
この「ウエスタン」の世界観
男性にとっては感動ものでしょうね。
冒頭の効果音以外、音楽がないシーンも
印象的でした。
映画音楽の巨匠
イタリアの作曲家
エンニオ・モリコーネ氏
2020年7月6日逝去されました。
『ウエスタン』も美しく壮大な曲ですね。
他にも
「荒野の用心棒」
「夕陽のガンマン」
「続・夕陽のガンマン」
「ニュー・シネマ・パラダイス」
「海の上のピアニスト」等名曲がいっぱいです。
ミュージック・マエストロの映画音楽は永遠です。
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