愛の嵐のレビュー・感想・評価
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第二次大戦終結から十数年の1957年、オーストリア・ウィーン。 ホ...
第二次大戦終結から十数年の1957年、オーストリア・ウィーン。
ホテルで夜勤のポーターとして働く中年男性マックス(ダーク・ボガード)は、元ナチス元ナチス親衛隊員。
医療班でユダヤ人囚人たちの様子をカメラで撮影していた。
ある日のこと、ホテルに宿泊した著名なオペラ指揮者の妻ルチア(シャーロット・ランプリング)を見止める。
強制収容所の囚人だったルチアは、その美しさからマックスに目を付けられ、彼の奴隷のような存在だった。
マックスの脳裏に過去の行為の数々が蘇る。
ルチアの脳裏にも蘇る。
ルチアにとって忘れてしまいたい過去だったが、マックスに支配された日々は忘れ去ることができず・・・
といったところからはじまる倒錯の物語。
監督は、イタリアの女性監督の草分け的存在のリリアーナ・カヴァーニ。
そんな不条理な、倒錯した愛があるのかしらん、と思うのだが、いわゆるストックホルム症候群に近い状態なのだろう。
強制収容所という死と隣り合わせの環境、その中でのルチアの生殺与奪を握っていたマックス。
逃れようとしても逃れられない、いや、自ら進んで肉体を差し出してしまうルチア・・・
これをアルフィオ・コンティーニのカメラはローキーで写し、カヴァーニは過去と現在を途切れなく繋いでいく。
ただし、あまりにキーが低いので、家庭のモニターで見るには不適切で、何が写っているのかが判然としないシーンも多い。
マックスとルチアの倒錯した愛を阻むものは、ルチアの夫ではなく、元ナチス親衛隊員の面々。
諮問委員会での不利な証言・証拠を隠滅して、戦後社会で生き延びてきた。
彼らにとってルチアは厄介な存在。
元隊員たちは彼女を抹殺しようとするが、彼女を守りたいマックスは、ふたりしてマックスが暮らす粗末な部屋に籠城する・・・
この後半の展開はよくわからない。
早々に逃亡して姿を消した方がよくないか、と思うのだが、金もなく、追手から逃げおおせるとは思っていないということなのだろう。
食料も尽きて、精魂尽き果てたところでの逃亡・・・
幕切れは切ないが、ややメロドラマ寄りになってしまったか。
シャーロット・ランプリングの美しさ、ダーク・ボガードの粘着性。
ふたりに代わるキャスティングは思いつかないなぁ。
濃密でえらいものを観てしまった
再会するまでは過去にあったことを
隠して、忘れて過ごしたいと
願っていたはずなのに、
会ってしまったらもはや歯止めが効かなくなった情愛。
実際に傷を負ったり、
あるいは暴力をふるいもするが
常に彼らは血の匂いが付きまとう。
将校のほうが強いはずだが、
支配権は少女のほうにあった。
彼は喜んで自分の魂を差し出したのである。
これは愛というのかどうなのか、困るところだけれども
運命には違いない。
まさにサロメだ。
ラストでもわかるように、
二人が生きていたのはナチス政権下の時であり
あの時以外は息をしてても死んでたようなものだった。
ある意味満足した終末だったのだろう。
好きかと言われればうんとは言えないが、
一度見たら忘れられないものなのは確か。
あり得ない内容だが何故か心に焼き付いた映画。
どこか寂しげなウィーンの町並みが舞台のこの映画、なぜか心に残る映画となりました。
この映画を批判する人は数多くいる事も承知しております。
当然被害にあった人達を考えれば当然と思えます。
ナチスに酷い目にあったルチアがなぜ?
理解出来ない事も起こり得る事はしばしばあります。(理解出来ない動物!それが人間。!)
何もかも捨て去り、悲劇の終焉に向かって行く生き方が理解しにくいがそれが官能の魅力に取り付かれた二人の生き方なのだろうか?
私の心の底には「うらやましさや憧れ」があるのかもしれない。!
ちょっと笑えた(不謹慎かもしれないが)シーンは主人公のダークボカートが元親衛隊員達と別れる際手を上げて「ハイルヒットラー」と言うと吊られてナチ式敬礼をしてしまう所はつい過去の習慣が出てしまう。
このシーンと似ているのが、「博士の異常な愛情」のラストシーンで博士がアメリカ大統領の前で高揚した気持ちを抑えきれずナチ式敬礼をしようとする所だ。
親衛隊の帽子を被り吊りズボンを履くルチア(シャーロットランプリンク)が歌いながら踊るシーンは本当にカッコ良く見える。!
後のアーティストに強い影響を与えたのも頷ける。
背徳的なシーンだが見いってしまいこのシーンは良くも悪くも映画史に残るシーンと思う。!
ラストの銃撃で倒れる二人は、それまでの愛憎劇の報いなのだろうか?
でも、切ないが美しい死に方に見えました。!
※ジョニーデブさんへ
リクエストに答えて頂きありがとうございました。!
