あの子を探してのレビュー・感想・評価
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生きるということの意味
1999年の作品だが、最初の村の様子は、ほんとうに90年代の中国の姿なのか。まあその貧しさ二は驚かないかがさすがに初等教育は行き届き学校はあり皆字を読めるんだな、と思いながら、、
とはいえ仮に90年代初頭としても今から20年前。SDGsが3種の神器の今なら、もう、バッテンだらけの設定。
転校生が村の小さな学校に来たのかと思いきや13歳だか14歳だかで、代用教員だという。児童労働で学校に行けなくなる子が増える中、ついに先生まで児童労働。
ほんとに児童労働、出稼ぎ、借金返信のため街に連れて行かれた子を探しに行くバス賃を稼ぐため計算をしてレンガ運びを学校の生徒全員でする、そこでお金をもらえなくなりそうで児童労働者の労働争議をして賃金獲得、、、と、もう、すごくリアルに現実中国みてるのに、なんか笑ってしまうのだ。不細工に不機嫌に、授業中洗濯したりして、無口でうぶな感じの子ども先生ウエイ先生。出てくる人は皆現実社会でその役割と同じ営みをしている人達で、これ以上なリアルはない。規則と監視でがんじがらめかと思うがまだ20年前の事なので人情とか裁量とかが十分ある世の中で、村には村なりの都市には都市なりのコミュニティの中で共感や助け合いがあり頼もしい。街でホームレスになった男の子に食べ物を無償で分け与える。先生の大事なチョークを守る学級委員。やると決めたことは必ずやる、やりたい、あきらめないウエイ先生。生きるということはサバイバルであり、寄り添うことであり、自分をダマしたりごまかさないことだ、なかなかの、マンダイナ面構えの、ウエイ先生ありがとう!
はあ~高度経済成長の中で衣食住足りて(マクドは大学生まで食べたことなかったけど)教育も当たり前に受けてぬくぬくと育って来た私には何も言えんわ
①1999年の中国と言えば改革開放が成功して経済成長が一気に加速していたころ。その裏で貧しい僻村はまだまだこんな風であったとは。てっきり1960年代の中国かと思いましたがな。市場経済を導入してからの中国の格差の増大はよく聞くけど、まさかこの映画から20年経った今でもこんなじゃないだろうなぁ。②大体13歳の子に代用教員など出来る筈もなく(他に人材がいないってか?単に人口が何億人いようとと何の解決にもなっていないというのが現実なんだね!)、本人も金が貰えるから引き受けただけで教師らしいことは元より出来ないしやる気もない。黒板に教科書を丸写ししたものを生徒に書き写せと言った後は外に出て教室のドアの前に座り込んで下校時間まで生徒を閉じ込めておく。完全に職務放棄。生徒に文句言われてもブーたれ顔で逆ギレするだけ。③大丈夫かいな、とこちらはハラハラしながら観ているが、生徒たちはガキ大将以外は案外素直にこのsituationを受け入れて農村の子供たちはなんて純朴なんだと思わせてくれる(しかも全員素人だとは!)。ブーたれ娘は
中国の山村の生活が面白かったが、映画としては惹きつけられなかった
総合55点 ( ストーリー:50点|キャスト:70点|演出:65点|ビジュアル:70点|音楽:50点 )
映画なのだが映画というよりもちょっとした事件のあった日常生活を記録しただけのよう。実際に登場人物は素人ばかりということで、演技にわざとらしさがない。
それで物語のほうはというと、それほど惹きつけられなかった。貧困の村ではまともなやり方では問題が解決出来ず、13歳の少女が代用教員になり子供がさらに若い子供を教えることがもう異常なのだが、その後の彼女のちょっとした冒険がまたかなり大変。貧困の村では当たり前のものなどない。
だけど貧困層の生活が詳しく描写されているかというとそうでもない。出稼ぎに出る子供の家庭の内情はよくわからないし、みんなが貧乏なことはわかるがそれ以上のことはわからないというか描写がそもそもない。たまたま1つの学校が市民に知られて寄付が集まったからといって、中国全土の貧困の根本的解決になっているわけではない。すっきりしない内容だった。
一番楽しめたのは中国の山奥の生活の様子が見られたこと。経済発展する今でも山奥はそんなものだろうし、近年の急速な発展をするまで都市部でさえも一部は似たり寄ったりだろう。
