劇場公開日 2020年7月31日

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「繁栄を享受するローマとジャーナリストのニヒリズムで表現した、文明と幸福の齟齬」甘い生活 Gustav (グスタフ)さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0繁栄を享受するローマとジャーナリストのニヒリズムで表現した、文明と幸福の齟齬

2020年6月16日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、映画館

フェデリコ・フェリーニの名声を決定付けた巨匠の代表作。個人的には、「道」「8½」「アマルコルド」に次ぐ名作。フェリーニ独自のイマジネーションの映像美に、眼に訴える表現の魔力を堪能できる。1960年はローマオリンピックの年であったから、4年後の東京オリンピックで戦後の荒廃した社会から脱却した日本と同じく、近代化された都市ローマが記録されている。その繁栄の恩恵を受けた上流階級の贅沢で退廃的な享楽の場面が、あたかも動くパノラマ写真のように描かれていて圧倒的だ。ネオレアリズモの脚本家から映画監督になったフェリーニは、ここでは全編を貫くストーリーを説明的に構築していない。一貫しているのは、マルチェロ・マストロヤンニ演じる作家志望の新聞記者マルチェロの、乱れた生活から必然の不安気で精気のない暗鬱とした表情だけだ。有名人のゴシップ記事ばかりを追いかける仕事に満足していないマルチェロのどこか投げやりな生き方が、生きている実感を感じさせない。その対比で田舎から息子に会いに来る父親の溌剌とした好々爺も、結局はマルチェロに老いの姿を見せるだけだ。教会でバッハを奏でるステイナーに人生の指針を乞うが、突然の別れが訪れる。聖母様を見たという子供の奇跡に縋る人々の取材では、婚約者エンマが奇跡の樹の枝を握り絞めている。

急激な成長と繁栄の都市ローマの時代の最先端にいるはずの一人のジャーナリストのニヒリズム。贅沢な社交界を身を持って観察して抱く虚しさは、富と名声が全てではないことに過ぎない。それを得たと思われるフェリーニ監督自身の分身がマルチェロであるのだろう。また、ニーノ・ロータの音楽は中世ローマを舞台にした祝祭劇風なメロディーで、主人公マルチェロに寄り添うものではなく、彼の満たされない心をより浮かび上がらせる。この満たされない甘い生活に鞭を打つ自叙伝が、次作「8½」になる。

マルチェロ・マストロヤンニ35歳の美形とアンニュイな表情。アヌーク・エーメ27歳の凛とした気品と毅然とした態度。アニタ・エクバーグ28歳の豊満な肢体と色香漂う仕草に少女の様な声。そして、表情を変えないアラン・キュニーの神秘的な存在感。すべて素晴らしい俳優の演技である。エンマのイヴォンヌ・フルノーの嫉妬深い婚約者のやりきれない表情もいい。ヘリコプターに吊るされたキリスト像がローマ上空を飛来する冒頭から、謎の生物が浜辺に引き上げられる結末まで、イマジネーション豊かな映像を多種多様に表現した映画美術と、そこに蠢く人間の奔放で赤裸々な姿を映し出した演出力に魅せられるフェリーニ監督の傑作である。

Gustav