アマデウスのレビュー・感想・評価
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素晴らしきモーツァルトの時代
今回、1985年公開の「アマデウス」が4K版として劇場公開されたため、それを機に感想を書かせて頂きます。やはり素晴らしい映画です。どこにも隙がありません。2時間40分の長さにして、無駄なシーンはほぼ無いと思います。クラシック音楽の理論、史実の再現というテーマの小難しさを感じさせない、冒頭から流れるようにモーツァルトの真価に至る判りやすさ。
その冒頭から登場するのはモーツァルトにあらず、クラシックに多少触れるぐらいでは、あまり名前が聞こえないサリエリさん。お話はモーツァルトの幼少から、その死に至るまで、嫉み嫉みを抱きながらも敬愛して追い続けたサリエリさんの物語、ということなんでしょうか。神の名においてモーツァルトの才能を嫉みに嫉んだ彼の姿は、果たして史実通りの話なんでしょうか。モーツァルトを毒殺したというのはフィクションで、交友のあった証拠も残っているそうなんですが、世の中、裏表が付きものですから歴史の真実は自分でも判るものでは無いでしょう。
私はこの映画を見るにあたり、真相は闇の中だろうけど、フィクションとして楽しめば良いなと思う。そうでなければ、お話として追うのはしんどい。事実は小説ほど奇をてらったものではありません。この映画のお話として「モーツァルトにレクイエムを書かせておいてから殺す」と「サリエリが企んだ」という流れですが、「本当にサリエリが手を下したのか」ということについては不明のままだと思います。牧師に「どうやって殺す? 想像だけなら簡単だけど・・・」とニヤニヤしながら語っているシーンはあったけど、いざ、ラストのモーツァルトが亡くなるシーンでは「サリエリが殺した」という印象が無い。もしかしたらそうかもしれない。違うかもしれない。映画上でもハッキリさせていないため、有る意味でこれも「史実通り」の再現なのかもしれません。
当時の再現も素晴らしい。宮廷から庶民の暮らしぶりまで、街までそのまま再現するこだわり。宮廷の貴族、街を行き交う民衆、その衣装から動向まで、ほんのわずか数秒しか映像に出ないエキストラにも手を抜かない。映画は本当に大変すぎる。お金もかかるだろうし。
更にこの映画はオペラの舞台までも再現。上演の仕方まで当時のスタイルのままなんでしょうか。松明を掲げて踊り回るシーンなんて見ているこっちがヒヤヒヤする。一番凄いのはドンジョバンニ。宙づりでセットを壊す悪魔が最高。そして演奏するオーケストラは、本当に演奏しているのか、振りだけなのか。一番大変なのはモーツァルト役、サリエリ役の役者さん達。本物の指揮者の振り、ピアニストに振りまでしなきゃならない。
改めてお話についてですが、音楽の歴史の流れを感じさせる話の流れも良いですね。最初は司教に雇われていたモーツァルトですが、舞台は宮廷へと移り、やがては大衆へ。神→宮廷→民主主義へと移りゆく権力と共に、音楽の舞台もまた流れてきたんだろうな、という歴史の流れを実感できたのも興味深い。
お話の一番好きなシーンはやはり、最後の最後の打ち解けるモーツァルトの姿。「少し休んでから続きをしよう」「いや、私は全く疲れてない」「……少し休むから、側にいてくれる?」という流れ。モーツァルトもまた虚勢を張るというか、自分もまた思うところがあってサリエリさんとぶつかってきた、その頑なな思いが溶けていく、その瞬間だったのでしょうか。そして懺悔をするようにサリエリに感謝するモーツァルトの、その姿。