まさに禁断の愛
この映画を見て「近松物語」と「聲の形」を連想した人はまず私ぐらいしかいないと思う。でも、特に「聲の形」については、いじめられる者といじめた者が恋愛関係になる点が、「愛の嵐」では、迫害を受けた者と迫害をした者が惹かれあうという点で似てると思う。
原題はnight porterで主人公の職業のことだ。ホテルの夜警として働いている主人公(ダーク・ボガード)は、実は元ナチス親衛隊であったが、それを隠すためにひっそりと生活しているのであったが、ある日シャーロット・ランプリング演じる女性と再会してしまう。実は彼女は戦争中に彼によって性的な迫害を受けていたのである。彼女は再会最初は彼を拒否していたものの、次第に彼に溺れてしまう。この展開は私には理解できない。ただ、この展開こそがこの映画のメインテーマなのであるが。ちなみにこの映画の監督は女性である。
彼女(シャーロット・ランプリング)は、彼と同じ元ナチス親衛隊たちにとっては招かれざる客だった。彼らにとっては彼女の存在そのものが、自分たちの存在を脅かすものだったのである。
全編退廃的ムード満載の中で物語が進行していくが、結構引き込まれてしまう。 若い頃のシャーロット・ランプリングは、この映画と「地獄に堕ちた勇者ども」が彼女の良さをよく引き出していた映画だと思う。映画史上、退廃的ムードがいちばん似合う女優ではないだろうか。その次がドミニク・サンダかな。
最後、ある程度は想像していたものの(心中か殺されるか)、やはりちょっと切なかった。雰囲気的に「聲の形」のようなハッピーエンドにはなるわけないが。
ダーク・ボガートの名演を堪能するだけでも観る価値のある映画だが、戦争から人間が受ける傷を“性”という面から描いた悲劇。
①戦争の恐ろしさをSEXを通して描いた映画と言えるが、高校生であった私に何より「SEXとは時と場所によっては恐ろしいものになる」というトラウマを与えた映画です。②第二次世界大戦の余韻を深く残すウィーンの夜。あるホテルの夜勤のフロント係(英語題名になった「night porter」ですね)を務めるダーク・ボガート。いつもと同じ夜になる筈だったのに、若き気鋭の指揮者に率いられたオーケストラの一行が投宿してきて、その指揮者の美しい妻を見た瞬間のダーク・ボガートの表情。そしてほぼ同時にダーク・ボガートに気づいた妻のシャーロック・ランプリングの表情。一瞬見つめあい、そして直ぐに目をそらす二人。何故なら二人は二度と会ってはならない筈の二人だったから。この二人の邂逅のシーンがまず忘れがたい。③男は元ナチスでユダヤ人収容所の幹部だった。ナチ狩りを逃れるためにホテルの夜勤のフロント係をしている。女は収容された時に見初められて男の性の玩具となった。当時少女だった彼女が命欲しさに男の要求を受け入れたことは想像にかたくない。④男としては女は自分の前身を知っている。生かしておくわけにはいかない。女としては男は自分の過去を知っている。夫や世間に知れるわけにはいかない。そんな二人なのに、二人きりになった時、驚くことに倒れ込み激しく互いを求めあう。まるで“あの頃”に戻ったように。⑤賛成する人は少ないかもしれないが、私は二人の間に恋愛感情はなかったと思う。逆に女の方には憎しみの感情すらあったかも。しかし、理性や感情を押し退けて互いの身体に刻まれた“官能の記憶”が二人をどうしても求め会わせてしまう。善悪も自己保身の意識も越えて。身体があの頃の性の快楽・快感・悪徳を貪りあった日々を忘れられない。⑥そんな男女の性の機微・生理(そんな言い方が妥当かどうかわからないけれど)を、ダーク・ボガートは最近の表現を借りれば息を呑む“神”演技で魅せ、シャーロット・ランプリングは演技力では敵わないものの、あの“目”あの“顔”あの“肢体”で具現化して見せる。(現在でも第一線で活躍する息の長い女優人生を送っていることに少々驚いているが)。とにかく彼女の存在がなければこんなにsensualな映画にならなかったことは確か。⑦映画のあちこちで挿入される二人を巡るエピソードにもヨーロッパ映画らしい退廃的な描写が散りばめられている。⑧男はが裏切りのために、女はもちろん口封じのために命を狙われることとなり、アパートから出られなくなる。外へ出られない二人は最後には人間の二大欲望である食欲と性欲とを、半ば互いに分け与えるように半ば自分だけ独り占めするように貪り合う。⑨そして、食料も尽きた時、二人は収容所で出会ったときの格好(男は軍服、女は少女もののワンピース姿)で外に出る。勿論、そんな衣服をほぼ監禁状態のアパートの中に持っているわけもなく、イメージ映像だとは思うが二人は結局“あの頃”から逃れられなかったわけだ。そして響き渡る二発の銃声・・・⑩戦争の傷跡をこんな切り口で語るなんて流石ヨーロッパのそれも女性監督と感心した覚えがある。⑪ところで、シャーロット・ランプリングがこの映画に先立つこと2~3年前に出演した、兄と近親相姦した上に婚礼で生きたまま心臓をえぐりとられて殺されるという凄まじい役を演じた『さらば美しき人(原題:哀れ、彼女は娼婦)』を配信してくれる奇特なところや上映してくれる大阪のミニシアターはないですかね(勿論コロナ禍終息の後に…)。
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