アギーレ 神の怒りのレビュー・感想・評価
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アギーレの野望に巻き込まれる不運な人々
独特の雰囲気があり、よかった。 己の野心に取り込まれ、周囲すべて、自分の娘までもが犠牲になるという悲劇。 てか、なぜあんな場所に女子供まで連れて行く?ただただ悲惨でしょう。 原住民に対する差別をそのまま表現しているが、当時はそれが当たり前だったので、残してよかったと思う。今は異常に差別用語を撤廃しているが、時代背景はやはり重要かと…。 盛り上がりもなく平坦なまま終わるが、それもまた味がある終わり方だった。
我々人間は
いったいどこに向かっているのか、どこに向かいたいのか?そう問いかけし、馬鹿げた世紀にファンタジーで鋭いアンチテーゼを投げかけた作品◎ 欲の果てにエルドラドなどと言う幻を作り出し、その幻を求める行為に勇猛果敢さを見出す馬鹿馬鹿しく愚かである。と言うことだろう。 故に先住民とされる人々が影に日向に現れて、流れてくる肉として捕獲し、福音は聞こえないと聖書を投げ捨てる。様が描かれていたのだろうな。 2022年中盤。世界はいよいよ米ソ移行の新たなシュミレーションの時代に差し掛かる。良いタイミングで良い映画を観れて感謝🫂感謝🥲
大自然を舞台にした壮大な非劇
エルドラドの黄金伝説はアドベンチャー映画の定番、「エル・ドラド(1987)」や本作など16世紀のスペインの遠征隊の他にも20世紀の探検家パーシー・フォーセットの「ロスト・シティZ 失われた黄金都市(2016)」やアニメーション「エル・ドラド 黄金の都(2000)」など何度も映画化されている。
本作は探検とか冒険と言うロマンでなく、ただ欲に釣られて内輪もめや暴挙に走り自滅する狂気のスペイン人の物語なので醒めた目で観てしまいます。布教の美名のもとに侵略を行っていた大航海時代の文明人の独善性や欺瞞が滲み出ていますね。
見どころは脚本、製作、監督と熱の入った巨匠ベルナー・ヘルツォークさんの表現美でしょう、冒頭から切り立った断崖を下る遠征隊の一行を延々と追ってゆく長回し、アマゾン川流域の人を寄せ付けぬ存在感など圧倒されます。アギーレ(クラウス・キンスキー)の放つ悪のオーラの凄いこと、無言劇でも行けるでしょう。
お宝発見のカタルシスも無く只々、人が死んでゆく大自然を舞台にした壮大な非劇なので芸術性は高いですが娯楽性を求める人には向かないでしょう。かくいう私もインディージョーンズのようなワクワクする探検ものの方が好みと言ったら身も蓋もありませんね。
静かな川の流れにのって彼らは消え果てた。
速水螺旋人先生の「お勧め」ということで視聴。(『速水螺旋人の馬車馬大作戦bis.黒本』P179)
コンキスタドールの雰囲気を堪能したが、それ以上のものがあった。
良い映画体験でした。
小生、元より”映画ファン”ではないので、ヴェルナー・ヘルツォーク監督も主演である”怪優”クラウス・キンスキーも視聴後に名前などを知ったのだが、「さもありなん」という感じか。
権力闘争をはじめとする「人間的な営み」(皇帝を擁立したり…)が後半には摩耗しきり、主人公アギーレの狂気だけが静寂の中に屹立する様は震えた。
あと、温厚っぽい修道士(かな?)が”布教”するシーンだけギラついているのも印象に残ったなぁ。
とはいえ、見ていて「楽しい」映画でないのは確か(笑)
BGMなどがほとんどない「静寂」の中、朽ち果てていくコンキスタドールたちの「末路」から目が離せないのもまた確かなのだが…映画という文化の奥の深さだなぁ。
我々はアギーレに先導されて全滅に向かう筏に乗っているのではないか?