果たして。ここで本当にサリエリさんは手を下したのでしょうか。それとも毒を盛った後? あるいは単に病死しただけなのか。歴史と同じく、全ては闇の中、かな? あの埋葬の仕方も意味深でしたね。特定の感染症で亡くなった遺体の処置なんでしょうか。そんな闇を感じさせる雰囲気も面白い。ちょっと調べれば判ることかな。でも映画は予備知識無しで見るのが好きです。一本の映画の閉じた世界で成立させて欲しいし、その上で評価したい。
もちろんこの映画は上々の満点だと思います。さて、改めてモーツァルトを聴いて余韻に浸ろう。エンドロールに丸々使用されたピアノ協奏曲20番第2楽章、この映画で影響されて、ピアニスト比べに奔走してしまったお気に入りです。
モーツァルトとサリエリを描いた貴重な作品
天才モーツァルトの生涯を宮廷楽長サリエリを通して描かれた作品。
いつの世も天才の挙動は凡人には理解できないものだが、18世紀ヨーロッパで生まれ育ったモーツァルトはとりわけ顕著だったに違いない。作中のモーツァルトの破天荒ぶりは驚くものばかりだが、あながち大げさでもないのかもしれない。
一方、宮廷楽長として成功していたサリエリが、モーツァルトの出現によって嫉妬と憧憬で葛藤していくさまは、時に心苦しく、時に多くの人が抱えたことがある負の感情として共感を覚える。
アントニオ・サリエリを描いた作品は媒体問わず少なく、日本語で入手可能となると数えるほどしかない。今作は史実とは異なる点はあるものの、彼とモーツァルトの確執を知る手始めとしてちょうどいい物語。
鑑賞後にモーツァルトの作品、特に『レクイエム』を改めて聴くと、彼がどんな心境で曲を作ったのか、思いを馳せられる。
音楽好きはもちろん、『FGO』などのゲームやミュージカルで2人に興味をもった人に見てもらいたい作品。
消える音、消えぬ音
スター・ウォーズやアクションやジャッキー・チェンに塗れたクソガキがTVの洋画劇場で出会った衝撃。当時、チャンネル権は全く無かったのでわざわざ選んだりお願いした経緯はあったのだろうが、そこは覚えていない笑 しかしあの衝撃は忘れない。そして思い出させられた以上の衝撃を今回受けた。やはり映画は劇場だ。4Kとはいえ色褪せて映る画面は全く色褪せていない。それどころか闇(影)に至るまでコチラに迫ってくるし、音圧に至っては感涙のレベル。この映画によってサリエリが「光秀的立ち位置」に陥ってしまったのは同情もするが、その位のパワーに満ち溢れた"欧州中世時代劇"と呼ぶには勿体ない、サスペンスフルに満ちた体験になりました。機会があれば是非とも劇場にて体感頂きたい。やはり映画館は良い。
「アマデウス」を超える作品は無い!
なんと言ってもサリエリ役のF・マーレイ・エイブラハムの演技が素晴らしい!
そして、下品で、未熟で、放蕩な人物を地で行くようなモーツァルト役のトム・ハルスは『モーツァルトはこんな人だったんだ』と説得力のある演技!
トム・ハルスが発するあの人を食ったような笑い声は一度聞いたら忘れられません(笑)
本作の「アマデウス」を初めて観たのは学生時代でVHSをレンタルして鑑賞しました。
今回午前十時の映画祭で映画館で鑑賞が叶いました。
衣装やセットの豪華絢爛さもまざまざと見せつけられました!
著名な作曲家を描いた作品は幾つか鑑賞しましたが「アマデウス」を超える作品は無いと言ってもいいぐらいです。
ありがとう!午前十時の映画祭!
