「女優であること、女であること」イヴの総て sankouさんの映画レビュー(感想・評価)
女優であること、女であること
アメリカ演劇界最高の栄誉であるセイラ・シドンス賞を、新進女優イヴ・ハリントンが受賞した場面から物語は始まる。
彼女は満場の拍手で迎えられるが、会場で彼女の素性を知る一部の者は複雑な想いでその様子を見つめていた。
物語を通してイヴの印象が180度変わっていく様が恐ろしくもあり、また感心させられもする。
毎夜劇場の楽屋口で大女優マーゴ・チャニングに憧れの目を向け続けるだけだった田舎娘のイヴ。
そんな彼女を劇作家ロイド・リチャーズの妻であるカレンはマーゴに引き合わせる。
イヴの哀れな身の上話に感動したマーゴは、彼女を付き人として雇うことにする。
最初、マーゴは言いつけを従順に守り続けるイヴに好意を抱いていたが、次第に彼女の利発すぎる態度に警戒心を抱くようになる。
やがてスターに憧れる純朴な少女だったイヴは、野心に燃える小悪魔的な本性をさらけ出していく。
この映画を観て感じたのは、スターとして脚光を浴びることと幸せになることは、正反対の位置にあるのではないかということだ。
マーゴは年は取っているものの、誰からも認められる大女優のはずだった。
それなのに彼女はイヴの若さに嫉妬し、自信を失ってしまったようにヒステリックな態度に出る。
彼女はイヴの女としての魅力に嫉妬したのだ。
それは彼女がスターとして成功するために捨ててきたものだった。
「どれだけ地位や名誉を手にしても、食事をする時や寝る時に隣に夫がいなければ女ではない。」
彼女は女優としてではなく、女として愛してもらいたかった。
その差は些細なようでいてとても大きなものなのだろう。
幸せとは特別に選ばれた人間がなれるというものではない。
むしろ本当の幸せは細やかな生活の中にあるものだ。
確かに女優としてスポットライトを浴び、拍手喝采で迎えられる瞬間は至福のひとときなのかもしれない。
しかしその幸せは持続させることが出来ない。
それでも刺激を求めて、スターになるために野心を燃やす人たちは後を絶たない。
イヴはどんな手を使ってでも役を勝ち取ろうとする野心の塊だ。
彼女はカレンを脅迫し、マーゴのために書かれた台本から役を奪い取ろうとするが、皮肉にもマーゴが結婚という平凡な日常、女優であることから女であることを選んだために、その役を自分のものにすることが出来る。
そして場面は冒頭の受賞パーティーに戻るのだが、イヴは栄光と引き換えに人としての大事なものを失くしてしまう。
おそらく彼女がこの先どれだけ成功を手にしても、幸せにはなれないだろう。
女優の世界は食うか食われるかだ。
ラストは最初のイヴのように、純朴を装ったフィービーがイヴに近づき、彼女のガウンを羽織りながらうっとりと鏡を眺める場面で映画は終わる。
マーゴ役のベティ・デイヴィス、イヴ役のアン・バクスターの存在感はさすがだったが、マリリン・モンローも端役で印象的な役割を果たしている。
特にマリリン・モンローの生涯を思うと、彼女らもまた平凡な幸せとは無縁の人生だったのだろうかと考えさせられた。