「総ての女たちが生きる世界」イヴの総て つとみさんの映画レビュー(感想・評価)
総ての女たちが生きる世界
ずっと「いつか観ないとなぁ」と思っていた。なにせ、今でも「イヴの総てみたいに」というセリフが映画にはちょくちょく登場するくらい。
「みんな観てるよね?」「知ってるよね?」という前提になるほどの名作なのだ。
ネタバレありにしたけど、「イヴの総て」にネタバレってあるのかしら?と思うほど。
「イヴの総てみたいに」のセリフから推察されるように、自分の野望に向かってなりふり構わずスターへの階段を駆け上がろうとする「イヴの総て」についての物語であると同時に、総ての女性たちの物語であるという秀逸な映画。
「イヴの総て」には、女の総てが詰まっている。誰もが怯え、誰もが挑み、誰もが女に生まれた運命を受け入れて生きてきた。その苦しみと可笑しみが詰まっている。
マーゴのように弱い部分を捨て去って、傲慢でも輝きたいと願えば「愛を失う」事に悩み、カレンのように夫を愛し支える事を選べば「愛するしか能がない」事に悩む。
イヴの持つ「若さ」という太刀打ちできない魅力を持った女性の台頭に、マーゴもカレンも恐れ戦き、最後は達観するのだ。
今、大輪の花を咲かせようと勢いよく伸びてくる存在に、自分の満開は過ぎたのだと。
女に生まれたら、誰もが薔薇やひまわりのように「主役」の風格を持って咲き誇りたい。
イヴは強かに周囲を利用して望むものを手に入れようとしたが、どんなに天然に見える女でも総ての女性がイヴのように計算高く自分の「魅せ方」を考えている。
自分の持てる魅力を全部引っ張り出して、計算して、自分のキャラクターを構築して生きている。ある意味、自分に対して一番冷徹なのは自分自身かもしれない。
泣き、わめき、懺悔し、誘惑し、この世界の中心たる花であろうと躍起になる。
しかし花がその役目を終えて萎れ散っても、結んだ種を喜んでくれる人がいる。ビルは大女優でなくなってもマーゴから離れず、ロイドはカレンの内助の功を讃えた。
自分達の季節に終わりを告げる、新たな花の嵐に翻弄されながら、穏やかな秋を迎えたのだ。
名誉ある賞に輝き、絶頂を迎えたイヴにも秋は訪れる。今はまだ蕾の花たちが、明日のイヴを夢見て密やかに成長しているのだ。
無数の野心ある女たちを予感させるラストシーンは、「女の世界」を見事に表していると思う。
ちょくちょく「イヴの総て」が言及される意味がよくわかった。誰かを踏み台にするサクセスストーリーという側面以上に、女に生まれたからには避けて通れない、誰もが身に覚えのある現実が内包されているからだ。
何かある度イヴのことを、マーゴのことを、カレンのことを思い出すだろう。「女の世界」がドラマチックに激変するまで、この映画は色褪せない。