サリエリは予想以上に悪い人だった。
天賦の才能は殺せない
午前10時の映画祭にて
地上波で何度もあったけど長いのでまともに見た例が無かったアマデウス😅 映画館でやっと落ち着いて鑑賞できました ポスタービジュアルおとんのマントだったのだね
宮廷音楽家のサリエリさん通してのお話しだったのですね 皮肉にもこの作品通して名を知られるようになったとか 嫉妬が激しすぎて大丈夫モーツァルトが普通ではなくて殆どが何も成していない凡庸な部類です、残念ながら...と激励したくなりました モーツァルトに関しては今で言うADHD?でも絶対音感はあってサヴァンぽいなぁと思いました
アントワネットのお兄様も出ていらして芸術好きの御一家なんかな、当時の欧州の様子も何となく匂わせてた
生育環境や教育についても考える、そしてどんな不遇にあっても才能は死せず、昔のことなので真実は闇の中ですが、面白い視点の描き方であった。
才能を枯らすには殺すしかない
午前十時の映画祭にて鑑賞
モーツァルトの音楽が聴けるとワクワクしながら鑑賞しました。
構成が良かったですね。序盤は女ったらしでだらしない男に見せて、結婚して、後半に行くにつれて天才であるが故に孤独という描写がとても伝わってきました。
天才の殺し方も、少し不謹慎な言い方ではありますけど、斬新でした。
多分、最後モーツァルトがあんな死に方するなんて予想できてなかったんだろうなぁ、、。
凡人万歳。
神の福音なのか呪いなのか
モーツァルトの死の真相を宮廷作曲家サリエリの告解を通じて描く歴史サスペンスであると同時に、才能に翻弄される人間悲喜劇でもある作品で、ミロス・フォアマンの演出力に圧倒されます。溢れんばかりの才能とそれ故に傍若無人にも見えるモーツァルトと、才能と努力で宮廷作曲家まで登り詰めたサリエリの人物描写が素晴らしく、サリエリの心境の変化や憔悴、圧倒的なモーツァルトの才能に翻弄される様子は迫真的で、神を呪い、十字架を暖炉にくべるシーンは鬼気迫るものがあります。その一方で、サリエリ自身がモーツァルトの真の理解者であることや、モーツァルトが自分自身の才能に心身共に食い潰されてしまうアイロニーは強烈で、心にずしりとのしかかります。役者では、F・マーレイ・エイブラハムの演技は、些細な視線や指や仕草で心理を表現していて、まさにサリエリそのものでした。トム・ハルスは、始めは現代の青年のようなイメージだけど、憔悴し人生が破綻していく様はリアリティ溢れる名演でした。
モーツァルトの才能凄まじいんだな
クラシックやモーツァルトについて何の知識もなしに鑑賞。
モーツァルトを殺したと告白するお爺さん(サリエリ)が自殺未遂するシーンから始まる。一命を取り留めたお爺さんは、モーツァルトとの出会いから、モーツァルトを殺したと言い張るシーンまで、牧師に対して告白を続けていく
まず知らないことがてんこ盛りで驚きだった。モーツァルトってこんな下品で変な感じだったの?!みんなカツラつけてる!ドレスも建物も煌びやかすぎる!モーツァルトはオペラもつくっていたのか!こんなふうに天才は作曲するのか!等々。
サリエリはモーツァルトが出てくるまではそれなりに有名な作曲家だったのだろうが、モーツァルトが出てきてからは妬み、憎悪の人生...。こんなにも音楽への情熱はあるのに、神は技を与えず苦しみだけを残した。一方でなぜあんな下品なモーツァルトに、神は才能を捧げたのか。神による采配が理不尽だ!と神への信仰まで放棄してしまう。
宗教への信仰も深く絡んでいるところが興味深かった。
しかし、なんと言ってもサリエリの辛さを助長させたのは
彼がモーツァルトの才能を理解できてしまうこと。
沸々と妬み憎しみが感じられる一方でどこかモーツァルトに対しての尊敬せずにはいられない気持ちも感じられた。
最後にモーツァルトの作曲を手伝っているシーンでは、
サリエリからは憎悪の感情は消し去られたように見え、モーツァルトの才能を間近で見ながら音楽と純粋に向き合うサリエリが見てとれた。
世の中には色んな形の憎悪があると思うが
上まで上り詰めた人がどうしても越えることのできない才能に出会ってしまった衝撃は、多くの人が経験することのない凄まじい感情なのだろう。
モーツァルトの才能に嫉妬するサリエリの心理描写が見事です
長年気にはなっていたが、未見だった映画。
アカデミー賞受賞作だからいい映画なのだろうと想像はつきました。
今回、午前十時の映画祭にて機会を得たので観賞してきました。
