劇場公開日 1956年10月18日

「エミール・ゾラの自然主義文学の重厚で明快な映画化の、ルネ・クレマンの代表作の一本」居酒屋(1956) Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0エミール・ゾラの自然主義文学の重厚で明快な映画化の、ルネ・クレマンの代表作の一本

2022年5月7日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館、TV地上波

「禁じられた遊び」一作によって映画史上に名を遺すであろうルネ・クレマンは、「雨の訪問者」以降娯楽サスペンスものに作風が変化していった。初期のドキュメンタリー映画から出発したクレマンには、一貫した作風が感じられないし、特にこの様な文芸映画の成功作を観ると、この時の演出力と創造性は何処へ行ってしまったのかと惜しまれる。自然主義文学のエミール・ゾラの代表作『居酒屋』を高度な映画芸術に成し遂げた成果は、名作小説の映画化が困難である通説を思うと貴重であると思う。ジョン・フォードの「怒りの葡萄」やルキノ・ヴィスコンティの「ベニスに死す」と、成功例は少ない。
クレマンの演出は、原作のパリの下町の市井の生活描写を的確に再現し、ロベール・ジュイヤールの撮影は役者の演技を追うよにカットを少なく移動させている。それでいて混乱した経済状態の中の労働者階級の悲惨な生活を細微に至り描き、緻密な映像作りが成されていた。これが、この作品を人生ドラマとしての重厚さと明快さ併せ持った秀作に仕上げた最大要因である。そして、興味深いことは、主人公ジェルヴェーズを客観視する原作の冷静さを、クレマンの通俗的な社会生活志向によって楽しく観られることだ。冒頭の夫の浮気相手の姉と大喧嘩するシーンを盛大に撮ったり、クポーとの幸せに満ちた結婚式の場面では、仲間たちとルーブル美術館を見学するのをユーモラスに描いて、ジェルヴェーズ主催のパーティーでは、人々の食欲旺盛な人間の本能を晒し見せる演出と、クレマン監督らしい面白さであった。
物語は、男運に恵まれない女性ジェルヴェーズの悲運を追いながら、その子供たちの置かれた境遇を暗示させる。貧しさが連鎖する社会を問題視する、作家の視点がここにある。たった一人の善良な男グジェは、ストライキ運動をする社会派の理想主義者として現れ、ジェルヴェーズを助け、彼女の長男を引き取り去っていく。唯一救われるシーンだ。そして、ラストシーンを締めくくる少女ナナの、どうなるか分からない未来で映画は終わる。「禁じられた遊び」の雑踏の中に消えゆくポーレットの描写と似て、これは印象的な終わり方であった。
1852年から60年にかけての、日本では幕末の時代のフランス・パリの社会状況を映し出した演出と、当時のある女性の生き様を切なくも力強く演じたマリア・シェルの名演が素晴らしい。ゾラの自然主義文学の特徴を映画で実感できる、貴重な文芸映画の秀作である。

  1978年 6月12日  フィルムセンター

ルネ・クレマン監督は、「禁じられた遊び」「居酒屋」「太陽がいっぱい」の三作品が代表作に挙げられるだろう。初期の「鉄路の斗い」「海の牙」「鉄格子の彼方」が未見のままで、残念ながら今日まで来てしまった。他に「生きる歓び」「パリは燃えているか」「雨の訪問者」が佳作として印象に残る。「危険がいっぱい」「パリは霧にぬれて」には、今一つの感想を持った。晩年は商業映画に特化した傾向が強く、いくら過去に名作を生み出しても採算が合わない題材には挑戦できなかったのではないかと想像する。映画監督の宿命の一つを象徴していると思う。

Gustav