「若い時TVで見ていたのは、この映画の前編だった。」アラビアのロレンス 詠み人知らずさんの映画レビュー(感想・評価)
若い時TVで見ていたのは、この映画の前編だった。
米国からの帰国便で、レストア版を鑑賞、発色がきれいだった。
1916年、第一次世界大戦下の中東。オスマン・トルコ帝国が枢軸国(ドイツ・オーストリア)側についたことから、英国はアラブの後ろ盾となるべく、詳しい知識を持つロレンス中尉を抜擢し、アラブ側に派遣する。
前編はヨルダンやモロッコでロケした映像が、際立って美しい。砂漠に太陽が昇る、水平線の向こうから蜃気楼のようにラクダに乗った男が現れる、砂嵐の中の行軍。
ロレンスは、ハリト族の理解を得てラクダ隊の50騎と、利にさといハウェイタット族の騎馬隊も味方に引き入れ、誰も考えていなかった内陸から、トルコ側の要衝である港町、アカバを攻めて占領する。カイロの英国陸軍司令部に辿り着いて、2階級特進、少佐に昇進する。
ところが一転、後編に入ると、彼の苦悩が語られる。確かに後編でも、彼はヘジャーズ鉄道爆破を指揮し、一度は、本務地へ戻ることを願い出るが翻意し、アラブの人びとに歓呼の声で迎えられて、ダマスカスを目指す。英国陸軍の本隊よりも先にダマスカスに辿り着き、占領を果たす。またも2階級特進して、大佐に。
ただ、彼の苦悩には、三つの背景があった。それまでの戦いで、彼は自分にきわめて近い部下を失い、指揮官として味方を処刑せざるを得ない場面もあった。Coup de grace(とどめの一撃)を与えたことも。さぞや、苦しかったろう。
彼は、幾多の戦功によりカリスマとなるが、恥ずかしがりやで、人見知りする一方で、物事に打ち込む。そうした人によくあるように、閾値を超えると、突然身勝手にふるまい、誤解されやすく、外観と内面のギャップに傷つきやすい。
さらに、中東では第二次世界大戦後、英仏の二大国が協議して、イスラエルを建国したように、国の間の政治バランスが全てを決める。ロレンスは、結局現場の人。これは当時、映画を観た欧米のビジネスマンたちの共感をうんだことだろう。
しかし、決して現在の日本の社会からロレンスやアラブの人たちの行動を理解しようとしてはいけない。アラブの人たちは、喫煙はするが、原則飲酒はしない。特に、中世スペインを支配していた時に、ギリシア・ローマ文明を継承していたのは彼らだった。いったん、イスラム語に翻訳された後、ヨーロッパに拡がっていった。しかも彼らは寛容で、キリスト教徒もユダヤ教徒も許していた。ただし、自分の文明に自信を持っていた分、近代文明(電気・水道・医療など)を受け入れるのに時間を要した。しかし、ロレンスは、Oxfordで学んでいたので、それらの経緯をよく知っていて、なかんずくコーランを諳んじていた。だから、アラブの人たちに慕われたのだ。
それにしても不思議だったのは、この映画には、一部のアラブ人以外女性が出てこなかったこと。やはり、ロレンスは当時の英国では犯罪であったある種の性癖を持っていたのだろう。ダルアーで、いったん捕まったとき受けた暴行に、それが示唆されていた。
この映画こそ、一度は大スクリーンで見るべき。しかし、その後編を見ることはつらいことも事実である。