かつて宮廷作曲家であった老いたサリエリの視点でモーツァルトを描いた作品。
甲高い声で笑い破天荒な人物であるが、音楽に関して天才的才能を発揮するモーツァルト。
宮廷作曲家になれたサリエリだが、自分には到底及ばない才能を目の当たりにしてその才能に嫉妬し憎しみさえも覚え。。。
格調高いモーツァルトの音楽とともにサリエリの心理が巧みに描かれ、見応えのある作品でした。
ある意味モーツァルトの音楽の素晴らしさを一番理解していたのがサリエリだったという皮肉が効いていて面白かったです。
彼を憎みながらも彼の作品に魅了され、実は一番のファンだったのかもしれません。
ラストで病床にあるモーツァルトに無理やりレクイエムを作曲させるサリエリだが、モーツァルトの口述を楽譜に写し取り曲が生まれる瞬間に立ち会い、彼はおそらく感動し至福の時を過ごしたのではないだろうか。
天才を前に自分は到底かなわないと悟らされる辛さをF・マーリー・エイブラハムが見事に体現していました。
一方、モーツァルトもあれだけの才能がありながらお金に困窮するという、芸術家にありがちな生前は恵まれず苦労する様子が伝わってきました。
しかしそれでも彼は持ち前の明るさで人生を思いっきり謳歌しているようにも見えました。
また、可愛いだけしか取り柄のなさそうな妻が意外としっかり者でモーツァルトを支える姿も印象に残りました。
確かに名作でした。
ろくでなしモーツァルトと厄介ファンのサリエリ
天才モーツァルトがどうしようもない奴なのでサリエリが苦悩する話。
ベートーヴェンと言い、音楽の神はロクデナシを愛しすぎである。
作中でサリエリ自身が語るように、モーツァルトはまさに「神の化身」。なのに、音楽と向き合っていない時のモーツァルトがロクでも無い奴すぎて、サリエリがずっと苦しんでいる。
特に物語冒頭でモーツァルトが後の妻コンスタンツェとイチャつく場面は、こんな奴がモーツァルト!?感が強いし、コンスタンツェ役のエリザベス・ベリッジのおっぱいが目を疑うほどデカくて集中できないしで非常に良い。
印象的なのは宮廷での歓迎シーン。
サリエリの作った行進曲をモーツァルトが弾き始めると音が跳ねるかのように生き生きと踊り出し、即興でアレンジまで加えて新しい曲に仕上げてしまう天才性の発揮は導入がスムーズでインパクトもあり、サリエリも悔しそうな顔をしている。
このシーンで秀逸なのはサリエリ本人が完成系を弾くシーンが無い所。天才/凡人という対比構造を強調しているように見えて、実は両者が直接的に比較される場面は数少なく、二元論で語られている場面はほとんど無い。
ほぼ唯一、それぞれの作曲風景においてのみ、才能の違いが明示されている。
サリエリが鍵盤を叩きつつ試行錯誤を重ねる一方、モーツァルトは五線譜に直接完成形を書き込む。一度も鍵盤の音色を確認したりはしない。
そんな神の化身が金にも女にも無頓着なものだからサリエリも頭を抱えてしまう。作中でも語られるとおり、サリエリ最大の苦悩はモーツァルトの才能を理解できる/できてしまう事だ。
それ故に神の領域には踏み込めず、ただ眺めるしかないという割と高次元の絶望に鬱屈としてしまい、物語が進むにつれ極まった厄介ファンのような仕草が増えていく。
特にモーツァルト渾身のドン・ジョヴァンニはサリエリも心を打たれており、モノローグで「ドン・ジョヴァンニは私の圧力で5回しか公演させなかった。私は5回とも観に行った」などと言い出す始末で思わず絶句する。お前はさぁ・・・。
終盤、モーツァルトとサリエリが協同してレクイエムの楽譜を書き上げるシーンは物語のエモーションが最も高まる瞬間。
モーツァルトが語る通りに楽譜を綴るサリエリの速記。追いつこうとしているのに追いつけない、しかし神の領域にあと僅かまで迫っていく。このシーンは神の言葉を楽譜に書き綴る預言者としてのサリエリが描かれており、宗教的な含みも深く、二人の鬼気迫る様子には圧倒される。
その最後にはモーツァルトからサリエリに向けた懺悔もあり、ここでは信仰の矢印が逆転する。
この時にサリエリは何を思ったのか。ついに完成しなかったレクイエムは二人の関係の象徴。
もし最後まで共に書き上げていたのであれば、サリエリの苦悩や絶望は晴れたのか、更に深まったのか。非常に余韻を残す終わり方で、モーツァルトの音楽が心を離れない。
・エリザベス・ベリッジのおっぱいも頭を離れない
最初のシーンから、一気に映画の世界に引き込まれました!