南米奥地のそのまた奥の奥での撮影がものすごい迫力を生んで画面の緊張感は半端ない 神の怒りとは、キンスキー演ずるアギーレの台詞 自らが地上の神と等しい絶対的存在として暴力を無制限に行使するとの意味だ だがそこはどこか? 南米奥地未踏の川を下る筏の上のこと そこにいるのはこの時点で十数名に過ぎない ラストシーンに至っては、そこには猿だけが彼の人民なのだ 胸糞の悪い現地での征服の有り様と滑稽さ そしてアギーレの狂気 現代の戦争の寓意としても読めるだろう 公開当時、ドイツは東西に分断され冷戦の最前線となって核を含む大兵力が日夜一触即発の状況で対峙していた時代なのだ 全滅してまでエルドラドを探し求めて戦い続けるのか?果たしてエルドラドは実在するのか? 我々はアギーレに先導されて全滅に向かう筏に乗っているのではないか? それを問う映画でもあるのだ それ故に21世紀に生きる我々にとっても、特に米中の新冷戦の最前線にいる日本人には観る意義がある 何より中国の人にこそ、観て欲しいと願うばかりだ
3.6
昔から有名な映画らしくて、評価も高いけど、そこまでじゃあなかった。 でも十分満足できました。 音楽はかなりすごかった。 なんとなく不自然な雰囲気とか、狂気と言うものはすごく伝わってきた。 特に最初山を歩いてるシーンは不気味だった。だれも喋らずに歩いてるし、なんか変なアングルで撮ってるから、鳥肌が立つような気持ち悪さだった。 クラウス・キンスキーの演技も迫力があった。
あまり、上手くないような気がしました
ずいぶん、有名な作品のようでしたけど、私としては、あまり感心しませんでしたね。 キンスキーの実人生さながらの狂気を期待していたのですが、まったくそれが感じられなかったですね。狂気を見せずに、狂気を台詞で語ってしまうのも、私としては乗り切れない感じを強めてたと感じます。 ウルスラが奥地へ連れ去られるシーンにしたって、先に日記の記述で何が起こるかナレーション入れちゃうんですもの。ドキドキする感じがないですよ、それじゃあ。 むしろ、そうしたドキドキを徹底的に排するのが意図だったっていう感じもしなくないですが、それで映画を維持できるだけの画力がなかった感じがします。 有名作品でも、好き嫌いはあるってことで、お許しを。
苦手な方のヘルツォーク
途中で3回寝てしまい4回に分けて見たので、なんとも言えないけど、原住民を露骨に蔑んだ描写は変に美化しない感じがよかった。矢が刺さって死ぬのは痛そうだった。アギーレの顔がかっこよかった。ほんの数人のいかだで帝国の建国を宣言するところも面白かった。そんな乗りで未開の地が征服されていたと思うとたまったものではない。
『フィッツカラルド』も寝てしまった。ジャングル、船、原住民みたいなテーマの作品は苦手な方のヘルツォークなことが分かった。
神 > 人
エル・ドラドを征服し、自らが“神”になろうとした男の悲劇を描く、鬼才ヘルツォークが描くアンチヒロー叙事詩。スペイン部隊が列をなして険しい峠道を越えるファーストショットから唸らされる。このワンショットだけで、神に挑もうとする人間のちっぽけな存在が的確に表現されているからだ。これだけで既に「神>人」という本作のコンセプトが明確にイメージできる。前人未到のジャングルを縫う大河を、ちっぽけな筏でバカバカしいほど仰々しく下る連隊。コッポラの『地獄の黙示録』の狂気を上回る狂気が画面全体を包み、観ている者の思考を麻痺させて行く。呆然とした我々は、アギーレをはじめとする黄金に取りつかれた人間の暴力性をただ見守るだけだ。エキセントリックなクラウス・キンスキーが狂気をエスカレートさせて行く様は、迫真を通り越して背筋が寒くなる思いだ。欲にかられた人々の価値観の崩壊がとても恐ろしい。仲間割れや奴隷の反乱はもとより、芦の船に乗って来た救世主として歓迎してくれた現地人を、黄金の在りかを知らないというだけで無残に殺す。神に仕える僧侶ですら、宝石に飾られた黄金の十字架に目が眩むのだ。そんな彼らを容赦なく襲う、熱さ・湿気・熱病・飢餓、そして原住民。次々に死んでゆく仲間の中で「俺こそ怒れる神だ!」と息巻くアギーレの足元には夥しい数の野生の猿。哀しいかなアギーレの築いた夢の王国では、その猿たちでさえ征服することはできないのだ。長回しのカメラが回転して彼の姿を捉える。この衝撃的なラストシーンに息をのむ。彼の王国はこのカメラにすっぽり収まってしまうような小さな小さな筏。彼の辿り着く先は、輝く黄金郷ではなく孤独でみじめな死だろう。最期に彼が見るのは何だろうか?幻の黄金郷か、それとも神の姿だろうか・・・。
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