「舞台女優の栄光と苦悩を辛辣に風刺したマンキーウィッツの傑作」イヴの総て Gustavさんの映画レビュー(感想・評価)
舞台女優の栄光と苦悩を辛辣に風刺したマンキーウィッツの傑作
新人女優が一年も満たない期間にアメリカ演劇界最高の栄誉である賞を獲得し、一躍大スターにのし上がる夢物語を辛辣に暴露したバックステージ映画。原作は、舞台女優のエリザベート・ベルクナーが1943年のブロードウェイの舞台劇『第二の妻』出演時に遭遇した、ある若い女性を付き人にしてからの実体験を基に、メアリー・オアという作家が創作した小説「The Wisdom of Eve」(イヴの知恵)で1946年に発表されたもの。それを脚本家出身のジョゼフ・L・マンキーウィッツが脚色と演出をしてアメリカ映画史に遺る作品に仕上げました。製作がダリル・F・ザナックで音楽がアルフレッド・ニューマン。大女優マーゴ・チャニングに大ファンとして近づき、不幸な境遇を語り同情を得て、付き人から一気に代役のチャンスを勝ち取るイヴ・ハリントンの正体を徐々に明かしていく作劇の面白さ。それを女優マーゴ始め劇作家夫婦や舞台演出家、そして演劇批評家らが狂言回しの役割を兼ねて複数(批評家ドゥイット、劇作家ロイドの妻カレン、そしてマーゴ)のナレーションで物語を進めます。この若い女性に魅了される演劇人たちが、彼女の仕事振りや演技に感心しながらも、次第に呆れ果て翻弄されるところが見所となっています。充実した脚本・台詞・演技の完成された風刺ドラマであり、女優の素顔と女性の怖さを強烈に印象付ける内幕映画として、異色のハリウッド作品と言えるでしょう。
第一に素晴らしいのは、主演マーゴを演じたベティ・デイヴィスの凄みです。表情や台詞回しは言うに及ばず、大女優役の貫禄と年齢からくる負い目の悟りの仕草まで見せ付けます。マーゴの設定年齢は40歳で実年齢に近い役を自然に演じています。現代から見るとまだまだ若い年齢でも、平均寿命が短かった1950年代では完全にベテランの領域であったと思われる。演出家ビル・サンプトンの32歳の誕生日パーティーのシーンでは、ビルが若いイヴと二人だけで会話をしているのに嫉妬し、更にイヴをべた褒めするので怒りが収まらず、部屋の中を動き回ります。年下の恋人ビルに優しくして貰いたい女心のマーゴでなく、嫉妬に駆られた年上女の怒りを演じる女優マーゴになってしまっている。銀食器の中のクッキー(それともチョコレートか)を漸く口にして、ビルから嫉妬は恥ずかしいと言われて吐く、“カット!次のシーンは私の処刑?”の台詞がいい。舞台では年齢を意識しない女優でも、プライベートでは女性として年齢を意識せざるを得ない。歳の差を超えた愛をマーゴに捧げつつも、若いイヴに嫉妬するマーゴの女心が分からないビルとのやり取り。ビルを演じるゲイリー・メリルとは、この映画共演後に実際に結婚するという、二人の息の合った名場面です。
次に面白いのは、専門職の登場人物の中でひとり素人の立場でイヴを親身になって応援するカレン・リチャーズの言動です。劇作家ロイドの妻でも演劇には疎いのに、マーゴの代役にイブを推薦し、且つ舞台デビューするところまで画策する始末。ガス欠の車中にマーゴと二人っきりになって会話するシーンが切ない。若く女らしく控えめなイヴを認めるマーゴが、成功するために捨ててきたとしおらしくなって、女に戻るときに必要だったと嘆く。傲慢なマーゴを痛い目に遭わせようとしたカレンが、彼女の改心に女性として同情を禁じ得なくなり黙ってしまう展開の面白さ。