今作、初鑑賞が映画館で幸せでした。
映画館で鑑賞する価値がある、意味がある作品です。
私は、リコーダーしか楽器を扱ったことがありません。
歌うと半音ずれるので、合唱コンクールの時、音楽の先生に「あなたが歌うと周りの子も音階が狂うので、口パクで」で言われたことがあります。
新入社員の歓迎会で、チャゲアスの「SAY YES」を初カラオケで歌い、「すごい新人が入った」という伝説を作ってしまいました。
こんな私にとって、クラシックは子守歌でした。
30代、一度体験したくて、今作でも出てくるモーツァルトの代表作「フィガロの結婚」を大きなホールで鑑賞し、爆眠した経験があります。
チケット4万近くしたのに、2幕目後半から全く記憶がない。
今作で後半を観ることができて、嬉しかったです。
やっぱり、オペラ歌手のアリアは、腹に来きます。
この頃の音楽は、ただひとり、皇帝のために演奏されるモノだったと知る。
サリエルも、モーツアルトでさえ、皇帝にはたいそう気を遣っていました。
サリエルの生き方も、モーツァルトのそれも、大変だなーと思ったけれど、逃れられない運命を生きる皇帝のそれが、恵まれているようで一番しんどそうでした。
私、プーチンを思い起こさせるこの皇帝がかわいくて一番好きと思いました。
意外に、周りに気を遣っているようにお見受け致しました。
地位も名誉もお金も持つ宮廷音楽家のサリエル。
天才だけど自堕落で礼儀知らずのモーツアルト。
水と油に見えて、モーツァルトの一番の理解者はサリエルだったのかもしれません。
サリエルは、自分の音楽は一代限りだけれど、モーツァルトの作品が後世にまで遺ることが悔しいみたいでした。
そこは、そんなにこだわらなくてもいいのではと思いました。
例えば、紫式部「源氏物語」や芥川龍之介「鼻」は、日本人がいる限り読み継がれるでしょう。
けれど、東野圭吾さん、吉田修一さんの作品が100年後読み継がれているかは分かりません。
でも、好きな「書くこと」で食べていけ、たくさんの人に読まれているなら、十分幸せでしょう。
他人と比べ、自分の足りないところにフォーカスすると、途端に人生しんどくなるよなあ。
どちらにしろ、歴史に残る音楽も文学もどんな芸術作品も、素晴らしい発見や発明だって、人類が滅亡すれば灰燼に帰します。
今年は、埼玉で和製オペラ「平家物語」を鑑賞し、とっても楽しめました。
来年は、モーツァルトのオペラに再トライしてみようと思いました♪
演目の予習をして、しっかり睡眠取って、日本公演があればいいけれど、なければヨーロッパまでも行ってもいいかな。
アリアは、海外の方の歌声の方が厚みがあって好きです。
鑑賞中、モーツァルトとサリエルのご冥福を祈ります。
今でも、モーツァルトのあの高笑いがに耳に残っています。
何故「アマデウス」なのか?
40年前の劇場公開時に観た。それ以来である。当時は単に何か凄い映画だとしか思わなかったけど、今となってみれば色々感じるところがある。
これはモーツァルトの伝記映画ではなく、おそらくモーツァルトは主役ですらない。主役はあくまでサリエリであって、これは生涯をかけて神と対峙した音楽家の物語なのである。だからモーツァルトの天才性は作品の中で存分に紹介されているものの、すべての現場にサリエリが居合わせ、サリエリとの対比で示されている。そしてその音楽性の差は大きく、とても縮められる可能性はない。つまり神と人間の差の域なのである。
かねて疑問に思っていたのは、この作品、もちろん原作であるピーター・シェーファーの戯曲のタイトルがなぜウォルフガングでもなくモーツァルトでもないのかということ。これは、妻や友人が呼ぶウォルフガングとして人間性を描くのではなく、楽聖モーツァルトとして音楽を描くのでもない、サリエリからみた彼の本質がアマデウスだったということなのだろう。そう、アマデウスはラテン語で「神に愛される」という意味。
原作および映画は、レクイエ厶の発注者が誰かというモーツァルトの生涯における最大の謎を取り上げ、サリエリの陰謀と、それが故、彼が以降30数年に渡って苦しむことを描いていく。
映画の最後、サリエリが「私はこの世の凡庸な者の頂点であり、凡庸な者たちの守り神である」の言いながら、精神病院の廊下を車椅子で進みつつ患者たちに許しを与えていくところ、ミロシュ・フォアマンのもう一つの代表作「カッコーの巣の上で」を思わせるところがありましたね。でも40年前には全く沁みなかったこのシーンが今となってはよく分かる。
知らない人はこの映画のせいでサリエリとモーツァルトを勘違いしただろ...