演技をさせない演出
プロの役者ではなく、実際に山村に暮らす子供たちを使っている。特に主人公ミンジのふてぶてしさ、粘り強さは演じて出せるものなどではなく、本人の地であろう。
そして、バスの料金をねん出するためにどれくらいの労働が必要かを生徒に計算させるあたりから顔つきが変わってくる。これも演技というよりは、実際に問題解決を迫られた少女の顔であろう。
TV局のスタジオで、カメラに向かって涙を流すシーンも演技によるものではないことが分かる。それは、キャスターからの質問に終始無言であることを受けているのだ。つまり、映画中のミンジも、現実世界のミンジも、ともに番組収録という状況を理解しておらず、自分に投げかけられる問いの意味もよく分からない。
そのような中で、彼女にとって初めての具体的な言葉が、カメラの向こうに探している男の子がいると思って声を掛けて、というものだった。やっと自分にとって理解の可能なやり取りが始まったという安堵感。これと、慣れない都会の雑踏の中で繰り返された撮影からいつ解放されるのか、早く家へ帰りたいと思う郷愁が、あの涙になったのではなかろうか。
自分の置かれた状況の全体像が見えない中で、目の前の問題に必死に取り組む。そうしているうちに別の感情や、異なる視座を獲得していくこの少女を観て、観客は人生そのものを見せられているような気になる。
この作品において、チャン・イーモウは役者に演技をさせていない。演ずるのではなく、物語そのものを生きる登場人物たちを捉えている。ドキュメンタリーの雰囲気を色濃く漂わせながら、周到なカメラワークに支えられた映画となっている。
色チョークで、小さな子供たちが黒板に字を書くラストシーンの美しいこと。「魏老師」の文字がこの物語の帰結を示している。
純朴な子供達に感動した
今はわからないが、この当時の中国の田舎にはまだあんな純粋な子供達がいることに感動しました。学校での授業が演技ではなく、ドキュメンタリーのようでした。
特に代用教員の少女と出稼ぎに行って行方不明になった少年の演技が、自然すぎて演技をしていないかのような、そのままっていう感じで、特に胸を打たれました。
がんばる子供たちにエール
中国の寒村の小学校を舞台に、本人役で登場する素人俳優を起用し、ほのぼのとした中に、中国の格差社会と教育問題を提議するハートフル・ドラマ。この村はとにかく貧しい。小学校では校舎の修理もできず、教師は何年も給料を貰っていない。チョーク1本無駄にできず、生徒たちも幼くして町まで出稼ぎに行かなければならない。そんな小学校に代用教員としてやって来た13歳のミンジも、村長が口約束した給料が目当てなだけで、子供に勉強を教える気などさらさらない。様々な事情から義務教育であるはずの学校を辞めていく生徒たち。先任の教師はミンジに生徒を1人も辞めさせなければボーナスをやると、これまた口約束で休暇に入っていく。ミンジが町へ出稼ぎに行った生徒を必死で探すのは、お金が目当てだ・・・最初は・・・。無邪気な生徒たちと、都会での様々な困難がそんなミンジを少し「大人」へと「教師」へと成長させて行く。とにかくこのミンジが実に生意気で可愛くない!それでも彼女は「一生懸命」生徒を探す。ミンジが数々の苦難に遭遇するのは、子供の判断で行動することと、大人のいいかげんなアドバイスであると思う。殊に町へ行くバス代をレンガ運びで得ようとするシーンに集約されている。生徒の1人が以前にレンガ運びをしてお金を稼いだことがあると言い出したことから、クラス全員で”勝手に”レンガ運びをするのだが、それは運ばなくても良いレンガで、報酬を貰うどころか怒られてしまうのだ。子供たちはレンガを運ぶとお金が貰えると思っている。お金を稼ぐということは「必要な作業にみあった報酬を貰う」ということを知らないのだ。そんな世間知らずの子供が大都会で迷子になる・・・。こんな恐ろしい事態になりながら(大人の余計なアドバイスに翻弄されながら)、生徒を探し出すことがでたのはまさに奇跡だ!しかし一番の奇跡は団結する子供たちそのものだろう。寄付された色とりどりのチョークで黒板に一文字づつ書いていく子供たちの笑顔のラストシーンは、なんとも心が温まる。
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