このガス欠の悪戯がイヴを世に知らしめることになり、更に演劇批評家ドゥイットの翌朝の記事(年長の女優をいつまでも使って無理に若い役をさせるのは演劇界の悪習である)が波紋を広げる展開になる。次回作「天井の足音」の若い主人公コーラ役にイヴを推すロイドと、親友マーゴを侮辱したイヴを許せないカレンの夫婦の衝突から、レストラン(カブ・ルーム)の化粧室シーンの流れがまたいい。ここでイブの本性が露になる怖さ。カレンを脅迫してコーラ役を得ようと豹変するイヴの態度。策略をバラされる恐怖を抱えてマーゴたちのいる席に戻るが、ビルと婚約した心境変化でコーラ役を断るマーゴの発言でカレンは緊張が解けて笑い出す。マーゴとビルに夫のロイドの三人が訳分からず呆気にとられる中、笑いが止まらないカレンの安堵と幸運のこの表現の面白さ。演劇的な場面として見事です。
更に演劇の人間模様を重厚にしているのが、ジョージ・サンダース演じる演劇批評家アディソン・ドゥイットの存在です。イヴがマーゴの代役の公演後楽屋でビルを誘惑して拒絶されるところをドゥイットは立ち聞きしていて、その時から彼女のことを観察していたのでしょう。「天井の足音」初日のホテルの一室のシーンでは、出自を調べ上げて嘘まみれの芝居を糾弾しながも彼女にシンパシーを感じています。イヴの弱みに付け込み自分のものにする悪い男の典型です。マーゴに取り入りビルやロイドを誘惑、カレンの同情を仇で返して成り上がったイヴの悪徳が完結するかと思わせての最後の逆転劇。他人とは思えないと言い、人を軽蔑し純愛とは無縁でも、あくなき野心と才能があるイヴを認めている。
才能と美貌がありながらチャンスに恵まれないイヴを演じたアン・バクスターはヒッチコックの「私は告白する」のイメージとは打って変わって、強かで狡賢いヒロインを好演しています。ただベディ・デイビスやカレン役のセレステ・ホルムと比較して、演技が固く柔軟さが欲しい。例えばビルに拒絶されてカツラを鏡台に投げつけるシーンでは、(まだこの段階では)可愛げの残る表情がある方が良かったのではないかと思います。これは演出も含めての不満です。
脇役も充実していて、ヒッチコックの「裏窓」でも好演を見せたセルマ・リッターがイヴに皆が同情する前半の重要な場面でいい味を出しています。新人女優役のマリリン・モンローは、演技力のない設定にあった存在感で、演技よりその個性が印象に残るキャスティングでした。ラスト第二のイヴを思わせる女子学生役のバーバラ・ベイツは細身のスタイルで美しく、これはベディ・デイヴィスと並んで大女優のキャサリン・ヘプバーンをモデルにしたような印象を持ちました。このラストカットの鏡の使い方の巧さも見事です。
それでもこの映画の面白さの本質は、大スターの舞台女優の裏の顔を批判的に暴きながらベテラン女優の苦悩を丁寧に描いているところにあります。キャリアを積まないと出てこない味が演劇の芝居には必要です。新人の新鮮な輝きも、いつかは熟練の存在感に変わり、貫禄と安定感が増して名優となる。しかし地位も名声も得た女優が、男性化するのも事実。マーゴが言うように、女のままで名女優になるのは大変難しい。と言って年齢を重ねれば容貌の衰えが役者生命に影響する。映画女優で言えば、全盛期に引退したハリウッドのグレタ・ガルボや日本の原節子がいます。舞台はそれでもメーキャップとアップが無いお蔭でまだ通用するものですが、制作に携わるスタッフから言えば役柄の年齢に合った配役でするのが最良なのは明白です。これらの事に思いを巡らせながらこの映画をみるとマーゴ・チャニングが愛おしくなってきます。舞台女優の真実に迫ったこのマーゴ役のベディ・デイヴィスの演技を堪能すべき演劇界の風刺劇の傑作でした。