知らない人はこの映画のせいでサリエリとモーツァルトを勘違いしただろう、偽りのエピソード(舞台劇)を元にした凄い歴史映画。
日本公開当時、高校生だった私も「俺の知らない作曲家が偉大なモーツァルトを死に追いやった」と、この映画の内容を信じたもんだった。
そして、多言語が交わるヨーロッパ、当時のカツラの文化、女性のドレス、指揮者は指揮棒を使わない、「オペラの言語はこう有るべき」等など驚きがいっぱいだった。
楽器を使いながら譜面を書かず、頭の中から出て来る音楽をひたすらビリヤード台で書くシーンも。
特に初っ端のサリエリの部屋の扉を開けて、首が血まみれで横たわるシーンの音楽は圧巻された。掴みとして映画史に残る名シーンだ!
引用↓
モーツァルト役のトム・ハルスはピアノや指揮の集中トレーニングを受けており、演奏シーンのほぼすべてが彼自身によるもの。
また、それまでのモーツァルト像を覆すような描写に、音楽と指揮の指導を担当したネヴィル・マリナーのもとにはモーツァルトファンから抗議の声が殺到したらしい。
午前10時の映画祭にて
十五歳の頃に買った当時のパンフレット(消費税の無い時代 ¥450)を見ると日本での「アマデウス」の舞台公演は1982年で松本幸四郎(今は二代目 松本白鸚で当時は九代目 松本幸四郎)がサリエリを演じていて、アメリカで映画を観た幸四郎の貴重なインタビューが載っている。映画の日本公開は1985年(アメリカでは1984年)なので、随分と前から人気の作品だった様で450回(2017年の記事)以上も舞台公演されている。
映画『アマデウス』は180分のディレクターズ・カット版があり、BDも持っているのだがデジタルリマスター版をこの2025年に映画館の音響で観れるチャンスは貴重だ。40年ぶり。
パンフレットを見ると全部で4,387mのフィルムが8巻に分かれていて映写技師が交換しながら映写してたのも気づく。
4Kでのリマスターや現代のDCP技術にも感謝だ。
色褪せぬ名作
天才を妬んだ凡庸な音楽家
1823年、喉を切り自殺を図ったが一命をとりとめた老人がウィーンの精神病院に運ばれた。彼は神父を前に、自分は元宮廷音楽家サリエリで、楽聖ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトを死に追いやったと告白を始めた。サリエリはモーツァルトの天賦の才を認めながらも、その素行の悪さに呆れ、嫉妬から音楽家としての出世を邪魔し、過労から彼を死に追いやったと、サリエリの視点からモーツァルトを語った話。
モーツァルトのとてつもない天才ぶりを映像で知ることが出来た。
もしサリエリがあんなに無理をさせなかったらもっともっとモーツァルトは長生き出来てもっと多くの作品を残せたのではないか、とそんな事を考え、残念に感じた。
死んだ後土に埋めるのだけど、一人一人じゃなくて同じところに何人も埋めるスタイルだった様で、あれが当時の土葬だとしたら、勉強になった。
サリエリ役は悪役ぶりが上手かったし、モーツァルト役のトム・ハルスは無邪気な天才役がとても良かった。出てきた瞬間、成田凌に似てる、って思った。
1984年度のアカデミー賞で8部門を受賞したそうだが、なるほどと思わせる素晴らしい作品だった。
午前十時の映画祭15に感謝です。
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