アフター・アワーズのレビュー・感想・評価
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実は本作こそ、スコセッシ監督のその長いキャリアを約束することになった重要作品なのかも知れません
内容は良かったのに興行的には失敗した「キング・オブ・コメディ」の次の作品として、スコセッシ監督が準備を進めていたのは、本作ではなく「最後の誘惑」でした
しかし、その映画化の計画は、多くの反対にあい、結局お蔵入りさせられてしまったのでした
その代わりに監督が製作したのは、1985年の本作「アフターアワーズ」でした
本作のテーマは何でしょうか?
なんて自分は不運な男なのだろう!という嘆きが何度も何度も繰り返される映画なのです
とにかく全編、やることなすこと上手く行かない
そんな絶望の最中に俺はいるのだ!とそう世の中に訴えようとしている、そんな映画です
一言でいえば、理不尽、不条理
それが本作のテーマなのだと思います
「最後の誘惑」を撮れなかったことが、そんなに悔しかったんだろうと思います
子供時代は神父になろうと志したほど信仰の篤いスコセッシは、気がつけば映画監督になっていました
そうなったのも神が自分にその映画を撮らせるためだったのだ
それくらい思い詰めていたのかも知れません
なのに「最後の誘惑」はお蔵入りになってしまった・・・
つまるところ、これが本作の正体なのだと思います
かろうじてラストシーンは、ヨレヨレであっても職場で仕事に向かう主人公で締めくくっています
そこには、なにくそ!負けるものか、挫けてたまるか!ここで終わってなるものか!という監督の意地のようなものが感じられました
するとどうしたことでしょうか
こういう具合にヤケクソで作った「アフターアワーズ」が、カンヌ国際映画祭監督賞受賞をはじめ、数々の映画賞を受賞したりノミネートされてしまうのだから不思議なものです
これこそ神のお導きということかもしれません
スコセッシ監督からすれば「神の御技」、「奇跡」に見えたと思うのです
もし本作が映画賞を穫ることもなく、ろくにヒットもしなければどうなっていたでしょうか?
もちろん一度は映画化企画が潰えて断念した「最後の誘惑」が、また始動して、1988年に公開されるなんてことはなかったでしょう
もしかしたらスコセッシ監督は映画への情熱を失ってしまい、その後の彼のキャリアが丸ごと無くなっていたかも知れません
今日にまで続く、巨匠、名監督の名を欲しいままにして長い映画監督のキャリアを何十年も続けて、色々な映画賞に輝く数多くの作品も撮ることも無かったかも知れないのです
実は本作こそ、スコセッシ監督のその長いキャリアを約束することになった重要作品なのかも知れません
「ドアをノックするのは誰?」、「アフター・アワーズ」(本作)、「最後の誘惑」の3作品をセットでご覧になって頂きたいと思います
信仰の証、挫折、成就の三部作となっていると思えるのです
タイトルは時間外の意
・あるワープロ技師がワンナイトを求めて街をうろつくが次々と不幸な出来事に巻き込まれる
・家に招かれたら自殺してたり、指名手配されたり、石膏にされたり兎に角散々な目に遭う主人公
・知らない土地でのトラブルはまるで悪夢のよう
正に悪夢
いつの間にか非日常の中にいる恐怖
本作の分類はブラックコメディーなのだろうか。
あたかも異世界に迷い込んだ様な不気味さを感じつつ鑑賞した。
風邪をひいた時のフワフワ感、熱に浮かされ正常な判断ができなくなる、でも正気を保とうとする感覚。そんな映画だった。
主人公の行動が裏目裏目にいってしまい騒動が次々に起きるなか、家に帰って寝ればまた正常な暮らしに戻れると思い行動する様が傍から見ると滑稽である。しかし自分にも覚えが有る気がしてゾッとした。
不運な日+知らない土地=異世界
案外単純に異世界、非日常へ我々は行けるのかもしれない。
そんな状況に陥った時「家に帰れれば」「朝が来れば」なんて自分も思うし願うだろう。
この映画のラストに朝は来る、それは「安心の朝」か「不安の朝」か。
劇中セリフより
「きっと僕のせいにされるぞ」
現状の不条理さを薄々気づきはじめ、物事に関わりたくなくなる。
触らぬ神に祟りなし、厄介事には首を突っ込まない、兎に角家に帰って布団に入ろう。悪夢を見た時は徹底したいものです。
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