暗殺のオペラのレビュー・感想・評価
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何なのよこの空気感
風景、構図、色彩、明かりが異様に綺麗、夢観てるみたい。
奥行の構図と平面的な構図、左右ほぼ対象の構図。これらが意味するのは「過去と今」「善と悪」「幻想と現実」を表現してるんかなーと思った。
1周したり半周したりするカメラドリーワーク、これも幻影を表現してるのだろうか。
とにかく絵画を観てるような映像、天候やロケ地に恵まれたとしても、ここまで完璧な映像ってあるの? CGやカラコレやグレーディングに頼らず、フィルムに焼き付けただけでここまで美しく撮れるなんて…「天国の日々」に共通する美しさがある。
ネストール・アルメンドロスとヴィットリオ・ストラーロは本物の天才だと思う
映画のストーリー自体が楽譜のように組み立てられていて、段々と仕組み...
映画のストーリー自体が楽譜のように組み立てられていて、段々と仕組みが見えてきて、ラスト近くにピークが来て、ひっそりと静かに幕を降ろすという体験そのものが面白かった。
忘れ去られた町
両親の故郷である町タラに呼ばれたアトス・マニャーニは、この寂れた町のいたるところに自分と同じ名を冠した建物、石像があることに驚き、招待した夫人ドライファの元へと急ぐ。実は彼女は父の愛人であり、父と同志であった3人、ガイバッツィ、コスタ、ラゾーリに会う。反ファシストの闘士として英雄となっていた父は息子と同じ名前。犯人はよそ者だとも、町の人だとも教えられていたが、徐々に父の素顔が浮かんでくる・・・
シェークスピアの劇「ジュリアス・シーザー」、「オセロ」、「マクベス」などにもヒントが隠されているし、3人の証言にはあやふやなところばかり。だんだん精神までもがおかしくなっていくアトスの様子と深まる謎が心地よく響いてくるのです。また小さな町にオペラハウスがあったりして不釣り合いなところもいい。
タラに到着した際には建物の映像はシンメトリーで美しく表現されているのに、終盤になるにつれ、暗くアシンメトリーに変化する。過去映像と現在の映像が混在し、主演のジュリオ・ブロージは36年の父と現在の自分の二役を演じていて、過去の3人も爺さんのままでややこしくなるのですが、父が赤いスカーフを巻いているのが唯一の判断材料。色々聞くうちに、36年には彼ら4人がムッソリーニを暗殺する準備をしていたのに、誰かが裏切り情報を漏らしたためにムッソリーニがタラを訪れなくなってしまったのだった。
真犯人に到達するのもアトス本人が精神的に追い詰められてしまったから・・・この不安定な感情も現在と過去が目まぐるしく変わるためだ。森の横を走っているといきなり赤いスカーフが現れるシーンが面白い。
しかし、エンディングを迎えると、実はこの町は無くなっていたのではないかと考えられるシーンもある。オペラハウスで唐突に演じられたとか、線路上の雑草などでそう考えさせられるのです。また、殺害前の4人が真相や計画を話し合っているときに、過去映像であるはずなのに町の屋根にはしっかりとテレビアンテナが立っているとか、アトスが一人芝居を演じているようにも思えるのです。そもそも静止した人々が多いこともおかしい。真実をしったアトスが妄想世界で演説しているような気もした・・・色んな考え方ができるますなぁ。
裏切りは蜜の味
ベルトルッチの『暗殺のオペラ』ってきたのだが、その前にリチャードビーンの『THE BIG FELLAH』でソレこそ「英雄と裏切りのテーマ」を予習していたゆえか「衝撃の真実!」に成り得なかったのはちょっと物悲しいと言うか、いつもながら食べ合わせが悪かった時の消化不良という感じである。この手の話にはスパイや密告や暗殺、処刑はつきものであり、何度となくボルヘスのテーマは繰り返されるのだろうと思う。結果的に英雄として死ぬことができたアトスではあるが、アトスが英雄たり得るにはファシズム(ムッソリーニ はファシズムの原理をイタリア人の深層から引き出しただけと豪語し、そのためにムッソリーニ そのものは必要ない)と言う存在が必要とされるのであり、ファシズムが歴史の牢獄に幽閉されたからには、忘れられた町の草むらの中に一時の夢のように忘れ去られるしかない。
これはホラー映画である。
ベルトルッチの作品では階段の昇降が人物の立場の変化を表わす。とは、持論である。この若き日の作品においては、どうであろうか。なかなか映画の最後に至るまで、それに当てはまるものを見つけることは難しかった。
そもそも舞台となるタラという田舎町に階段のある建物が少なく、被写体が階段を昇り降りする場面も少ない。
ところがしかし、どうやら父を暗殺したのがファシストたちではなく、3人の父の親友らしいことが分かってくるころから、登場人物たちはその立ち位置を、精神的にも物理的にも目まぐるしく変化させてくる。ただし、階段を昇降するところは画面には映らない。映っているのは、階段を昇ってそこへ辿り着いたであろう場面である。
自らの裏切り(なぜ裏切ったのかが結局分からないが)を仲間に告白する父アトスは町を見渡すバルコニーに上り、元ファシストの大地主と父の暗殺についての話をするため、子アトスは劇場の桟敷席を次第に上階へと移動する。父の死の真相を知った子アトスは、屋敷の二階にある父の愛人の部屋へ「上がって」行く許しを得る。
大地主や父の親友から話を聞くにつれ、父親の暗殺事件に隠された秘密に近づいていく子アトスであったが、最後に自らが陥った大きな幻想に気付くことになる。
この気付きの契機は、子アトスが駅のホームから線路に「降りる」ことで得られる。なかなかやって来ないパルマ行きの列車。雑草に埋もれたレールに「降り」立つ彼は、この線路には長い間列車が通過したことがないことを悟るの。
上階の桟敷席や、父の愛人の部屋に登り詰めた子アトス。父の死について深く理解し新たな人生の一歩を踏み出そうかという子アトスは、鉄路に「降りる」ことで、振り出しに戻るかのような不思議な感覚に襲われる。
この町で自分が見たものは、一体何だったのか。ここで出逢い、父親の遭難について話をした人びとは現実に存在したのか。廃駅となって久しいこのタラに降りたってからのことは、本当の自分の身に起きたことなのか。自分はどこから来たのか。
「裏切者は再び裏切る」という父アトスの言葉と、彼の胸像の眼がなくなっていることを観賞後一夜明けた観客は反芻している。
黒沢清のホラーのような、幻夢的な終幕である。
ドコを切り取っても絵画!?
色、町並み、風景とワンシーン毎に綺麗な絵を観ているような美的センスが逸品なベルトルッチ。
難解で重い雰囲気を漂わせている?本作だが物語は意外と単純に進んで行くようにも思えて。
しかし村からは抜け出せない不穏で意味深なラストの映像に深ぁく残る余韻が。
スイカが食べたくなる!?
詩的でとても美しい映像美!
初期の作品と言う事もあり、現在の主人公と昔の父のシーンの切り替わりなど分かりにくいシーンも多いのですが…
それ以上に映像が美しくシーンの端々にドラマが感じられドキドキしました。
初、東京都写真美術館ホール。
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